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【ヨアケマエ】世界の兵器紹介  作者: うにシルフ
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第1回・3式艦上戦闘機『烈風』

『零戦』の開発がほぼ終了した40年、海軍空技廠と航技研は次世代艦上戦闘機の開発を各社に命じた。

川崎航空機は『キ61』(後の『飛燕』。この時まだ開発中)をベースに空冷エンジンに換装、着艦装置などを取り付けた『キ64』(後の「3式艦上戦闘機『白燕』」)を順調に開発していたが、中島飛行機は『キ43』(史実の「一式戦闘機『隼』」)がキャンセルされた事により艦上戦闘機に近い概念の軽戦闘機への自信を一時的に喪失。『キ44』(後の『鍾馗』。完成間近)を改造して局地戦闘機的性格の強い『キ44Ⅱ』を間に合わせで投入。後に「2式艦上戦闘機『征風』」として採用された。

加えて次期主力戦闘機として開発を開始しようとしていた『キ84』(後の『疾風』)に艦上戦闘機バージョンを追加。こちらを本命と考えていた(ただし正式採用には至らず、増加試作機までで終了)。

しかし三菱重工は『96式艦上戦闘機』『零戦』と続けて主力戦闘機を完成させてきたという自負から、完全に一から新型戦闘機を作る事を決定。

ただ『零戦』の更なる性能向上や『14試局地戦闘機』(後の『雷電』)の開発にも追われていたから、完成は他社より遅れる事が危ぶまれていた。

が航技研所長の「まず敵とぶつかるのは機動艦隊。その戦闘機が敗れるという事は全ての敗北を意味する。なので他機種を後回しにしてでも艦上戦闘機を優先して開発せよ」という鶴の一声で状況は一転。

『14試局戦』の自社での開発を一時凍結し、立川飛行機に基礎研究データを引き渡して、代わりに開発を継続してもらう契約を交わした。

この時のデータ(設計図だけでなく基礎理論、風洞実験の結果なども含む)には史実の『雷電』になっていくものだけでなく、第Ⅱ案として研究されていた細身のものもあり、立川ではその第Ⅱ案をベースに開発を続行。「3式局地戦闘機『雷電改』」として採用され、『鍾馗』と共に迎撃戦で活躍する事になる。

史実『雷電』に近い第Ⅰ案は次世代艦上戦闘機の開発が一段落着いた所で再開し、「4式局地戦闘機『雷電』」として復活した。

こうして三菱は新型艦上戦闘機の開発に専念できる事になった。

『15試艦上戦闘機三菱案』(以降『15試艦戦』)のスタートである。


『15試艦戦』は開発当初から大まかに2つの案が同時並行で検討されていた。

1つは史実の『烈風』に近い翼面荷重130㎏/㎡目標で全幅が14mもある大型で離着艦性能や格闘戦重視の第Ⅰ案。

もう1つは『零戦』を一回り大きくしたような翼面荷重150㎏/㎡超も辞さない速度重視の第Ⅱ案である。

海軍の希望としては空母での運用も考え翼面荷重ができるだけ小さいものであったが、『零戦』の時とは異なり生産性も考慮するため無理な肉抜き作業などは行わず、かつ敵の次期戦闘機に対し優位に立つべく機体強度や防弾の確保、大出力エンジンの搭載、重武装化なども盛り込むため自重増は免れない。

となると主翼面積を拡大しなければ翼面荷重の低減は達成できず、かつ主翼面積を拡大する事により更に自重が増えるという悪循環に入ってしまう。

おかげで第Ⅰ案は大型化による性能低下と被弾率の上昇、そして自重増によるエンジンのアンダーパワーが容易に予測できた。

それでも即廃案にはできず、開発は継続される事になる。

第Ⅱ案の方は翼面荷重の増加を恐れず全幅を12.5m、主翼面積を25.0㎡に抑え(第Ⅰ案の主翼面積は30㎡超)、小さくまとめる事で自重も軽減させる方針をとった。

そのおかげで第Ⅰ案に比べ自重で約0.5tも少なくでき、翼面荷重の極端な上昇は防げたが、それでも正規全備重量にて160㎏/㎡と目標より10㎏/㎡程大きくなってしまった。

それでも小型軽量化のメリットは大きく、計画値で最高速度が10kt程度向上する事が見込まれ、更には運動性も翼面荷重の割には良好であると判断されて、開発開始から1年程経過した41年末には第Ⅱ案に一本化する事が決定した。

ただし第Ⅰ案を完全に廃棄する事はせず、戦闘爆撃機として使えないか検討される事になる(これが後の「4式戦闘爆撃機『零号烈風』」へと発展していく)。


第Ⅰ案も第Ⅱ案も機体形状以外はほとんど同じに作られていた。

エンジンは「三菱 ハ43『狼星』1x型」1900hp、機銃は『0式20㎜機銃』x4、その他の艤装(無線機や油圧・電気系統など)も同じ規格のものが用いられ、開発の手間を軽減するのと同時に両者の比較を容易にしていた。

史実の『ハ四三』には『金星』のような呼称は与えられておらず、また出力は2200hpが計画されていた。が【ヨアケマエ】世界ではキチンと完成したため「シリウス」を表す「天狼星」からとった『狼星』という名前が付けられていた。

出力に関しても初期型では史実の『誉』のように運転制限を設けてまずは確実に動くものを作り上げ、安定してきたら計画通りの2200hpまで向上させる過程が予定されていた。

また直径も史実の1230㎜より大きく1250㎜となっている。これは最初メンテナンスなどを考慮してシリンダの間隔を広げるための措置だったが、冷却面でも有利だと判断された。

それだけでなく軸受けの負担増もできるだけ小さく抑えられ、史実で心配された量産品のトラブルは最小限で済んだとされる。これは先行していた「中島 ハ45『誉』」のデータが活用されたと思われる。


『0式20㎜機銃』とは史実の『九九式二〇ミリ機銃二号四型』と同等(かそれ以上)の性能を持つベルト給弾式の20㎜機銃で、史実より3年程早く完成している。

これは史実で『九九式二〇ミリ機銃』のベースとなった『エリコンFF』及び『エリコンFFL』、更にはその元になった『ベッカー20㎜機関砲』や『エリコンAL』、陸軍の『九四式旋回機関砲』など20㎜クラスの機銃を早くから研究し、38年に『98式20㎜機銃』=史実の『九九式二〇ミリ機銃一号二/四型』同等の機銃を完成させていたおかげで実現できたもの。『烈風』に装備されたのは『九九式二〇ミリ機銃二号五型』同等の発射速度を持つものであった。

更には『ブローニング12.7㎜機銃』の研究により(アメリカで完成したのとほぼ同時にライセンス契約をしている)、部品の取り付け方を逆にする事で左右どちらの機銃としても使えるように工夫されていた。


その他の代表的な装備は空盒式自動空戦フラップである。これは航技研と西根電機が共同で開発したもので、同時期海軍空技廠で開発が行われていたものより性能・信頼性共に優れていたため選ばれた。

また川西飛行機が水銀式の自動空戦フラップを開発しており、感度はこちらの方が優れていたとも言われるが、水銀の毒性や劣化のしやすさから採用が見送られた。

自動空戦フラップは文字通り空戦の際適切な角度で開く事により揚力荷重の軽減を図るものだが、離着陸時に用いる事でそれを容易にする事はその他のフラップと同様である。

フラップ自体は第Ⅰ案が親子式のファウラーフラップであるのに対し、第Ⅱ案は自重が軽い分単純な単段のファウラーフラップであった。

離着陸性能を高めるために空圧式前縁スラットも検討されたが、構造が複雑になるとされ、『烈風』では採用されなかった。

高揚力装置以外にはこれまた西根電機が開発した従来品より軽量小型の『2式機載無線機』がある。

この無線機は明瞭な音声と交信範囲が広がっただけでなく、計量小型化された事により『零戦』などで行われた無線機を降ろすような事は起こらず(『零戦』等も後に『2式機載無線機』に換装される事になった)、

オプションの電波高度計とか無線帰投方位装置、敵味方識別装置なども余裕を持って搭載する事ができた(開発当時は無線帰投方位装置以外未完成)。


第Ⅰ案の外見は史実『烈風』とほぼ同じである。という事は従来の戦闘機とは思えない程大柄の機体で、主翼には外翼に上反角が付いていた。

ただしエンジン径が若干大きくなった分、胴体もその分太くなった。ただエンジンの重量はさほど変わらず、その他の艤装が軽く済んだ分、自重も史実と大差ない値である。

第Ⅱ案の方は前述したように『零戦』を力強くしたような感じ、もしくは尾部コーンをつけた史実『陣風』に近い見た目とされる。

こちらは外翼のみでなく全体に軽い上反角が付いており、第Ⅰ案の構造とどちらが優れているか(この場合は勝手な横滑り等)比較できるものにした。

またエンジンが同じなため前方視界はほぼ同程度と思われていたが、エンジン後方から絞り込んだり(第Ⅰ案では『零戦』のように紡錘形に近い形状)操縦席の位置を若干変える事で、第Ⅱ案の方が優れていたと言われる。

加えて絞り込んだおかげで推力式単排気管からのエネルギーを効率良く利用でき、わずかな差ではあるが速度向上の幅が広がった。

外見ではない内部構造としては、主翼が両者とも2本桁(主桁と補助桁)を採用しており、その間に大型の燃料タンクや機銃を装備していた。

その燃料はとりあえず巡航4時間(≒巡航2時間+戦闘30分)が確保できるよう容量が決められ、機内タンクだけで800L以上の確保が求められ、タンクの形状こそ違えど両者ともほぼ同量の燃料を搭載できた。

強度的には800㎞/h超の急降下に耐えられるよう設計されており、『零戦』の時と違って米軍も急降下で逃げる事が出来なくなると予想された。

防弾もコクピットの前後に16㎜程度の防弾鋼鈑、風防前部に70㎜の防弾ガラスを用い、燃料タンクも自動防漏式を採用する事で『零戦』とは比べものにならない程の強靱さを持つと期待された。

その他の特徴は設計開始当初からカタパルト用フックが装備され、小型空母での運用も考えられていた。ただし完成時には中大型空母が揃っており、小型空母では『零戦』等軽量旧式の機体を運用する事になり、『烈風』は緊急時か輸送時のみ搭載される事になる。


前述した通り開発開始から約1年経った41年末に木型審査が行われ、様々な所を比較検討した結果、第Ⅱ案が『15試艦戦』として開発を継続する事が決定された。

ただしエンジンを「三菱 ハ43『狼星』」から「共同 ハ47『絆』」への換装を航技研から命じられる。理由は母艦搭載機のエンジンを統一する事で整備性を良くしたいとの事。

設計陣からは当然抗議の声があがったが、『絆』は自社の『金星/狼星』をベースに作られたエンジンであり、また艦上機のエンジンを統一するという理由に関しては納得できたため、急遽設計を『絆』に合ったものに変更する事となった。

『絆』と『狼星』では直径が50㎜も違うため、胴体を一回り細くする必要があったが、そのおかげで自重が若干ではあるが軽くなった。ただ重心も変わったためその対応の必要も出てきたが、その変更点はわずかで済んだ。

そうして42年初めから新たな設計図が描かれたが、『狼星』搭載の図面がしっかりしていたため短期間で再設計は終了し、初夏には零号機と初号機が完成する異様なまでのスピード開発となった。

しかしここからは一般的なスピードに落ち着く。機体そのものに目立った問題点などはなかったのだが、『絆』エンジンの熟成の方が追いつかず(もちろん完成はしていたのだが、量産ともなると不具合が生じる可能性が残っていたため、耐久試験が念入りに行われていたため)、

少数の試作機(10機足らず)を用いて性能審査や『烈風』での戦術研究が半年に渡り徹底的に行われた。

その結果43年初めの量産開始時には問題点はほとんど無くなり、三菱の工場では『零戦』の生産ラインの大半を『烈風』に切り替える作業に追われる事になる。

もちろん他社でも転換生産はされたが、治具などの関係で転換生産が本格化したのは【第2次ミッドウェイ海戦】の後になってしまった。

しかも一番生産力がある中島は『烈風』の転換生産を拒否。自社製飛行機の生産と『零戦』の転換生産で手一杯という理由だったが、『疾風』が正式採用されながらも『烈風』の生産が優先された事に対する反発という意見もある。

そのために三菱では『零戦』の自社生産を大幅に縮小し、中島等他社に委託するしか『烈風』の大量生産は難しくなった。

それでも43年4月の正式採用以来順調に生産は行われ、母艦搭載機が優先されたが、陸空軍が運用する陸上型も秋以降順次部隊へと引き渡された。


『烈風』の初陣は前述した【第2次ミッドウェイ海戦】(43年6月)。大型空母を中心に100機以上が投入され、ライバル機でやはり初陣であった「グラマン F6F『ヘルキャット』」を圧倒した。

これは数でもわずかに上回っていただけでなく、アメリカ側が「日本の戦闘機は『零戦』のみ」という先入観からパイロット達が対応しきれなかったという事もある。

それだけでなく日本側は「3式艦上戦闘機『白燕』」や「2式艦上戦闘機『征風』」、「『零戦』43型」(1400hp級の新型)に少数ながら「艦上型『疾風』」と新型機のオンパレードで、アメリカ側は「ヴォート F4U『コルセア』」はその時点ではその離着陸性能の低さから空母には搭載されておらず、大半の艦上戦闘機が1世代前の「グラマン F4F『ワイルドキャット』」だったため、その性能差で押し切られる形になった。

それでもミッドウェイの陸上機と協力して日本空母を自沈処分にまで追いやったのはアメリカ軍の意地と言えよう。

【第2次ミッドウェイ海戦】後、すぐに日米の間で一種の休戦協定が結ばれ、それが他の国にも広がり【海軍休暇】と呼ばれる44年末まで海軍戦力の使用不可という静かな海が訪れた。

そのために『烈風』が母艦上で活躍する機会は当面お預けになってしまったが、その分空軍所属の陸上型『烈風』は大陸において大活躍をみせる。

「ノースアメリカン P-51『ムスタング』」の初期型や「リパブリック P-47『サンダーボルト』」相手に優位に戦いを進めていき、大陸奥部に建設が進められていた「ボーイング B-29『スーパーフォートレス』」の基地の工事を大幅に遅らせる事ができた。

【海軍休暇】明けの45年に入るとすぐに両軍とも再建なった機動部隊の小競り合いが始まり、『烈風』もようやく本領発揮の場が与えられたのだが、同年夏に次期艦戦「橘 5式戦闘機『陣風』」が登場すると次第に主力の座から降ろされていき、

かといって補助戦闘機の位置には『白燕』ががっちりと居座っていたため、艦上戦闘機としての『烈風』はあまり活躍することなく、『零戦』と『陣風』のつなぎとしてしか見られなかった。


『烈風』は『零戦』と同じように最初から完成された戦闘機だったため、あまり改良が求められなかった(その点は『零戦』と異なる)。

三菱も次期艦戦はジェットだと考えていたため積極的に『烈風』の改修は行わず、型番が変わる程の変更は主力戦闘機であるにも関わらず意外と少ない。

もっとも型番に現れない変更、例えば武装の追加や搭載装備の変更などはこまめに行われ、使い勝手はどんどん良くなっていった。



■諸元表


★三菱 3式艦上戦闘機『烈風』11型


全長:10.0m、全幅:12.5m、主翼面積:25.0㎡

自重:2.75t、全備重量:4.00t(正規)、燃料搭載量:840+300L

発動機:「共同『絆』1x型」2000hp

最高速度:643㎞/h、巡航速度:425㎞/h(40%巡航時)

航続距離:1983㎞~2691㎞

翼面荷重:160.0㎏/㎡、馬力荷重:2.000㎏/hp

固定武装:『0式20㎜機銃』×4


※上記のスペックは現在検討中のもので、仕様変更や計算違いが見つかり次第変更されます。



■ムラリンとガンちゃんの総括(笑)


ム:いやぁ~、1回目がこの前私達が[いんたーみっしょん]で紹介したばかりの『烈風』とは驚いたね~。

ガ:えっ!? 挨拶もなしにいきなり始めるの? まあ恥ずかしいからその方がありがたいのだけど…

それはね、[いんたーみっしょん]と[【ヨアケマエ】世界の兵器紹介]の違いを分かりやすく見せるために、敢えて『烈風』を取り上げたみたいなのよ。

[いんたーみっしょん]より細かい所まで書かれていて、分かりやすいでしょ?

ム:まあ細かい説明が書き込まれてるから勉強にはなるけど、ある程度知識がないと難しいよ~。

ガ:その辺は作者も分かっている。それを承知で『烈風』の開発経緯や兵器としての特徴、そして開発陣の苦労とかも盛り込んだのよ。

まあ、作者も作者も最初という事で、ちょっと力が入りすぎたみたい。だから次からはもう少し気軽に読んでもらえるものになると思うわ。ただあの作者の事だから、やっぱり今回みたいになってしまうかも知れないけど。

ム:もう少し分かりやすくなるようお願いしまーす。

で、次は何を紹介するの?

ガ:それはまだ決めていないみたい。「兵器紹介」シリーズとの違いを鮮明にするために『99式局地戦闘機』を扱うのもアリだとは思うけど、なんか二番煎じな気もするし、基礎情報なら割としっかり書かれているから、今すぐに扱う必要はないと思うわ。

ム:それじゃあ何が出てくるか楽しみに待ってればいいんだね。

ガ:それは読者の皆様にもお願いしたいわ。だけどこの話を公開した時点で[零号烈風]がまだ完結していないから、そちらにも力を入れないといけないし、次の話を公開できるのがいつになるかは分からないけどね。

ム:じゃあ待ってる。作者をせっつきながら。

ガ:それがいいと思うわ。

それでは読者の皆様も次回を楽しみにお待ちください。期待に沿えるかは作者次第ですが、私達共々頑張っていきますのでよろしくお願いいたします。

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