-Prologue- 月の沙漠にて
これは、とある魔法使いと、しがない行商人の物語
冷たい月明かりに照らされた白銀の砂漠に二人分の人の影が落ちる。静けさに包まれた春の夜の砂漠には、彼らの進む足音だけが響いていた……。
しばらくの間、彼らの間には沈黙が続いていたが、ふいに二人のうちの片方が口を開いた。
「もう、夜中じゃないか……。私はちょっと休みたいのだが。」
茜色のターバンを巻いた褐色の肌の青年が、重い荷物を背負いなおしながら隣を歩く金髪の青年に告げる。
「仕方がないよ、ウスバ。僕たちは明後日の朝までにこの手紙を、この砂漠を超えた先にある国、メディシン・アラートの王宮まで届けないといけないのだから。」
……そう返した青年は奇妙な格好をしていた。褐色の肌の青年とは対照的な、金髪に真っ白い肌。麻袋の一部をくりぬきそのまま被ったような服に、大量の黄金色に光る装飾をつけていた。また、沙漠の塵を防ぐためのストールのようなものを首に巻き、おそらくはこちらも防塵のためなのだろう、青年の顔の半分を覆うであろう巨大なゴーグルをつけていた。しかし、それよりも目立っているのはその青年が持つ身の丈ほどある、まるで錫杖のようなものだった。その先端にはランプのような硝子でできた円形の筒がついていた。筒の中には青白い炎がぽうぽうと燃えており、二人の歩く道をただ静かに照らしていた。
そして、ウスバと呼ばれた青年は、ムッと顔をしかめた。
「……そうだな。私はただのしがない行商人だ。君と違って体力もない。それに君はいくらでもこの沙漠を早くこえる方法を持っているじゃないか。君は大鷲にでもなってすぐにでも飛んで行ける。そうだろう? 大魔法使いロト様? 」
……魔法使い。それはこの、砂漠に覆われた世界において必要不可欠な存在であった。世界を形作る5つの気……炎、水、風、地、雷を司る精霊たちと契約をし、奇跡を起こす。また、医学薬学に長け人々を癒す仕事である。ロトはそんな魔法使いの一人であり、各地を巡り人々を助けている。錫杖のような彼のランプは所謂「魔法使いの杖」のようなものである。本来ならばニワトコなどの神聖な木などの枝から作ったりするのだが、彼はそのランプが杖の代わりらしい。
「ね、そんなにすねないでよ。『大魔法使い』だなんて僕はそんなたいそうなものじゃあないよ。ちょっとだけ奇跡を起こせるくらいだ。それに、動物に変化することなんて人間が簡単にやっていいことじゃあないんだ。魔法使いは世界の節理を曲げてしまうことができる、だから魔法を使うにはより慎重にならないといけないんだよ。それに僕は一人だとまた誰かに騙されてしまうからさ。」
ウスバは内心不安だった。ロトはこういってくれるものの本当は足手まといと思っているのではないか、と。だが、ロトのへにゃ、とした笑顔を見ると何かを諦めたようにわざとらしく大きなため息をついた。
「本当、君はすぐに騙される……。どうしようもないやつだ。しかも一人では料理も作れないし」
「ははは、手厳しいなあ。ウスバは。……まあでも、もう休みをいれないで結構歩いたよね、わかったよ。少し休憩しようか。」
ロトはそういいながら、手に持っていたランプを地面に置いた。それを見たウスバは「やっと休憩か」とぶつぶつ文句を漏らしながら背負っていた荷物を置き、手際よく道具を取り出し湯を沸かし始めた。
「いつも思うのだが、どうして君はそんなに荷物が少ないんだ? いくらなんでも少なすぎるだろう。」
ロトの荷物はほぼなく、麻袋のような服の下にかろうじて持っている数種類の薬品のビン程度である。それに対してウスバは小柄な彼の体の半分ほどを占めるリュックに、商品の他、湯を沸かすための道具や、何日か分の食糧、茶葉、ノートとペン、寝る時のための毛布、虫眼鏡コンパス、計算をするときに使うそろばんなどが入っている。
「旅をするのにそんなに多くのものは必要ないよ。本当はこの薬だっていらないくらいさ。そこらへんに生えている薬草でどうにかできるしね。でも、今は沙漠だから万が一に備えて少しだけ持っているんだよ。」
「そういえば、君は食事もとらなくても平気なクチだったな。」
ウスバはそう言いながら、慣れた手つきでポッドの中にスプーンで二人分の茶葉を入れる。紅茶なんて高いものは買うことが出来ないから、ウスバがロトに学んだ薬草の知識から作ったハーブティーである。
「これも本当は大事な商品なんだからな。ちゃんと大切に飲めよ。……あ、でも感想は聞かせてほしい。今回のは飲みやすいように柑橘系のやつを入れてみたんだ……。」
「はいはい、ありがとうね。ウスバ。」
仏頂面でロトの分のお茶を渡すウスバをロトは微笑ましく見つめた。
「なっ……なんだよ。何か、おかしいか?」
「ううん、おかしくはないけどさ。なんか、こういうものいいなあって改めて思っただけだよ。……ほら、僕はこんなイカれた体だろう?だから、ずっと一人で旅をしてきた。それはそれで楽しくないわけじゃなかったけどさ。僕は、君が一緒についてきてくれること本当に感謝してるよ。決して足手まといなんて思ってないさ。」
「自分は足手まとい」と考えていたことを図星に刺されたウスバは狼狽える。そして、目をそらしわざとらしく咳払いすると、
「そ、そういえば私たちが出会ったのも、こんな春の月が綺麗な夜だったな……って。」
と話をそらした。
「ああ、そうだね。もうそろそろ2年になるのか……。早いものだね。それにしても、君は丸くなったよ。ほんとに。だって、あの頃の君は……」
ロトはそういって目をつぶり昔話を始めた。ウスバはそんな彼を見て呆れた顔をしながら隣に座ったのだった。