表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヒロインになれない七伏冬子はヒロインになりたい  作者: 音部 軽
一話:その日、空からパンツが降ってきた
2/4

(1)

 例えば。

 ある日突然、翼の生えた全裸の女の子が空から降ってきたり。

 ある日突然、学校一の美少女と体が入れ替わってしまったり。

 ある日突然、名家のお嬢様ばかりが通う女子校に転入することになってしまったり。

 ある日突然、異能の力に目覚めて謎の組織と戦うことになったり。

 どれもこれも物語の中ではよくある話。だが現実には絶対にあり得ない話。物語と現実の間には決して乗り越えることのできない隔たりが存在している――なんてのは言うまでもなく現代社会における常識だ。

 だが常識は絶対ではない。人間の想像力に秘められた可能性は無限大だ。かつて鳥に代わって空を飛びたいと願ったライト兄弟のように、あるいはランプや蝋燭に代わるまったく新しい照明器具を作り出したエジソンのように。どんな夢物語であっても夢に描くことができるのならば決して叶わぬ夢じゃない。太古の昔から現在に至るまでそのことを証明し続けてきたのが人間という生き物だ。

 想像は夢のスタートライン。その道がゴールに届くかどうかは本人の努力次第。できるかできないかじゃなく、やるかやらないか。人の夢というものはそう語られるものであるべきだと俺は強く信じている。

「……であるからして、生徒の皆さんには心身ともに気を引き締め、季節の変わり目に風邪など引かぬよう注意してほしいと思います。私の話は以上です」

「校長先生、ありがとうございました」

 九月某日。都立甲南高校講堂。朝八時三十分現在、ここでは月に一度の全校集会が行われていた。

 そんな中、俺は熱い思いを胸に秘め、じっとその時が訪れるのを待ち続けていた。

「続きまして、美化委員会より校外清掃のお知らせです。大久保君、お願いします。…………大久保君? 美化委員の大久保君?」

 ここまではつつがなく進行していた全校集会。だが教頭の呼びかけに対して担当の生徒がいつまでも姿を現さないことから、講堂の空気が少しずつ波を帯びていく。その小さな『非日常』の波が全校中に伝わっていったのを見極めてから、俺は満を持してその場から立ち上がった。

 全校生徒の視線が一斉に俺へと集中する。ざわめきを背負ったままステージの上まで歩を進めた俺は、その場で一礼してからマイクを握り締めて告げる。

「おはようございます。美化委員会とは縁もゆかりもない二年一組の北崎稲荷です。突然ですが、この場を借りてみなさんに聞いてほしいことがあります」

 常識は絶対じゃない。強い信念に基づいた行動は必ずや世界に変革をもたらす。

 そのことを証明するために、俺は声も高らかに宣言する。


「本日より、女子生徒のパンツの着用を禁止とすることをここに提案いたします」


 全校中の空気が主に女子方面で凍り付いた。お構いなしに俺は続ける。

「清楚で凛とし、慎ましやかで、心身ともに美しい女性のことをこの国ではかつて大和撫子と呼びました。しかし今、そのような女性はほとんど姿を消そうとしています。はっきり申し上げて俺は日本の将来を案じています。ひいては若者の将来を案じています。学力の低下、服装の乱れ、政治への無関心、爛れきった貞操観念。実例を挙げれば枚挙に暇がありません。このような現状は一刻も早く正されるべきであると俺は考えています」

「……ちょ、ちょっと君! いったい何を――なっ、なんだね君たちはっ! 離しなさい!」

 事態を把握した教頭が大慌てでステージへと駆け寄ってくる。だがそんな教頭を即座に数人の男子生徒が取り囲む。身動きが取れずに慌てふためく教頭。そんな中、俺は教頭を取り囲む男子たちと一瞬だけ視線を交錯させる。俺たちは互いに小さく頷き、必ずや自分たちの役割を果たすという決意を伝え合った。

 彼らはみな事前に俺の計画に賛同を示してくれた有志たちだ。こうして全校生徒の前で話をする機会を与えてくれた美化委員の大久保もその内の一人。彼らは自らが共犯となるリスクも恐れずに俺に手を貸してくれたのだ。

 そんな俺たちの心を、夢を繋いだものは何なのか。

「では、なぜ大和撫子はこの国から姿を消してしまったのか。昔と今の日本の違いがいったいどこにあるのか。――その原因こそが、パンツです」

 そうだ。

 パンツだ。

 パンツである。

「大和撫子という存在が普遍的なものであったのは戦前、昭和初期までのこと。そして、日本の女性が下着を身に着けるようになったのもちょうど昭和初期のことです。それまで下着は男性だけのものであり、かつての女性はみなノーパンのまま日常生活を送っていたのです。もしも道端で転ぼうものなら即座に着物の下が丸見えになってしまう。常にそういった緊張下に置かれていたからこそ、当時の女性は己の所作すべてに気を払い、いかなる時も貞淑たらんという意識を持ち続けることができていたのではないでしょうか」

「な、何を言っているんだ、あいつは……?」

「だ、誰かあのアホを止めろ! 北崎め、いったい何度学校を騒がせれば気が済むんだ!」

「いやしかし、彼の言っていることも確かに一理あると思いますぞい」

「中井先生!? 教師歴四十年の大ベテランの貴方ともあろうものがなんたる発言を!」

「長く教師をやっているからこそですな。今と昔は違う。凝り固まった固定概念に縛られた教育は生徒を不幸にします。最初からすべてを否定するのではなく、まずは生徒の話に耳を傾けてみることも肝要かと。そうよな、お前さんや」

「だめだ! この爺さんボケてやがる!」

 大わらわの教師陣を横目に俺はさらにノーパンと大和撫子の関係を熱く説き続けた。もちろんこんなものはすべて建前だ。だが人の心を動かすことができるのならば建前だって立派な手段。現に、先ほどまで戸惑いに包まれていた講堂には次第に熱気の渦が広がりつつあった。

「以上の観点から、ノーパンという文化こそが大和撫子を作り上げてきた背景であることに疑いはないと思います。温故知新という言葉にあるように、全校女子のみなさんには今一度、パンツを脱ぎ捨てることで大和撫子としての誇りを思い出してほしいのです」

 その言葉に全校中の男子が一斉に沸き立った。北崎! 北崎! という万雷の北崎コールが講堂中を満たしていく。これだ。俺が欲しかったのはこの空気だ。集団を説得するために必要なのは爆発的な熱狂だ。

 この流れなら言える。俺はいっそう滑らかな口調で続けた。

「そこで俺は『パンツ管理委員会』の設立を提案します。これは毎朝登校してきた女子からその場でパンツを受け取り、下校時間まで厳重にパンツを管理するという非常に重い責任が求められる委員会です。もちろん委員長は俺が務めさせていただくつもりです。我こそはと思う方がいらっしゃればぜひとも立ち上げに参加していただきたいと思います」

 何百人もの男子から快哉と賛同の声が上がる。ここまで来ればあと一押しだ。先ほどからずっと顔を伏せたまま沈黙を保ち続けている女子生徒に向かって、俺は満面の笑みで是非を問いかける。

「どうでしょうか、女子の皆さ――」

 その言葉を言い終わる間もなく。

 全校女子の視線が銃弾のごとく俺の体に降り注いできた。

「ふっざけんな北崎!!」

「死ねや!!」

「意味わかんねえこと言ってんじゃねぇよ!!」

「引っ込めキモ崎!!」

「消え失せろ!!」

「黙れやゴキブリ!!」

「ぶっ殺すぞ変態!!」

 果たして答えは是非もなく。

 それまで静まり返っていた全校女子の感情が猛烈な勢いで爆発した。

「あいつを引きずり降ろせ!!」

「八つ裂きにしろ!!」

「焼き払え!!」

「絞め殺せ!!」

 講堂は一瞬のうちに暴動の渦へと飲み込まれていった。あちらこちらから飛び交う野次はもちろんのこと、俺に向かって上履きを投げてくる者、直接檀上に乗り込んで俺を引きずり下ろそうとしてくる者、さらには怒りが飛び火して男女間で激しく言い争う者まで現れる始末。こうなってしまってはもう話どころではない。怒涛のごとく押し寄せてくる女子の大群を前に、俺はまたしても己の計画が失敗に終わってしまったことを悟った。

 だが俺は決して諦めない。ライト兄弟やエジソンだって最初からその偉業を認められていたわけじゃない。幾百幾千と失敗を重ね、それでもたった一度の成功の瞬間まで決して諦めなかったからこそ彼らは偉人となったのだ。

 ゆえに俺は逃げも隠れもしない。この全身をもってお前たちの怒りを受け入れよう。殴りたければ好きなだけ殴ればいい。そんなものすべてご褒美だ。

「――――俺は!!」

 者どもよ。夢なき三次元の女たちよ。

 よく聞いておくがいい、俺の覚悟と信念を。

「――――どんな手を使ってでも!! お前たちのパンツを脱がせてみせる!!」

 校舎中に俺の魂の咆哮が響き渡る。直後、あれだけの混乱に包まれていた講堂がしんと静まり返った。男子も、女子も、教師ですらもしんと静まり返った状態で俺の姿を見上げていた。そのうち女子の大半はまるで理解できないものを見るような目で。

 これでいい。今はまだ。だがいつの日かきっと、俺のことを理解してくれる女子――俺だけのヒロインと出会えることを願って、俺は大きく天を仰いだ。

 誰もが言葉を失い、ただひたすらにその場に立ち尽くす中。

「職員室」

 白衣姿の担任教師は、死んだ魚のような目を浮かべてそう告げた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ