路地裏バー2
毎回短めでいくといったな、あれは嘘だ。
※こういうときもあります。
ユズキが目を覚ますと、そこは路地裏ではなく、どこか見知らぬ家のリビングだった。
より正確に言えば、木製のテーブルの椅子にユズキは座っていた。先ほどまで座っていたはずの、古い年期のはいったベンチではない。――どうやら自分はあのベンチで寝てしまい、何者かによってここへ運びこまれてきてしまったらしい。
「あ、目覚めた?」
と、その時、唐突に明るい声が聞こえた。
ユズキが声のした方へ目をやると、そこには、制服姿の少女が立っていた。年はたぶん、高校生くらい。――もしかして、彼女が僕をここへ?
「君名前は? 何年生?」
「……ユズキです。五年生」
ユズキはおそるおそる答えた。
「ユズキくんか……」少女はうんうんと頷く。「お腹空いてるでしょ」
「ええ、まあ」
「夕食出来てるからさ、とりあえず食べてよ」
「はあ」
少女は両手を合わせていただきますをすると、早速夕食を取り始める。少女は箸でカットされたジャガイモをつまむと、仕草でもう一度食べてと言った。ここまで言われたら断りづらい。仕方なく、ユズキも夕食を取り始める。
テーブルには肉じゃが、ごはん、味噌汁が並んでいる。どれも出来たてで、まだ湯気が立っている。ユズキは最初、警戒しつつ肉じゃがとごはんを食べていたが、その内すぐ箸が止まらなくなった。――おいしい。こんなにおいしい夕食を食べたのは久しぶりだ。彼女が全部作ったのだろうか。
食べながら、少女は言った。
「パパがね、ユズキくんを運んできたんだ」
「ここへ?」
「そう」
――想像した通りだ。僕はやっぱり運ばれてきた。でも……。
「どうして?」
「さあ。私は何も聞いてない。パパにきけば?」
「父親は今どこへ?」
「一階よ」
「ちょっと行ってきます」
「待って」
そう言うと少女は、しゃもじを持って立ち上がる。
「その前に、おかわりしてく?」
「あ、じゃあ……いただきます」
・
二階玄関で靴を履き、ユズキは階段を下りていく。下りながら、ユズキはリビングを出ていく寸前の、少女との会話を思い出した。パパは今仕事中だから、あんまり長居しないでね。仕事? バーよ、バー。はあ、バーですか? そう。パパはそこで、バーテンダーをやってるの。
バーとバーテンダーという単語に、ユズキはあまりぴんとこなかった。バーというのは夜に大人が酒を飲みに来るお店のことで、バーテンダーは確か、カウンターでシェーカーをしゃかしゃか振っている人のことだ。
そんなことを考えているうちに、一階につく。
一階は少女が言っていた通り、何の変哲もない普通のバーだった。ただ、想像よりいくらか広い。カウンターと、円盤状のテーブルが五台ほど。テーブル一台につき椅子が二つ配置されていて、客がちらほら座っている。
店内には、ユズキの知らないジャズのBGM。
ユズキはこのバーに対して、なにか、「昔ながら」のような雰囲気を感じた。こういう感じは嫌いではない。むしろ好きだ。かっこ良い表現方法だと、たしか「レトロ」とかいったか。
――そんなことより、バーテンダーの父親は?
改めてカウンター席に目をやる。すると、
「いた」
男のバーテンダーが、カウンターの中で静かにグラスを磨いている。
バーテン服の両裾を肘までまくっている男の印象は、いつも物静かそうに立っているユズキのバーテンダーに対するイメージとはまるでかけ離れていた。
――そのことについては確かに驚いた。しかし、同時にユズキはがっかりもした。この男はシェーカーを振っていない。バーテンダーがシャーカーを振っているのを、一度なまで見てみたかったのに、残念だ。
男はがっちりとした体つき。まるで軍人みたいだ、とユズキは思う。着ているバーテン服が、何かの冗談みたいにぱんぱんに膨らんでいる。今にもはち切れてしまいそうだ。
「………」
さすがに少しこわかったが、ユズキは勇気を出してカウンターの中へ入って行った。
男におそるおそる声をかける。
「すみません」
「うん?」
男がユズキに気がついた。そして振り向くと、
「ああ、目覚めたのか。思いのほかぐっすり眠ってたな」
いかつい見た目とは裏腹に、かなりフレンドリーな感じの口調。
ユズキは内心ほっとした。――案外優しい人なのかも。
「はい。おかげさまで」
ユズキは答える。
「そうか」
「あの、あなたが僕をここへ?」
「そうだよ」男は微笑む。「疑問か?」
「はい。どうして?」本日二度目のセリフ。
「ベンチでぐったりしている子供を、ほおってはおけないだろ」
当たり前のこと聞くなよ、と言ったような感じだ。
「ところでお前、一人で家まで帰れるか?」
「え?」ユズキはドキッとした。
「その様子じゃ疲れもとれただろ。早く家に帰ると良い」
「いや、それはちょっと……」
「なんだ、帰りたくないのか?」
その時、ハハハ、とカウンター席から笑い声が聞こえた。
見ると、少し酒の入った中年男が、ユズキのことをまじまじと見ている。
中年男はグラスの酒を飲みながら、ユズキにこう言った。
「さては君、家出でもしたんだろう」
――それは少し違うな、とユズキは心の中で呟く。
「そうなのか?」と男。
「え……ええ、まあそんな感じです」とユズキ。
「どうして家出を?」と中年男。
えっと、ユズキはとっさに答える。
「ちょっと修業をしたいと思いまして」
「修業?」
「はい。自分磨きの修業です」
また中年男が笑う。
「それなら、しばらくここで働けばいい」
一瞬、耳を疑った。
「どうだヒロシゲ。悪くないだろ」
「……ああ、確かに」
「え」
男はニヤリとして、呟く。
「最近客が増えて、丁度人を雇おうと思ってたんだ。こんな子供なら人件費も飴玉とかでまかなえそうだし――――うん。悪くない」
「え?」
「決まりだ」
男はユズキの肩をぽんと叩いた。
「お前、今日からここで働け」
・
「あ、おかえり。パパなんて?」
ユズキが二階のリビングへ戻ると、少女がいきなり訊いてきた。
「ここで働けと」
ユズキは茫然として答える。
しばらく沈黙したのち、ユズキは少女に大爆笑された。