災厄の龍
ファルタナス王国。
古の勇者が建国したとするこの国は治安もよく、魔物も少ないため住みやすい。
王都『ベルティア』は国中央に位置している。
現国王、サルタス・エスティアード・ファルタナス十六世は、騎士王としても また善王としても国民から好かれる優秀な王である。
そのサルタス国王は飾りっけのない執務室で頭を抱えていた。先ほど起こった地震が原因だ。
西の方角から恐ろしい爆発音とともに激しく地が揺れ、大量の魔力が放出された。
天変地異の前触れかと国民達が不安になっている。この事態を何とか収拾せねばと、王は急いで調査するよう命じた。
自然が人為か。どちらにしろあれほどの魔力を有する何かを、どう対処すればいいのか思い悩んでいた。
「国王様!」
兵が慌てて入ってくる。
彼が持ってきたものが善き報せでないことは、その慌て振りから直ぐに分かった。
悪いことは連鎖するものだ。
王は静かに兵の言葉を待った。
「災厄龍が!」
その言葉に王は苦々しげに顔を顰めた。
王都の西に位置する『エレルベル山』。隣国との境にある彼の山には大昔から災厄龍と呼ばれる龍が眠っていると伝えられてきた。
古の勇者も戦ったとするその龍が今王都に向かっている。
先ほどの地震はあやつが……。
未だ地震の原因は掴めていない。
厄介事が二つのなのか一つなのか、それすらも分かっていないこの状況。
正しく王国存亡の危機が迫ってた。
王は急ぎ大臣達を招集すると、王都にある兵力を確認、冒険者ギルドにも協力を要請した。災厄龍を迎え撃つつもりだ。
無謀な賭けであることは、誰の目にも明らかだった。しかし、国民を逃がす時間のない今、どうにかしてあの龍を止めなければならなかった。
勇者が一人でも滞在していてくれたら。
意味のないことだったが、誰もがそう考えていた。
近衛騎士団長、アーサー・フォン・ハインリヒは、王の命により全騎士団の指揮を任され、急ぎ王都から数キロ離れた西の平野にて災厄龍を迎え撃つ準備をしていた。
陽は落ち、辺りを闇が支配していく。
その暗闇の中で銀色の鎧を身に纏ったアーサーの笑みが浮かぶ。
騎士然とした姿とはかけ離れた醜悪な笑みだ。
目鼻立ちが整っている分、余計にそう見えた。
伝説の魔物と戦える。
これは騎士を目指したものなら、誰もが子供の頃のに夢見た状況だった。
剣聖の名を他国にも轟かせているアーサー。負けるなどいう考えは微塵もなかった。
自分達になら、いや、自分なら災厄龍を退けられる。王都に帰るときは英雄だ。
蓄えられた短い髭を摩りながら思いに耽る。
剣聖という実力がこの壮年の騎士に自信を与えていた。
冒険者ギルドの長、ミラッカ・フォレス・エンデマンも王国騎士団と同じく災厄龍討伐のため冒険者たちの指揮を執り、準備を進めていた。しかし、心持ちはアーサーと真逆である。
三百年生きたエルフとしての知恵。先代ギルド長からの教え、そして何より冒険者としての自身の経験と勘が危険信号を送っていたからだ。
自分達が死ぬだけで済むなら御の字であろうが……。
それがミラッカの出したこの戦いの結末である。
どこか浮き足立っているアーサーを横目に、ミラッカは震える手を握り締めた。
美しい相貌が決意で歪む。
王都の人間が逃げ切るだけの時間を作るだけでいい。あとは自分を慕うこの冒険者達を逃がす。それがギルド長としての自分の仕事だ。
自分の命を賭ける覚悟はできた。
大きく息を吸い、腹に力を入れる。
「野郎ども! さっさと終わらせて酒だ! 私が奢る! 浴びるほど飲ませてやるから死ぬんじゃねぇぞ!」
ミラッカの女性とは思えぬ叫びに鼓舞され、この場にいる冒険者は皆一斉に雄叫びを奮う。
「下賎な人間はこれだから困る」
アーサーは忌々しげにミラッカを睨んだ。
災厄龍は既にはっきりと捉えられる距離まで近づいてきていた。
その姿は実に禍々しい。全身は傷だらけ、羽はボロボロ。しかし、その目は爛々と紅く、まるで宝石の様。災厄に相応しい姿だった。
その姿を見て尚、ここに集まる戦士達は戦意を失わない。
冒険者と騎士、正確な数は分からないが少なくとも千人以上は集まっている。皆、魔力を練り上げ、いつでも戦える体制だった。
「「いいか! 合図とともにスキルを一斉に放て」」
ミラッカ、アーサー、二人の声が響き渡る。
刻一刻と災厄龍は距離を縮め、そして――。
「「撃てぇぇぇぇ!」」
一斉に魔力が爆発する。
剣術、魔術、弓術、投擲。この場にいる全員が遠距離から一斉に様々なスキルを撃つ。それら全てが爆煙を上げて災厄龍に被弾していく。
「やったか」
魔力を使い切り攻撃の手が止んだ時、誰かが小さく呟いた。
魔力の枯渇に眩暈を起こしながら、しかし誰も回復はせず固唾を呑んで爆煙を見つめる。
皆確かに手ごたえを感じていた。しかし――。
「――――――――――!」
爆煙を切り裂いたのは災厄龍の咆哮だった。
その場に止まり、宙に浮いたまま、まるで観察するかの如く災厄龍はミラッカたちを観ていた。
ミラッカに驚きはなかった。
こんな攻撃で倒せていたら勇者が倒している。
「魔力の回復を急げ!」
ミラッカは急ぎ指示を出す。
放心していたものたちは我に返り、手持ちの薬を飲んでいく。しかし、その表情は険しい。
本々傷だらけの龍であった。今の攻撃で傷を付けれたのか判断ができない。いや、皆気づいていた。あの攻撃では掠り傷すら与えられなかったと。
それでも、冒険者達の士気は下がらない。
ミラッカという人望厚きギルド長が前線で指揮を取っているからだ。
それは騎士団も同じだった。
アーサーという名高き剣聖がいる。それだけで、この状況を切り抜けることなど容易いと、王国の兵達は信じていた。
当のアーサーは不敵な笑みを浮かべていた。
この龍こそ自分が屠るに相応しい存在だと。
自分の名が更に世界に轟くことになる。それが嬉しくて仕方がない。
アーサーは兵全員が魔力を回復したのを見届けると、魔術師達に次の攻撃を指示し、剣を構える。
「何も恐れることはない! この剣聖アーサーがついている! 高がドラゴンの一匹恐るるに足らず! 皆! 突撃ぃぃぃぃぃ!」
この言葉に兵達は武器を構え、災厄龍の元へと突進していく、
無謀すぎる。
ミラッカは憤りを感じた。
あれでは兵達の命を無駄にするだけだ。これでは王都に住む人たちを守ることなど到底出来はしない。
「やめろ! 無謀すぎる!」
後方で佇むアーサーに怒声を放つ。
しかし、ミラッカの叫びは兵達の咆哮で力なく霧散する。
その場で動かず宙に浮かんでいた災厄龍は、気だるそうに動き出す。
――ブレス攻撃!
ミラッカは直感でそう判断した。
「皆! 退け!」
ミラッカの叫びとともに災厄龍は紫の霧を吐き出す。
その深い霧が辺り一面に撒き散らされ、兵達を飲み込んでいく。
瞬時に後退したミラッカと冒険者達、そしてアーサーと少数の霧から逃れた兵は我が目を疑った。
血を吐く者。
体が腐っていく者。
体が溶けていく者。
殺し合いを始める者。
そこは正しくこの世の終わりだった。
霧の中に浮かぶ巨影は静かにそこに浮かんでいる。
災厄龍にとって今のは集る羽虫を振り落としたに過ぎない。
アーサーはようやく恐怖した。
早くこの場から逃げなくては自分は間違いなく死ぬ。
けれどその恐怖が足をその場に縫い付けていた。
ミラッカは諦めてはいなかった。
絶望して尚、活路を見出そうと急いで思考を巡らしていた。
しかし、ミラッカの作戦が纏まるよりも早く、災厄龍は動き出す。
霧のせいでミラッカにも何が来るのか予測出来なかった。
「皆! 退けぇぇ! 退いてくれぇぇぇぇぇ!」
ミラッカの悲痛な叫びは恐怖の前では誰の耳にも届かない。
駄目だ、間に合わない。
ミラッカには後悔の念しかなかった。
『どんなことがあっても、ギルドの家族を守れ。それがギルドの長となるものの役目だ』
先代ギルド長の言葉を守ることが出来なかった。
自分の力のなさが悔しくて、涙がこぼれる。
けれど、思考は止めない。目を瞑り必死に考える。ギルドの皆、いやここにいる全員を無事家族の許に帰す方法を。自分が死ぬその時まで。
「ミラッカさん、すいません」
振り返るとギルドの者たちが恐怖で顔を歪めながらも悔しそうにミラッカを見詰めていた。
こいつらを死なせたくない。
自分の力ではどうすることも出来なかった。
誰か――。
だから心の中で叫ぶしかなかった。
誰か助けてくれと。
グシャッ!
何かが潰れる音がした。
ミラッカが顔を戻すと巨影が崩れ落ちる光景が目に映った。
地響きを立て災厄龍はその巨体を地面に伏す。
その龍の上に人の影が立った。
長い髪を靡かせた、幼い少女のような影が。
ミラッカが忘れていた呼吸を思い出した時、この場にいるもの全ての耳に怒声が響いた。
「邪魔なんだよ! この蜥蜴が!」
脱字修正