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遠雷③~胸中の嵐~



 ドアベルが鳴る。コレットが「いらっしゃいませ」と言いかけて、息を呑む。

 やってきたのは、黒髪の細身の男。

 珍しい形の剣を二本腰にき、コレットに向かって両手を広げていた。

 名を呼んだコレットがカウンターから飛び出し、男の胸に――


 がばっ

 自室の寝台で、クラウスは跳ね起きた。部屋の中を見回す。室内はまだ真っ暗で、寝入ってからいくらも経っていないことがわかった。


(……夢か)


 両手で顔をごしごしとこする。額に、嫌な汗をかいていた。もう何度目だろう。先日、コレットの店で見た光景を、繰り返し夢に見ていた。

 今日はコレットが男に抱きつく前に目覚めたが、しっかり抱き合って楽しそうに会話をしているところを、延々と見させられることもあった。そんなとき、なぜか自分の足は固まって動かない。


(別に、いいじゃないか。彼女にだって、親しい男くらいいるだろう)


 クラウスがコレットと知り合ったのは、わずか一年半前だ。そのうち一年は客と店主という間柄で、ろくに話したことはなかった。お互いを知人の一人として認識し、話をするようになってからは半年ほどになる。最近は共に過ごす時間が増え、個人的な話をすることもあったが、たいていは菓子にまつわる話だった。

 クラウスがコレットについて知っていることといったら、出身がティル・ナ・ノーグではないことと、実家が菓子店であること。年が二十一であることくらいだ。クラウスも自分自身のことをあまり話した覚えがないから、コレットのほうとて、自分のことは知らないだろう。だからなんだということはないし、それで不便があるわけでもなかった。


(そうだ。不便は、ない。あれが誰であろうと、俺には関係ない)


 自分は、ティル・ナ・ノーグをよく知らないコレットの、菓子作りの協力をしているだけだ。もうしばらくして彼女がこの地に慣れれば、自分の役割などいらなくなるだろう。

 コレットの作る菓子は素晴らしい。元々評判はよかったが、菓子大会で優勝してからというもの、さらに店の名は有名になった。

 つい先日は、城内一の情報通であり美食家でも知られるメイド頭が、コレットの菓子の大ファンだと聞いた。城を抜け出して新作を買いにいくこともあるらしい。


「……」


 クラウスは、一人暗闇で息を吐く。

 明日も業務がある。少しでも眠ったほうがいいと、無理矢理目を閉じる。そして、またあの夢を見るのだ。

 ドアベルが鳴り、店に男がやってくる。

 カウンターを飛び出したコレットが男に抱きついたと思ったら、今度はなぜか自分の腕の中にいた。


『嬉しい! クラウス様、来てくださったんですね』


 満面の笑顔のコレットが、自分の胸に抱きついている。クラウスも、コレットの細い腰に手を回し、抱きしめていた。


『お疲れではありませんか。二階でお休みになりますか?』


 浮かんだのは、コレットの私室。一度だけ、夕食に誘われて入ったことがある。かわいらしい小物が随所に飾られており、コレットらしい温かな雰囲気に満ちていた。

 夢の中のコレットは、クラウスの胸に頬を寄せて、上目づかいに見上げてくる。


『お食事はいかがなさいますか? ……お泊りになられるでしょう?』


『……!』


 がばっ

 また、目が覚めた。なぜこんな夢を見る。あの笑顔は、あの言葉は、自分に向けられたものではないのに。


「くそっ」


 眠るのをあきらめたクラウスは、床に降りて腹筋運動を始めた。最近、分隊員たちにばかり訓練をさせて、自分は体を動かしていなかった。おかしな夢を見るのはそのせいだ。


「九十九、百! 一、二、三……」


 無心になるまで己の体を痛めつける。ようやく眠りについたのは、空が白み始めるころだった。




 翌週の公休日は、コレットの店の定休日とも重なっていた。これまでは欠かさずコレットとカフェめぐりに行っていたクラウスだったが、今日は会う約束はしていなかった。

 それは、コレットが定休日を作ってから初めてのことだった。

 いつもは、平日に菓子工房に立ち寄った際に約束をして、クラウスが迎えに行っていた。今週は、コレットの店でのことがあって以来、なぜか足が向かなかった。エメリッヒには、何度か行かなくていいのかと聞かれたが、別方面での任務が立て込んでいるとか、見習いの研修があるとか理由をつけて行かなかった。当然約束はできず、コレットから連絡が来ることもなく、休みが一日空いた。

 クラウスは、ごろりと自室の寝台に横になって、天井を眺める。連日の睡眠不足のせいで身体がだるく、何もする気が起きない。かといって眠って一日過ごすのも怠惰な気がする。

 コレットの店に行ってみようか。

 そんな考えも浮かぶ。もしかしたら、待っているかもしれない。


「……」


 今日何度目かの溜息が出る。


(俺を待ってなどいるわけがない。あの男は旅行者のようだった。ならば何日か滞在するだろう。その間、泊って……いるわけか)


 そう考えて、クラウスは胸をかきむしりたくなる衝動に駆られる。


(どうも、俺は自惚れていたようだな)


 女一人で店を切り盛りしているコレット。ティル・ナ・ノーグの人々の暮らしを守る騎士として、何か自分にできることがあればと思っていた。菓子作りへの協力や街の案内、見回りのときに店に寄るなどしていたのはそのためだ。コレットはその都度感謝をし、喜んでいた。しかし、それは別にクラウスでなければならないことではなかったのだ。菓子作りなら、メイド長のように足しげく通う客が自分以外にもいるだろうし、街の案内はメリルだってできる。コレットの店はすでに見回り先の一つとして分隊員たちも立ち寄っているから、クラウス自らが行く必要はない。嫌がらせとて、今はもうないはずだ。

 コレットにはコレットなりの人脈があり、付き合いがある。たかだか一度助けたくらいで頼られたつもりになって、いい気になるなどただの自己満足だ。

 彼女が一番に頼っているのは自分だと、自分だけが頼られていると思っていたのが、違っていた。それがショックだったのだろう。何が騎士だ。あさましいことこの上ない。

 連日の苛立ちをそう結論付けたクラウスは、コレットの店に行くのは止めて、クレイアのいる林檎菓子専門店“アフェール”に行くことにした。




 ティル・ナ・ノーグの中心にある噴水には、有名な彫刻家の手に依る妖精の像がある。中央には二対の羽をもつ天馬に座るニーヴ。その周りを水瓶を持った妖精たちが囲み、東西南北に続く大通りを向いて、清らかな水を注いでいる。

 この噴水は、人々の待ち合わせ場所として親しまれているほか、妖精の像に向かって硬貨を投げ、見事像にのれば願いが叶うという言い伝えがあり、ティル・ナ・ノーグ一の観光名所になっている。

 宿舎からアフェールへ向かう途中、この噴水の前を通り、何気なく人ごみに目をやったクラウスは、己の行動をすぐに後悔した。


 なぜ、気付いてしまったのか。


 噴水を挟んで向こう側に、腕を組んで楽しそうに歩く、コレットとあの男がいた。

 コレットは、時おり周りを指さして、何か話している。男は、彼女が指さした方向を見ては、一言二言返事をする。

 噴水の周りには、軽食を売る屋台ワゴンが並んでいる。二人はそれらを覗いて、何か買おうとしているようだ。

 男が、コレットの耳元で何か言った。

 コレットは、可笑しそうに笑った。


 見たくないのに、目が彼女を追う。


 何か、目当ての店があったのだろうか。コレットが男の手を引いて駆けだす。広場の地面をつついていた鳥が、一斉に飛び立った。幾筋か舞い落ちてきた鳥の羽根が、彼女の髪にひっかかる。男は自然な動作でそれを取り除き、コレットは当たり前のように髪に触れさせて、微笑んだ。


 胸が、痛い。動悸がするのではない。腹がざわつく感じとも違う。もっと、苦しい。

 原因のわからない身体の悲鳴に、これならば魔獣と剣を交えた方がよほどましだと、クラウスは思う。それでも目をそらすことはできず、クラウスは、コレットたちが雑踏に消えるまで、ただじっとその場に佇んでいた。






 コンコン

 扉がノックされる。


「分隊長?」


 珍しくノックをして入ってきたのは、エメリッヒだった。

 部屋の中は真っ暗で、返事もなかったことから、留守かと思って室内を見渡す。一通り首をめぐらせて、別の場所を探すか、と帰りかけたとき、暗闇にむくりと起き上がる影があった。


「わ! いらしたんですか。驚かさないでくださいよ。

 どうしたんですか? 宿舎の夕食にも来なかったそうですね。具合でも悪いんですか?」


 寝台の上で気配を消していたクラウスは、起き上がって、緩慢な動作で明かりをつける。


「変な物でも食ったんですか」


 エメリッヒが、ちらりと机の上の菓子箱を見やる。箱には“アフェール”と書いてあったが、未開封のようだった。

 クラウスは、うんともすんとも言わない。


「あのぅ……もしもし?」


 いくら口数が少ないと言っても、ここまで反応がないのはおかしい。いぶかしんだエメリッヒは、上司の顔を覗き込んだが、目をそらされてしまった。


「ふぅ。具合悪いなら医務室行った方がいいですよ。我慢しても碌なことないですからね。

 なんなら往診頼みましょうか? あ、いいですか。

 はいはい、俺の用事ですね。

 明後日からの演習のこと、コレットさんに言っておきましたよ」


 コレットの名を出した途端、クラウスがぴくりと反応した。「あー……」と天井を振り仰いだエメリッヒは、上司の不調の原因に思い至る。


「あのですね、この間会った人のことなんですけど」


「おまえは留守居だろう。演習場まで彼女に届けさせる気か?」


「え? いえ、宿舎ここまでですよ。ここから妖精の森までは、他の隊の誰か手の空いている者に届けさせます」


「そうか」


「あと闘技場からグリフィスキアが一頭逃げたらしくて、今、第七師団が追ってます。手が足りなければ演習中に出動がかかるかもしれません。そのときは俺が連絡係しますから」


「わかった」


 グリフィスキアは、険しい渓谷などに住む、大型の肉食獣だ。獅子のような肢体に巨大な翼を持ち、鱗に覆われた尻尾がある。人を襲うことは非常に稀だが、空腹時や負傷した個体に遭遇したときには注意が必要だ。

 ここ、ティル・ナ・ノーグでは、闘技場の対戦相手として、数頭飼われていた。


「分隊長、最近コレットさんの店に行ってないでしょう。その感じじゃ、今日も会ってないですよね。

 どうかしたのかと心配してましたよ。単に忙しいと言っておきましたけど。

 会って話せば」


「用はそれだけか」


「……分隊長」


 話の途中で遮られ、エメリッヒは鼻白む。クラウスは、気遣わしげな視線を送る補佐官に背を向けて、アフェールの菓子箱を開け始めた。


「いくら休日と言っても、菓子ばかりじゃ体に悪いですよ。

 食堂の残り、あとで届けさせますね」


 ぱたんと扉が閉められる。

 足音が遠ざかるのを確かめて、クラウスは部屋に鍵をかけた。箱からリキュールの入った林檎のチョコレートを一つつまんで、口に放り込む。


「……苦い」


 リキュールが利きすぎているのだろうか。いつもなら甘く感じるはずのチョコレートが、やけに苦く感じた。







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