遠雷②~嵐の予感~
心配していた見習い騎士マリーニは、バーナードと食事をしたのをきっかけに、少しずつ隊になじみ始めていた。そんなある日、いつものように見回りがてらクラウスとエメリッヒがコレットの店にやってきた。ちょうど客の切れ間だったので、カフェコーナーで近況などを語り合う。
「それは大変でしたね……。でも、仲良くなれそうでよかったですね。
今日は、そのマリーニさんはどうなさっているんですか」
「他の分隊員たちと、別方向の見回りに行ってます。交易所へのあいさつがてら、港の回り方や注意すべき箇所を教えるよう指示しておきました」
「へぇ。あ、そうだ。今度いつもお世話になっているみなさんに、お食事を差し入れようかと思うのですが、何かご希望はありますか?
その見習いさんの好きなものとかでもいいんですけど」
「マリーニの? いやぁ、あいつにコレットさんの手料理はもったいないですよ。ね?」
エメリッヒは、奥の席に座るクラウスに目配せをする。自分の好きな料理をリクエストする好機だと言いたかったのだが、
「気を遣うな。見回りも任務の一環だ」
とクラウスは断ってしまった。
「そうですか……」
途端にコレットはしゅんとする。
口実を見つけて好きな人に何かしてあげたいと思う女心があんたにはわからんのか! とエメリッヒはまたもや怒鳴りそうになったが、必死にこらえて橋渡し役に徹することにした。
「コレットさん、フィリジキィってご存知ですか? この間市場で食べて、分隊長、うまいって言ってたじゃないですか。
揚げたパンの中にいろいろ具が詰まってるやつなんですけど」
「フィリジキィ? フィラッカーのことかしら。ひき肉や細かく刻んだ野菜を甘辛く味付けして、パンで楕円形に包んで焼くんですけど、こちらでは揚げるんですね。パン粉をまぶして揚げても美味しそうですね」
「そうそう、そんな感じです。それなら手で食べられますし、腹もちもいいです。
分隊長、せっかくのお申し出ですから、作ってもらいましょうよ」
「……ぬ」
クラウスは、大変ではないのかと目でコレットに問う。コレットはにこりと微笑んで、大丈夫だと答えた。
「楽しみですね。再来週、見習いの研修で野外演習があるじゃないですか。そのとき持ってきてもらいましょうよ。
野外演習っていったって、城の周りの通称妖精の森で三日ほど自給自足するだけですけど、見習いにはきついかもしれませんね。そんなとき差し入れがあったら、嬉しいです」
「わかりました。どこにお届けすればいいですか?」
「えぇと、俺は留守番の予定なんで、宿舎で大丈夫です」
それなら菓子店の開店前に作って届けると約束し、演習日を後で教えてくれるよう頼んだ。
話がまとまったところで、店のドアベルがカラランと鳴る。
「いらっしゃいませ!」
コレットがカウンターへ向かう。入ってきた女性客は、飾り棚を眺めながら一言二言何か話しかけ、コレットはそれににこやかに答えていた。
「よかったですね、分隊長。お菓子以外の、コレットさんの手料理ですよ」
「おまえはまたそういう……」
にやにやと笑う補佐官をたしなめ、見回りに戻るべくクラウスが腰を浮かしたところで、またドアベルが鳴った。
「いらっしゃ……」
コレットが息を呑む。
いつもと違う様子に、クラウスとエメリッヒに緊張が走る。二人ともに腰の剣に手を掛けて、店の入口を注視した。
そこには、二本の剣を腰に帯いた、細身の男が立っていた。訝しむクラウスたちをよそに、コレットがカウンターから飛び出す。
「ヴィル……!」
コレットが男の名を呼ぶ。男――長めの黒い前髪に隠れ、顔はよく見えない――は、駆けてきたコレットに向かって、両手を広げる。
「コレット! 久しぶりだな!」
どうやら知り合いらしいと緊張を解いた分隊長と補佐官の目の前で、コレットは、その男の胸に飛び込んだ。
「!」
「あらら」
「嬉しい! ヴィル、来てくれたの」
驚く騎士たちのことなどすっかり心中にない様子で、コレットは男の首にすがりつき、満面の笑顔で話しかける。
「ずっと来られなくてごめんな。
立派な店だな。お客さんもちゃんと……あ、邪魔しちゃ悪いな。
閉店まで、その辺ぶらぶらしてるよ」
男は男で、コレットの腰に手を回して体を支えながら、一瞬店内を見渡したかと思うと、すぐに視線を彼女に戻した。クラウスからちらりと見えた顔は二十代前半で、人懐こそうな濃青色の瞳をしていた。
「疲れてるんじゃない? 二階で休んでてもいいわ」
「大丈夫。着いたばっかりだから、観光してくるよ」
「ん、わかった。ごはんは? 泊っていくでしょう?」
「おう。コレットの飯は久しぶりだな。楽しみにしてる」
男はコレットの頭をひと撫ですると、手を振って出て行った。コレットは男を見送り、待たせていた客の対応に戻る。
ゆらり。
クラウスが一歩踏み出した。
「え……っと、あの、分隊長。
たぶん、あれですよ、ほら、故郷の幼馴染とか、兄弟とか。そういうの、聞いてません?
分隊長もお兄さんがいましたよね。コレットさんも……、あ、待ってくださいよ」
エメリッヒがクラウスを追いかける。コレットの方へ行くのかと思ったら、店の扉へ向かった。そのまま外に出ようとする。
「もう、お帰りですか? 演習日、はっきりしたら教えてください。私の知っているものがご希望通りのものかどうかわかりませんが、がんばります」
「あ、はい、えぇ。楽しみにしてます」
無言のクラウスに代わって、エメリッヒが返事をする。コレットは他の客に向けるのと同じ笑顔をクラウスたちに向け、おじぎをして見送った。
クラウスは、大通りを大股で歩いて行く。
「ちょっと、待ってくださいってば。あれが誰か聞かなくていいんですか? ねぇ!」
ずんずんと進むクラウスに、人々は自然と道を空ける。かたやエメリッヒは人ごみをかき分けながら追うため、次第に距離が空いてしまった。
「あぁ、もう。
“何がそんな仲じゃない”ですか。“そういう対象に見るのは失礼だ”とかよく言ったもんですよ。
思いっきり気にしてるくせに」
追いつくのをあきらめたエメリッヒは、道端で立ち止まって地団駄を踏む。そして、もう一度クラウスを追うか、店に戻ってコレットに話を聞くか考えた末、大通りの中央に備え付けられているベンチに腰を下ろすことにした。
背もたれに腕を掛けて寄りかかりながら、天を仰ぐ。
仕事柄、様々な人間模様を見てきた。先ほどのコレットの様子は、あきらかに親しい者に対するそれだった。
コレットは、いつでも心からの笑顔を相手に向ける。人によって表情を使い分けるようなことはしないし、愛想笑いでごまかすようなこともない。自分にも打ち解けた笑顔を見せてくれ、特にクラウスに対しては頬を染めて嬉しそうに接していた。
しかし、先ほどの男への笑顔は、違った。おしとやかな印象のコレットがいきなり抱きついていたのにも驚いたが、それ以上に余計な言葉を必要としない雰囲気や遠慮のない会話、滲み出る親愛の情に二人がかなり親密な関係であることが感じられた。
以前、メリルにそれらしい男はいないと聞いていたが、どうやら違ったようだ。けれど、コレットがクラウスのことを憎からず思っているであろうことも確かなので、どういうことだろうと首をかしげる。
「あれ、補佐官。こんなところでどうしたんすか」
エメリッヒがベンチに腰掛け唸っていると、港の見回りから戻った分隊員たちが通りがかった。後ろの方に、見習いの顔も見える。
「いや、まぁ、ちょっと。そっちはどうだった?」
「えぇ、特に問題なしです。積み荷の重量で少し揉めているところがありましたが、港の担当がうまく収めてました」
「そうか。マリーニ、おまえはどうだった」
「あー、まぁ、普通? この程度の仕事、僕がやる必要はないっすね。交易所のおっさんとか、ほんと世界狭くて、僕のこと知らないってなんなんすかね。
港に出入りしている船の内、一番でかいのが実家の船だって、僕のこと知らないなんてどんな物知らずだって言ってやったら、青くなってましたけど」
「青筋立てて怒ってたの間違いだ、馬鹿」
バーナードがマリーニの頭を小突く。他の分隊員はやれやれと肩をすくめ、エメリッヒは深い溜息をついた。
「午後は野外演習に向けた訓練だったな。
マリーニ……。分隊長に性根を叩き直してもらえ。おまえら、見習いより先に根を上げるなよ」
「はぁ? 補佐官、何言ってるんですか。野外演習の訓練なんて、何度もやってますよ」
「そうそう。しかも俺らがマリーニより先に根を上げるなんてありえません」
「こいつ、ほんと口ばっかで体力ないからなぁ。
今日も、見回りの途中で勝手に店に入って休憩してて」
「僕は休憩はきっちりとるタイプなんすよ。
休みも取らずにがむしゃらに働くなんて、結局は効率が悪いんすよ。そんなことも知らないんすか」
「なんだと、てめぇ!」
「あぁ、はいはい。わかった。俺は少し寄るところがあるから、訓練には出られない。
分隊長にもそう伝えておいてくれ」
「「「了解」」」
分隊員たちと別れたエメリッヒは、元来た道を戻りかけて、ちらりと振り向いた。
「分隊長、絶対機嫌が悪いからな。健闘を、祈る……」
その夜――
「くそっ、腕が上がらない……!」
「今日きつかったよな……。分隊長、何かあったのか? めちゃくちゃ機嫌悪かったじゃないか」
「補佐官はそれ知ってたんだな。チッ、うまく逃げやがって」
「おい、マリーニはどうした」
「廊下で倒れてたから、とりあえず風呂にぶっこんだ」
「一人でか? 今頃溺れてるんじゃないか。俺ちょっと見てくる」
「俺も、ついでに風呂。このまま一度でも横になったら、もう動けない」
「だな。俺も行こ……」
十八分隊の分隊員たちは、連れ立って風呂場へと向かう。
案の定、湯船で気を失ってのぼせあがっていた見習いを回収し、風呂を済ませて宿舎住まいの分隊員の部屋に集まった。食堂からくすねてきた燻製肉をつまみに、果実酒を空けていく。
「う……」
「お、マリーニ、気が付いたか」
「おまえも呑むか?」
「酒より水だろう」
「……僕は安い酒は飲みません」
「あぁ、はいはい。こいつは水で十分だ。おい、桶ごと持ってこい」
「なんで裸……。まさか、あんたたち、僕に何か……」
「阿呆か。こちとら、おまえが風呂場で倒れてるのを介抱してやったんだよ。気色悪い言いがかりをつけるな」
「あ……それは、どうも……」
分隊員の一人にシャツを渡されたマリーニが、礼を言う。それを聞いた分隊員たちから、どよめきが起こった。
「うわ、マリーニが“どうも”だって」
「どういう風の吹きまわしだ。明日は雨か」
「いや、雪だ」
「ティル・ナ・ノーグに雪? うはは、それもアリかもな」
「な……っ。僕だって礼くらい言うっすよ!」
「そぉかぁ? 初めて聞いたぞ。なぁ?」
「そうだ、そうだ」
シャツを着ながら怒るマリーニを、分隊員たちはにやにや笑ってからかう。初めは鼻っ柱の強い気に食わない子どもだと思っていたが、今日の野外演習の訓練では、なかなかの根性を見せた。
「ま、それにしてもおまえ、よく途中で逃げ出さなかったよな」
「そうそう。見直したぜ。俺らだってさ、今日はかなりまいったもんな」
「だよなぁ。分隊長、どうしたんだろ。コレットさんと何かあったか?」
「コレットさん?」
シャツを着終わったマリーニは、ちゃっかり分隊員たちの輪にまざり、燻製肉に手を伸ばしている。飲まないと言っていた安い酒も、風呂でのぼせて喉が渇いたのか、先輩たちに負けない勢いで空けていた。
「あぁ。商店街にある菓子店の店長なんだけどさ、これがまたすごい可愛くて優しくていつもいい匂いがして……」
「匂いっておまえな」
「だって、するだろう? この間お茶出してくれたときに、お菓子の甘い匂いがふわっとしてさ。いいよなぁ」
「そんなこと分隊長の前で言ってみろ。半殺しの目にあうぞ」
「だよなぁ。ひぃ、怖っ」
「えぇと、そのコレットさんって人は、クラウス分隊長の彼女なんすか?」
「彼女っていうかなぁ」
「彼女まではいってないのかもしれないが」
訓練でしごかれた仕返しとばかりに、分隊員たちはマリーニにクラウスとコレットの馴れ初めからこれまでを語る。
「ってわけでな、みんなやきもきしてるんだけど、本人たちはどうにも……あれ?」
「マリーニならとっくの昔につぶれてるぞ。昼間あれだけ動いて、夜も追加訓練があって、酒飲めばなぁ」
「ははっ、寝てればかわいいもんじゃないか。バーナード、こいつどうする?」
「俺の部屋に泊めるよ。自室まで連れてくのは面倒だ」
「おう、じゃ、頼んだ。俺らもそろそろ解散するか。あーぁ、今日は疲れたな」
「だな。妖精のご加護がありますように」
「おう、おやすみ」
バーナードはマリーニを背負って部屋を出て行く。他の分隊員も、三々五々帰って行った。
怪我の功名というべきか、不機嫌な分隊長のおかげで、見習い騎士が少し他の分隊員と打ち解けた日であった。