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遠雷①~嵐の前の静けさ~



 “コレットの菓子工房”の飾り棚(ショーケース)には、今日も色とりどりの菓子が並んでいる。

 看板商品はもちろん、林檎を使った菓子大会で優勝した、“ニーヴ(エログ・)を讃え(フルール・オ・)る花(ニーヴ)” だ。これは作るのに手間がかかるため、一日十個限定としており、開店してすぐに売り切れる。他には、タルト、スポンジケーキ、シュークリーム、プティングなどがある。また、毎月三種類ずつ新作を出しており、その中で好評なものは定番化することもある。

 コレットがこの地(ティル・ナ・ノーグ)で店を開いてから、早一年半。固定客がつき、知人友人も少しずつ増えてきていた。


 カララン

 来客を告げるドアベルが鳴る。


「いらっしゃいませ!」


 コレットが元気にあいさつをする。入ってきたのは、ある事件以来見回りがてら立ち寄ってくれるようになった、地元の分隊の補佐官だ。その後ろには、一回り以上大きな影。入口のフレームに頭をぶつけないように、かがんでいる。店舗のドアとしてごく一般的な高さに作ってあるけれど、彼には低すぎるようだ。いつもああして入って来てたのね、と新しい発見をし、コレットの顔がほころんだ。




 城塞都市ティル・ナ・ノーグは、中心部にある噴水広場から東西南北に向かって大通りが伸びている。

 自然豊かな北東の高台は、領主や貴族たちの居住エリア。緩やかな丘岡きゅうこうの広がる南東は、一般住民の居住エリア。最も海抜の低い南西は、港や交易所、商店の立ち並ぶ商業エリア。北西のエリアはいわゆる“街はずれ”で、広い霊園や街の城壁を守る騎士たちの詰所など、普段はあまり一般の住民が立ち入ることのない施設が多く集まっている。

 コレットの店は、その商業エリアの片隅にあり、店から中央の噴水広場までの間には、様々な業種の店があった。

店の定休日には、クラウスと二人、路面店を冷かしながら、めぼしいカフェを探して歩く。

 ここ二か月ほど、菓子工房の定休日には、カフェめぐりをするのが恒例になっていた。目についたカフェでお茶をし、街中を散策して、クラウスおすすめの菓子店の新作や定番商品を買って帰る。そしてコレットの店で買ってきた菓子を広げて、品評会をするのだ。

 先々週の定休日のときには途中でクレイアに会ったため、一軒しかいけなかったが、今日は二軒まわり、土産も買った。早速、お茶を淹れて店のカフェコーナーで菓子を広げる。


「わぁ、これ美味しいですね。あとから口の中に広がる香りが、すごくいいです」


「ここで使っている林檎のリキュールは、城にも献上している特注品だそうだ」


「へぇ、そうなんですね」


 コレットが手で割って食べているのは、林檎の入ったパウンドケーキだ。香ばしく焼けた上の方はさくさくとして、中はふんわり、下の方はリキュールが染みてしっとりしている。全型ではなく、一切れずつ個包装で売っているところもいい。


「こっちの白いヌガーヌガー・ド・モンテリマーヌは食感が軽いから食べやすい」


 クラウスは別の袋を開けて、白いヌガーヌガー・ド・モンテリマーヌを取り出す。そして、細長いヌガーを小刀ナイフで半分に切って、コレットに手渡した。


「ほんと! ヌガーっていうと結構重い感じがしますけど、これは軽いですね。メレンゲを使っているのかしら」


「そう聞いている」


 ナッツがたっぷり入った白いヌガーヌガー・ド・モンテリマーヌは、普通のヌガーほどのくどさはなく柔らかい。はちみつの優しい甘さも、女性客に好まれそうだ。


「そっかぁ。メレンゲ……。白がベースなら、いろいろな色が着けられますね」


 コレットは、口元に手をあてながら、じっと考え込む。その様子に、新しい菓子の構想が浮かんだのだろうと見て取ったクラウスは、お茶を飲みながら黙って菓子の残りをたいらげる。

 カチャリ。しばらくしてクラウスが茶器を置いたとき、ハッとコレットが我に返った。


「す、すみません。私一人で……!」


「いや」


 コレットは、赤面し慌てながら、クラウスと一緒にいたのに自分の世界に入ってしまったことを詫びる。けれど、元々騒ぐ性質たちではないクラウスは、一向に気にした様子はない。

 休日の菓子店で、穏やかな時が過ぎていく。

 ふと、コレットが壁掛け(タペストリー)に目をやった。


「もう月の月(リーリィ)ですね。常春のティル・ナ・ノーグでは季節は関係ありませんが、私の故郷でも春になります。」


 妖精信仰の厚いティル・ナ・ノーグでは、一年を上期と下期に分け、上期を司るのが空の妖精ニーヴ、下期を司るのが海の妖精リールとしている。そして上期と下期もそれぞれ二つずつに分け、上期は大地の妖精(ハルマ)太陽の妖精(ソルナ)、下期は黄金の妖精(オルマ)白銀の妖精(コルナ)が象徴とされている。その四節をさらに三つに分け、ひと月ごとに妖精の名前がついている。

 ティル・ナ・ノーグに来た当初、コレットはこの月の呼び名がなかなか覚えられずに苦労した。今月は、土の妖精アイラが司る土の月(アイリィ)だった。来月は月の妖精リーラが司る月の月(リーリィ)だ。


「君の故郷……は、四季があるのか」


「えぇ」


 懐かしそうに壁掛け(タペストリー)を眺めていたコレットが、クラウスを見てにこりと微笑む。


土の月(アイリィ)月の月(リーリィ)星の月(シャイリィ)あたりは春になります。

風の月(キーリィ)火の月(サマリィ)炎の月(アマリィ)は夏、乾の月(タマリィ)水の月(レイリィ)雪の月(エイリィ)は秋です。えぇっと、次は……」


氷の月(ネイリィ)だな」


「あ、そうでした。氷の月(ネイリィ)花の月(マイリィ)木の月(ライリィ)は冬です。結構雪深い土地で、冬の朝、起きると辺りが一面真っ白になっていることがあります。このお城の周りの湖も凍るんですよ。使い古しの長靴を履いて、冬はみんなでスケートをします」


 コレットが語る故郷の様子を、クラウスはうなずきながら聞いている。ティル・ナ・ノーグ出身の彼にとって、四季がある地方は話でしか聞いたことがなく、雪も数えるほどしか見たことがなかった。


「暑かったり寒かったり、生活は大変ですけど、その分楽しいこともたくさんありますよ。

 作物も季節によっていろいろな種類のものができるので、自然とお菓子の幅も広がります。あ、でもここ(ティル・ナ・ノーグ)も野菜や果物は豊富ですよね」


「あぁ。港があるからな」


 コレットに乞われるままに、クラウスは港に出入りする船の様子や、それらがもたらす品々について話す。日頃口数の少ないクラウスだが、コレットと二人きりのときは割合よく話すようになっていた。コレットは、言葉を選んでゆっくり話しても、根気よく聞いてくれる。退屈そうなそぶりをしたり、苛立ったりもしない。自分の早さ(ペース)で、安心して話すことができた。

 街の様子、季節の食べ物のことなどたわいもないことを話し、二人は美味しい菓子と楽しい時間を心ゆくまで堪能した。




「で、帰った、と」


「はい」


 夕食の惣菜のおすそわけにきたメリルに、コレットがにこにこと話す。


「東通りのカフェが、雰囲気もいいしお菓子も美味しくてよかったです。今度メリルさんも一緒に行きましょう」


「あたしはいいよ。夕飯は誘わなかったのかい」


「お菓子でおなかいっぱいになっちゃいましたし、クラウス様は仕事があるとおっしゃって。

 見習い騎士さんが研修に来てるんですって」


 にこにこにこ。

 頬を淡く染めてクラウスのことを話すコレットは、この上なく幸せそうだ。しかし、メリルとしてはいい歳をした男女が、お茶をしておしゃべりして、「はい、さよなら」なんて、おままごとのようなつきあいでいいのかと思う。

 この二人、好き合っているのは傍から見てもあきらかなのに、一向にくっつく気配がない。最近では、店に来る客も気付き始めて、いつくっつくかで密かに盛り上がっている。知らぬは本人ばかりなり、というやつだ。


 あぁ、じれったい! あたしなんて、この人と決めたら、押し倒してでもモノにしたもんだけどねッ


 越してきて以来、娘とも思ってかわいがっている隣人の恋愛事情に、メリルの鼻息がつい荒くなる。


「メリルさん?」


 そんなメリルを、コレットは小首をかしげて不思議そうに眺める。


「……なんでもないよ。でも、たまにはお菓子以外のものも作ってやりなね。菓子ばっかりじゃ、栄養が偏るからさ。この間の魚介のフリッター、美味しかったよ」


「お口に合ってよかったです。そうですね。宿舎に帰ってみなさんで食べられそうなものを、差し入れしてみます」


 そうじゃなくて一緒に食べるんだよ、と言いかけて、メリルは思いとどまる。これ以上他人がどうこういうものではない。

 おやすみの挨拶をしてコレットと別れ、メリルは自分の店に戻る。ガタゴトと音を立てる立てつけの悪い戸を開けながら、あたしもあの男(エメリッヒ)に感化されたのかね、とこっそり溜息をついた。


「まぁ、本人たちが幸せならいいんだけどさ」


 青果店の店舗奥の居間では、晩酌をしていた夫が居眠りをしていた。メリルの独り言にしょぼくれた目を開けて、


「んぁ? なんか言ったか?」


と半分寝ぼけて言った。


「なんでもないよ。そんなところで寝たら風邪ひくだろ。さっさと寝台に行きな」


「んだよ、っせぇなぁ。こ……くらい、へ……きだ……。俺は、海の男だ、ぞ……」


 ぐー。

 寝てしまった。


「まったくもう、どいつもこいつもしょうがないねぇ」


 メリルはよっこらせと掛け声をかけて、夫の体を起こそうとする。しかし、壮年を過ぎてなおがっしりとした体格の元船乗りは、とうてい動かせるものではなかった。しかたなく、毛布を持ってきて掛けてやる。


「若い頃はほんといい男だったのに、最近じゃこれだもんね。

 あたしも人のこと言えないけどさ。このしわ。この肉。あーぁ。年はとりたくないもんだよ……」


 メリルは夫の隣に腰をおろし、栓が開いたまま放置されている果実酒の瓶に手を伸ばす。そして夫の使っていたグラスに注いで、自分もちびちびと呑み始めた。


「あたしも昔は商店街の花って言われて、いいよる男は数知れなかったんだけどねぇ。あのときの男共は今頃どうしてんのかね……」


 コレットの恋心に触発されたのだろうか。メリルは酒杯を傾けながら、昔の男に思いを馳せる。

 思い出に浸り、うっとりと目を閉じるメリルの脳裏には、自分を取り合って喧嘩をはじめた男たちのことや、誕生日に何人もの男から貢物をされて返答に困ったことなどが浮かぶ。

 いつしか半分ほど残っていた果実酒は底をつき、二本目の栓が抜かれていた。酒が進むほどに忘れていたときめきが蘇り、気持ちが若返っていく。なんだか、今日は気持ちよく酔えそうだ。


「お隣さんの恋がつまみとはね。ふふ……」


 メリルの頬が、隣人コレットのように染まっているのは酒のせいか。蝋燭の明かりに浮かぶ横顔に、少女のような笑みが広がる。そんな妻の胸中などつゆ知らず、夫は傍らで呑気な寝息をたてるのであった。






 コレットの店を辞したクラウスは、自室には戻らず、まっすぐ分隊に割り当てられた部屋へと向かった。

 ティル・ナ・ノーグ天馬騎士団は、公爵家お抱えの騎士団で二千人ほどの規模である。騎士団の団員は、代々公爵家に仕える者もいるが、ほとんどが民間からの志願者だ。家柄は問わず、年に一度行われる見習い騎士の試験に参加し、合格すれば見習い騎士となることができる。

 騎士団員の給料は見習いの間こそ少ないが、一人前の騎士となることができれば、一般家庭の平均月収よりも高い。任務上の危険はあるものの、安定した地位と収入を得られるため、たくさんの志願者が集まってくる。そのため、審査基準は毎年かなり厳しかった。

 クラウスもまたティル・ナ・ノーグの農家の出で、十二歳のときに見習い騎士になる試験を受けた。その年の試験は実技中心だったため、元々体格に恵まれていたクラウスは、難なく合格することができた。その後地道に実績を積み、現在いまに至っている。


「今年は……あぁ、面接重視だったんですか。通りで口だけはうまいはずだ。分隊長、あの見習い(こども)、追い出すわけにはいかないんですか。任務の邪魔です」


 部屋に着くと、何やら書類をめくっていたエメリッヒが、クラウスを見ることもなく愚痴ってきた。


「……ぬ」


 クラウス率いる十八分隊では、上期ニーヴィに合格した見習い騎士を一人、先週から預かっていた。しかしこの見習いが難物で、たいしたこともできないくせに口ばかり達者であり、分隊員たちの評判がはなはだ悪かった。


「で、奴は」


 クラウスは、さして広くもない部屋の中を首を巡らせて探す。


「バーナードが夕食に連れて行きましたよ。飯なんて、適当に食わせればいいんです。分隊長が毎日面倒みてやることないですって」


 見習い騎士は、研修期間中ずっと宿舎で過ごすことになっている。初めて親元を離れる者も少なくないので、他の分隊員が面倒をみて、騎士の業務を教えていく。とはいえ、教えることは何も格式ばった事柄ばかりではなく、生の騎士の生活を体験させる意味合いのほうが強い。

 これまで受け入れてきた見習い騎士たちも、誰かの部屋で集まっておしゃべりをしたり一緒に食事をしたりする中で様々なことを学び、立派な騎士になっていった。しかし、今回の見習い騎士は初日から先輩を馬鹿にするような発言を繰り返したためみんなに嫌がられ、仕方なくクラウスが面倒を見ていた。

 けれど、今日は帰りが少し遅くなったため、エメリッヒが気を利かせてくれたものらしい。

 バーナードは、分隊員の中でもとりわけ面倒見のいい男だ。奴なら大丈夫だろうと、クラウスはエメリッヒの向かい側に腰かけて、補佐官が見ていた書類に目を落とした。それは、見習い騎士の履歴書だった。


「ベネデット=マリーニ=リッロ、十七歳。王都サフィールの商家の出ですか。

 十七で見習いってのも、遅いですね。大方、実技や筆記じゃ受からなかったんでしょう。王都出身なのに、地方こちらで見習いってのも変な話ですよ。親のコネでねじ込まれたか、中央の役人に押し付けられたか」


 たぶん、両方であろう。履歴書にある実家の名前は、ティル・ナ・ノーグの港にも出入りしている大店おおだなであった。

 エメリッヒの話を聞きながら、クラウスは眉根を寄せる。

 見習いの世話など、本来なら分隊長である自分の仕事ではない。しかし、分隊員たちが嫌がり、エメリッヒはどうぜ毒舌で見習いをつぶしてしまうから、自分がやるしかなかった。

 ひと月ほどの研修期間中、多少不自由な思いをするが、我慢すればいい。そう思っていたのだが。


「解け込めなきゃ解け込めないで、騎士として不適応なんですよ。チームとしての連携が重要な任務において、いちいち相手を選んでたら何もできないでしょう。辞めるなら早い方がいいです。

 今日だって公休日なんだから、遠慮しないでもっとゆっくりしてきてよかったんですよ」


 エメリッヒが書類から顔を上げて、クラウスを正面から見る。言い方は辛辣だが、内容は的を射ていた。


「……」


 このまま分隊員たちに見習いを任せるか、研修が終わるまでは自分が責任をもって面倒をみるか。クラウスが思い悩んでいると、エメリッヒがにやりと笑った。


「で、どこまでいきました?」


「何?」


「コレットさんですよ。今日もデートだったんでしょう? 手くらいつなぎました?」


「……!」


 何を馬鹿なことをと、ぴきりとクラウスの蟀谷こめかみに筋が走る。

 自分とコレットとはそんな仲ではない、おまえはよくその手の話をするが、真剣に菓子の研究をしている彼女をそういう対象に見るのは失礼だと、真面目で純情な三十男は言い放った。


……っ」


 呆れて怒鳴りかけたエメリッヒは、慌てて口を押さえる。仮にも上司に、馬鹿はそっちだなどと言うわけにはいかないからだ。


「ビリーたちは食堂か? 見てくる」


 この話はこれで終わりだと言わんばかりに、クラウスが席を立つ。言葉を飲み込む代わりに呼吸まで止めていたエメリッヒは、扉が閉まるのと同時に大きく息を吐いた。机上きじょうに置かれた履歴書が、ぱらぱらとめくれる。


 ――コレットさん、すみません。

 俺が責任をもって、分隊長に男女の営みを伝授しておきますからね!


 エメリッヒが、胸の前で拳を強く握る。

 その頃、廊下を行くクラウスが、くしゃみをしたとかしなかったとか。



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