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吹き付ける凍てついた風に逆らって、なだらかな丘を一つ越えた。
狩りをしていたポイントから、直線距離でおよそ十キロ。しかし、〈ソーヤ〉の足は遅く、だいぶ時間が掛かってしまった。
騒いでいたフェアリィは静寂を取り戻し、周囲には誰の気配もない。ただ、半壊のビークルが横たわっているだけだった。
『かなり、古い型だな』
〈ビークル〉の側面にこびり付いた雪を払うと、帝国のものであることを示す、太陽を模した赤い球体に絡みつくウロボロスの国章が現れる。キシャルが乗っていた機体だ。
軍用とは言え、大きさからして戦闘用ではなく、ヒトや物資を運んでいたものだろう。かなり古い機体のようで、三連のソリはだいぶすり減っているように見えた。
後部に付いている、推進力を生み出す巨大ファンが、不自然に溶けて抉れていた。FEL式銃による弾痕に、間違いないだろう。
『残念だったな、ウル。意気込んでみたのはいいが、ひと足遅かったようだ。誰もいないみたいだぞ。レーダーの反応も、今ひとつ。まあ、戦闘にならなくて良かった』
飄々としたジャコウの態度は気にくわないが、胸中は悔しさ半分、安堵が半分といったところだ。悔しいが、帝国とまともにやり合うには、戦力が足らなすぎる。
『分かってるさ、正面から出て行って勝てやしないことなんてな』
ウルブスキィはジュカの国章を殴りつけ、足元に残る幾何学模様を目で追った。〈ビークル〉のソリの跡だ。
状況から見て、キシャルの言う卵は、すでに持ち去られた後なのだろう。つまりは、無駄足だ。
それでも、確かめなければ気が済まない。機体はぼろぼろだが、電気系統はまだ生きている。霜が張り付き始めたボタンを押し込むと、ドアがスライドした。
すぐに撃てるようにと起動させた〈タロ〉を肩に掛け、ゆっくりと、照明の落ちた機内に入った。空調の名残がまだあるのか、思っていたほど寒くはない。
息苦しいマスクを脱いで、 ウルブスキィは操縦席へと進んだ。
『この、趣味の悪い臭い。覚えがあるぞ、ジャコウ』
たどり着いたコクピットに燻る臭いに、ウルブスキィは舌打ちをした。
しつこいまでの甘さと、僅かな苦味。捜し物は、すぐに見つかった。
助手席のシートに投げ捨てられていた、喫いかけの紙巻き煙草。派手なオレンジ色のシガー・ペーパーの趣味の悪さには、何度、辟易したか分からない。
『ハイド・ランジアだ。こんな趣味の悪い煙草を咥えるやつなんて、他にはいないぞ。やつめ、生き残っていたみたいだな』
拾い上げた紙巻き煙草の側には、緑色の髪が一筋落ちている。嫌みたらしい、置き土産だが、核心にいたるものでもある。間違いない、緑化人の毛髪だ。
『まさか、生きているとは思えない。何かの間違いじゃないのか、ウル』
『だと、いいがな。……悪いが、オレの勘は、嫌味なほどよく当たるようにできてんだ』
紙巻き煙草を足元に叩きつけ、燻る火種をもみ消す。が、胸中の苛立ちまでは消えてはくれなかった。気温差で、重く湿ってきた髪を乱暴に払う。
『オレ達が、こうして生きているんだ。可能性は、なくはない。認めたくはないがな』
ジャコウの溜息が、聞こえる。顔は見えないが、きっと渋い表情でいるに違いない。苦虫を噛みつぶしたという、あれだ。ウルブスキィも、まったく同じ気分だ。不愉快で、たまらない。
ウルブスキィは操舵室を出て、徐々に冷えて行く〈ビークル〉から降りた。
『ジロー! アンタに頼みがある』
あちこちにできた溝に足を取られながら、やることもなく辺りをうろついていたジローへと走り寄ったウルブスキィは、返事を待たずに続けた。
『アンタの自慢のその足を、今から借りたい』
実に嫌そうな顔を作るのは、さすが、元ニンゲンと言ったところか。
『帝国と、一戦交えるつもりかい? くそ憎たらしい相棒も言っていただろう、無謀だとね。やるなら、坊やだけでやっておくれ。私を巻き込むな。狩人なら〈ビークル〉の一つくらい、持っているはずだろう?』
『生憎、オレの〈ビークル〉は修理に出てて、ここにはない』
『坊やの都合など、私の知ったところではないよ。私は私で、やることがあるのだからね。確かに帝国には借りがあるが、用があるのは雑兵じゃないんだよ』
ジローは鋭い牙を剥き、ウルブスキィに生暖かい吐息を吹きかけた。
一口で、頭ごと飲み込まれてしまいそうな大きな口が、目の前にある。拳ほどもある金色の隻眼に宿るぎらついた光は、獣そのものだ。
恐怖に背筋が震えるのも、当然の摂理。だが、怯んでいられない。
〈ソーヤ〉で追いかけるなら、まだ走った方が早い。だが、ヒトの足でどんなに頑張ったって、追いつけるわけもない。帝国の船を追うには、なんとしても、ジローの脚力が必要だ。
『できない、とは言わせないぞ』
に、と唇の端を持ち上げて、顎をしゃくると、『なんだと?』と、細い瞳孔が更にキュッと狭まった。のど仏から低いうなり声が響き、ふわふわの体毛が逆立つ。
理性や知能はあっても、その肉体は獣だ。全身凶器の猛獣を相手に、喧嘩を売っても、なにもいいことはない。が、ウルブスキィは怯まない。
(喧嘩を売るにも、相手による。大博打だが、きっと乗ってくる)
怒りを煮えたぎらせる相貌は恐ろしいが、ジローはウルブスキィの動向をちゃんと探っていた。
怒りに支配されてはいない。ちゃんとした自己がある、彼はニンゲンだ。
『頼むよ、アンタの脚力を見込んで言っているんだ。追いつくだけで、構わない。なにも、戦えと言っているわけじゃない。恐いなら、さっさと逃げてくれたっていいさ』
『この私が……戦士であるこの私が、帝国の木偶連中に、尻尾を巻いて逃げると?』
鼻息も荒く、ジローは鋭い爪が付いた前足で、踏み固められた雪をがりがりと削った。
『その足が、見かけ倒しならしかたない。別に、オレは恨みやしないさ』
『小癪な坊やだね。そこまでコケにされて、引き下がれるわけがないだろう。だが、この私相手に、啖呵を切る根性は気に入った。――特別だ。私の背に乗せてやろう』
ジローは鼻から白い息を煙らせ、渋々と巨体を伏せた。
『恩に着るぜ、ジロー。アンタの俊足、期待させてもらうよ』
ウルブスキィは、こぶのように盛り上がった首の付け根を掴み、巨体をよじ登る。
当然だが、鞍は無い。体をしっかりと固定できないので、少しでも気を抜けば転げ落ちてしまうだろう。這いつくばるように体を伏せ、長い毛をしっかりと掴む。まるで蚤になったような気分だが、この際だ。
『一つ、聞いておこう。坊やを奮い立たせるのは、くだらない正義感からかい? 命を賭けてまで、見知らぬ他人を助けたいのかい?』
『そんなお人好しがこの世にいるんなら、友達になりたいね。正直に言えば、個人的な因縁だよ。人助けは、結果でしかない』
『訳も分からない正義感よりは、よほどハッキリしていて良い』
のっそりと立ち上がるジローと共に、ウルブスキィの視界が高くなる。
遮蔽物が無いために、どこまでも続いくような広大な世界を、遙か高見から見下ろすような感覚に、ウルブスキィはジローの背の上で身震いをした。
『しっかり掴まっているんだね、坊や。思いっきり、とばすよ!』




