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深音 -果ての世界は、白-  作者: くろう
2章 卵の産声
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2-1

 吹き付ける凍てついた風に逆らって、なだらかな丘を一つ越えた。

 狩りをしていたポイントから、直線距離でおよそ十キロ。しかし、〈ソーヤ〉の足は遅く、だいぶ時間が掛かってしまった。

 騒いでいたフェアリィは静寂を取り戻し、周囲には誰の気配もない。ただ、半壊のビークルが横たわっているだけだった。

『かなり、古い型だな』

〈ビークル〉の側面にこびり付いた雪を払うと、帝国のものであることを示す、太陽を模した赤い球体に絡みつくウロボロスの国章が現れる。キシャルが乗っていた機体だ。

 軍用とは言え、大きさからして戦闘用ではなく、ヒトや物資を運んでいたものだろう。かなり古い機体のようで、三連のソリはだいぶすり減っているように見えた。

 後部に付いている、推進力を生み出す巨大ファンが、不自然に溶けて抉れていた。FEL式銃による弾痕に、間違いないだろう。

『残念だったな、ウル。意気込んでみたのはいいが、ひと足遅かったようだ。誰もいないみたいだぞ。レーダーの反応も、今ひとつ。まあ、戦闘にならなくて良かった』

 飄々としたジャコウの態度は気にくわないが、胸中は悔しさ半分、安堵が半分といったところだ。悔しいが、帝国とまともにやり合うには、戦力が足らなすぎる。

『分かってるさ、正面から出て行って勝てやしないことなんてな』

 ウルブスキィはジュカの国章を殴りつけ、足元に残る幾何学模様を目で追った。〈ビークル〉のソリの跡だ。

 状況から見て、キシャルの言う卵は、すでに持ち去られた後なのだろう。つまりは、無駄足だ。

 それでも、確かめなければ気が済まない。機体はぼろぼろだが、電気系統はまだ生きている。霜が張り付き始めたボタンを押し込むと、ドアがスライドした。

 すぐに撃てるようにと起動させた〈タロ〉を肩に掛け、ゆっくりと、照明の落ちた機内に入った。空調の名残がまだあるのか、思っていたほど寒くはない。

 息苦しいマスクを脱いで、 ウルブスキィは操縦席へと進んだ。

『この、趣味の悪い臭い。覚えがあるぞ、ジャコウ』

 たどり着いたコクピットに燻る臭いに、ウルブスキィは舌打ちをした。

しつこいまでの甘さと、僅かな苦味。捜し物は、すぐに見つかった。

 助手席のシートに投げ捨てられていた、喫いかけの紙巻き煙草。派手なオレンジ色のシガー・ペーパーの趣味の悪さには、何度、辟易したか分からない。

『ハイド・ランジアだ。こんな趣味の悪い煙草を咥えるやつなんて、他にはいないぞ。やつめ、生き残っていたみたいだな』

 拾い上げた紙巻き煙草の側には、緑色の髪が一筋落ちている。嫌みたらしい、置き土産だが、核心にいたるものでもある。間違いない、緑化人の毛髪だ。

『まさか、生きているとは思えない。何かの間違いじゃないのか、ウル』

『だと、いいがな。……悪いが、オレの勘は、嫌味なほどよく当たるようにできてんだ』

 紙巻き煙草を足元に叩きつけ、燻る火種をもみ消す。が、胸中の苛立ちまでは消えてはくれなかった。気温差で、重く湿ってきた髪を乱暴に払う。

『オレ達が、こうして生きているんだ。可能性は、なくはない。認めたくはないがな』

 ジャコウの溜息が、聞こえる。顔は見えないが、きっと渋い表情でいるに違いない。苦虫を噛みつぶしたという、あれだ。ウルブスキィも、まったく同じ気分だ。不愉快で、たまらない。

 ウルブスキィは操舵室を出て、徐々に冷えて行く〈ビークル〉から降りた。

『ジロー! アンタに頼みがある』 

 あちこちにできた溝に足を取られながら、やることもなく辺りをうろついていたジローへと走り寄ったウルブスキィは、返事を待たずに続けた。

『アンタの自慢のその足を、今から借りたい』

 実に嫌そうな顔を作るのは、さすが、元ニンゲンと言ったところか。

『帝国と、一戦交えるつもりかい? くそ憎たらしい相棒も言っていただろう、無謀だとね。やるなら、坊やだけでやっておくれ。私を巻き込むな。狩人なら〈ビークル〉の一つくらい、持っているはずだろう?』

『生憎、オレの〈ビークル〉は修理に出てて、ここにはない』

『坊やの都合など、私の知ったところではないよ。私は私で、やることがあるのだからね。確かに帝国には借りがあるが、用があるのは雑兵じゃないんだよ』

 ジローは鋭い牙を剥き、ウルブスキィに生暖かい吐息を吹きかけた。

 一口で、頭ごと飲み込まれてしまいそうな大きな口が、目の前にある。拳ほどもある金色の隻眼に宿るぎらついた光は、獣そのものだ。

 恐怖に背筋が震えるのも、当然の摂理。だが、怯んでいられない。

〈ソーヤ〉で追いかけるなら、まだ走った方が早い。だが、ヒトの足でどんなに頑張ったって、追いつけるわけもない。帝国の船を追うには、なんとしても、ジローの脚力が必要だ。

『できない、とは言わせないぞ』

 に、と唇の端を持ち上げて、顎をしゃくると、『なんだと?』と、細い瞳孔が更にキュッと狭まった。のど仏から低いうなり声が響き、ふわふわの体毛が逆立つ。

 理性や知能はあっても、その肉体は獣だ。全身凶器の猛獣を相手に、喧嘩を売っても、なにもいいことはない。が、ウルブスキィは怯まない。

(喧嘩を売るにも、相手による。大博打だが、きっと乗ってくる)

 怒りを煮えたぎらせる相貌は恐ろしいが、ジローはウルブスキィの動向をちゃんと探っていた。

 怒りに支配されてはいない。ちゃんとした自己がある、彼はニンゲンだ。

『頼むよ、アンタの脚力を見込んで言っているんだ。追いつくだけで、構わない。なにも、戦えと言っているわけじゃない。恐いなら、さっさと逃げてくれたっていいさ』

『この私が……戦士であるこの私が、帝国の木偶連中に、尻尾を巻いて逃げると?』

 鼻息も荒く、ジローは鋭い爪が付いた前足で、踏み固められた雪をがりがりと削った。

『その足が、見かけ倒しならしかたない。別に、オレは恨みやしないさ』

『小癪な坊やだね。そこまでコケにされて、引き下がれるわけがないだろう。だが、この私相手に、啖呵を切る根性は気に入った。――特別だ。私の背に乗せてやろう』

 ジローは鼻から白い息を煙らせ、渋々と巨体を伏せた。

『恩に着るぜ、ジロー。アンタの俊足、期待させてもらうよ』

 ウルブスキィは、こぶのように盛り上がった首の付け根を掴み、巨体をよじ登る。

当然だが、鞍は無い。体をしっかりと固定できないので、少しでも気を抜けば転げ落ちてしまうだろう。這いつくばるように体を伏せ、長い毛をしっかりと掴む。まるで蚤になったような気分だが、この際だ。

『一つ、聞いておこう。坊やを奮い立たせるのは、くだらない正義感からかい? 命を賭けてまで、見知らぬ他人を助けたいのかい?』

『そんなお人好しがこの世にいるんなら、友達になりたいね。正直に言えば、個人的な因縁だよ。人助けは、結果でしかない』

『訳も分からない正義感よりは、よほどハッキリしていて良い』

のっそりと立ち上がるジローと共に、ウルブスキィの視界が高くなる。

 遮蔽物が無いために、どこまでも続いくような広大な世界を、遙か高見から見下ろすような感覚に、ウルブスキィはジローの背の上で身震いをした。

『しっかり掴まっているんだね、坊や。思いっきり、とばすよ!』

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