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深音 -果ての世界は、白-  作者: くろう
1章 サスツルギの稜線
2/5

1-2

コンテナを蹴り、氷の大地へと飛び降りるウルブスキィを受け止めたのは、骨を粉砕してばらまいたかのような硬い粉雪だ。

 分厚く堆積し、砂漠のように広がっている。

ウルブスキィ達が行動の基盤としている町、コタンから約二十キロ離れたこの場所は本当に静かで、吐き出す息が凍る、微かな凝結音すら聞こえるほどだった。

 遙か昔、地球を過ぎ去った流れ星に連れ去られた月。

 自転を止めた地球の半分は、太陽の光がとどかない凍てついた世界になったが、全くの闇夜というわけでもない。

 塵一つ無い、澄み切った大気の向こう側で、星は強く輝いている。

 揺らめくオーロラは月明かりに遮られることなく、コバルトグリーンの柔らかい輝きを束ね合わせ、無限に広がる大河を夜空に描き出していた。

 星とオーロラ、地上に届く僅かな光。

 視程三メートルほどの狭い視野の中に、横転しているコンテナ――前方の雪上車との連結部が、かなりひしゃげている――と、食い千切られた跡が生々しい鎖を足に引っかけた氷床毛長鳥が転がっていた。

『派手にぶつかりやがって、テメェが脳しんとうでぶっ倒れてどうする』

 黄色い嘴に退化したヒレ状の翼を持つこの氷床毛長鳥は、体のどの箇所も、余すことなく使われるポピュラーな鳥だ。

 脂がたっぷりと乗った肉は食用に、皮や毛は衣服に、体長二メートルほどの巨体を支える鳥足の、鋭い爪は鉄も通す強力な武器にもなる。

 需要は高いが、あいにくと頭数も多い。だからこそ、売値も低いというわけだ。

 何十頭狩ったところで、利益は雀の涙ほどだ。 

『こいつが、自力で鎖を千切ったとは思えないな』

『仲間がやったとも、わたしには思えない』

『ああ、お仲間は全部、冷凍肉に様変わりだ。で、さっきの絶対領羆(イオマンテ)らしい熱源は、どこに行った?』

 唯一の武器である〈タロ〉を構え、ウルブスキィは雪の上で膝を着く。ゴーグルについているスイッチを押し込み、サーマル機能を作動させた。

『わからないな、急に消えた』

『激突の衝撃で、レーダーが馬鹿になったか?』

 ありえなくはない、だましだまし使っているような、ポンコツ雪上車だ。ウルブスキィはマスクにこびり付く霜を刮ぎ落し、周囲を見回す。

 白と黒で切り出されるサーマルゴーグルのモノクロの視界には、肉眼では見ることのできなかった浮遊物が飛んでいた。

 外気温よりも僅かに高いため、白く映し出される物体はフェアリィと呼ばれる、絶対領域特有の生物だ。ふわふわと漂う姿は、まるで雪のようだ。

(――雪、か)

 断片的な記憶が、鋭い痛みと一緒にウルブスキィの脳裏を掠めた。

 マイナス五十度の絶対領域に、雪は降らない。

 氷土に降り積もったこの雪の全ては、まだ、僅かに暖かかった頃に降ったものだ。つまり、心を乱す記憶の欠片は、何百年も昔のものということになる。

『ウルブスキィ、餌を仕掛けていた岩だ。巨大な影が見える』

『……あ? ああ、確認する』 

 いつになく緊張したジャコウの声に、頭痛を振り払う。

 出所がはっきりとしない記憶に、しんみりと浸っている場合じゃない。

『でかいな。コタンの周辺に出没しているっていう特大の絶対領羆(イオマンテ)と見て、間違いはなさそうだ』

 フェアリィが漂う中、はっきりと見える巨躯は、標準よりも一回り大きい。六、七メートル……立ち上がればもっとでかいだろう。まるで、戦車だった。

『少しばかり、傷がついてもしかたないか』

 ここいらには生息していない絶対領羆(イオマンテ)の毛皮なら、少々焦げていても、高く売れてくれるはずだ。仕留め損ねて反撃を食らうよりは、ずっといい。

 僅かに熱を放つ、ストレートロングバレルの、直線が美しい銃を抱きかかえるように構え、外しようのない巨体へとウルブスキィは照準を合わせた。

 出力を高めに設定し、呼吸を浅く、遅く、落ち着けてゆき――迷うことなく、銃爪を引き絞った。

 銃口から発射された朱色の熱線が、闇を一直線に駆ける。

 いや、正確に言えば、目に見える瞬きは全て残像だ。熱線自体は銃爪を引いた瞬間、目標に着弾している……はずなのだが。

『まさか、シールド?』

 闇夜に散る交線に、ウルブスキィは思わず腰を浮かせていた。

 野生生物である絶対領羆(イオマンテ)が、自由電子レーザーを跳ね返すなんてあり得ない。

『獣の姿をした、高次元生物。と、なると答えは一つしかなかろう』

 ジャコウの指摘に、ウルブスキィは〈タロ〉の銃口を下げ、立ち上がる。

『だとしても、冗談じゃない。人を撃ち殺しそうになったのか、俺は! ドッキリにしたって、タチが悪すぎる』

 ジャコウとの個人回路から、共通回路へと多面的回路(エリクシール)を切り替え、のっそりと立ち上がる巨体をゴーグル越しに睨み付けた。

『ここは自由猟区だぜ。識別信号を確認できなかったのは、どういう趣向だ? 先に言っておくが、協定違反だからな。文句を言われたって困るぜ』

『事情があってな、通信とシールド以外の機能は故障しているよ。べつに、文句を言う気はないさ。先獣化人(ヴィソーキィ)の私にとって、この程度の光線を弾くなど容易いことだからね。それよりも、だ。大陸協定十七条に基づいて要救助者を連れているのだがね』

『要救助者? まさか、そいつを俺に押しつけようって魂胆か』

 面倒くさい相棒を相手にするだけで手一杯なのに、怪我人を抱える余裕なんてない。

 男とも女ともつかない不思議な声の主は、「ふん」と鼻を鳴らして続けた。

『人聞きの悪いことを、お言いでないよ。私は、生身で行動している。背中の上で凍死されては、夢見が悪くなるんでね。とにかく、引き受けることだ。後ろ指は、刺されたくないだろう』

『……くそ、とにかくこっちに来い。話は、それからだ』

 大陸協定をちらつかせられては、不本意でも頷くしかなかった。

 誰がいつ決めたのかは定かでないが、絶対領域を渡る旅人にとって、行き倒れを見捨てる行為は最大の恥とされている。

 厳守しなければならないほどの拘束力はないのだが、行き倒れを見捨てたのが知れ渡れば、臆病者だの、腰抜けだのと、白い目で見られるようになる。風の噂程度でも、だ。

 そうなれば当然、仕事に支障が出てくる。場合によっては、町にもいられなくなってしまうだろう。

『面倒なことになりそうだな、ウル』

『先のことは、とりあえず後だ。くそ、無駄足を食らっちまったな。だから、噂は信用できないんだよ。有り金叩いて都合した燃料代が、全部おじゃんだ。獲物は、氷床毛長鳥だけ。くそったれ、さらに借金が増えるぞ』

 近づいてくる足音に、ウルブスキィはライトを点けるようジャコウに指示を出す。

 人工の明かりに追い出される闇、ぽっかりと白く切り出された空間に突き出されたのは、巨大な熊の頭部だった。


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