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深音 -果ての世界は、白-  作者: くろう
1章 サスツルギの稜線
1/5

1-1

『準備はできているか、ウル。死にそうならば、喜んで暖めに行ってやるぞ』

 脳髄に響く男の声に、ウルブスキィはコンテナの壁に掛かっている温度計を見やった。

 室内温度は、マイナス三十五度。

 冷房を効かせているわけでもないのに、この気温だ。

 油断すれば凍死さえあり得る過酷な環境だが、ブリザードが唸りを上げる外を思えば、吐いた息がすぐさま凍るようなこの気温も、南国のようなものだろう。

 溜息の代わりに肩をすくめ、『張り切りすぎて、凍死しそうだ』と、こめかみ付近に移植された通信機、多面的回路(エリクシール)を介して、相棒のジャコウに軽口を返す。

『狩りは忍耐と、体力と自制心。どれも微妙に欠けているとあっては、さぞ辛いだろうなぁ、ウルよ』

『微妙って、何だよ』

『ショックを受けないように、気を遣ってやっているのだよ』

『いらん気遣いだな、むしろ腹が立つ』

 怒声の一つでも浴びせてやりたいところだが、口を開けば、一瞬で粘膜を冷気で灼かれてしまう。

 低体温症を防ぐ不凍タンパク質(FTP)剤を投与していても、油断は即、致命傷へと繋がりかねない環境だ。

 じっと立ったままとはいえ、ウルブスキィは一人、差し迫る死と必死に戦っているわけだ。つまり、どんなに軽い冗談だろうと、笑って許しちゃおけない精神状況にあった。

『いいか、俺たちは今、結構な死活問題を抱えてる。さすがに、知らんとは言わせないからな』

『……口を開けば、金の話か。ウルブスキィ、お前がそんなにセコイ男とは知らなかったぞ!』 

『現実的だと、言って欲しいもんだな!』

 がん、と。怒りにまかせて、霜がびっしりとこびり付いたコンテナの壁を蹴りつける。 物にあたるなんて幼稚でしかないが、壁を蹴りつけるか、歯ぎしりするか無いのだからしかたない。

『いいか! 何度も言っているようだが、また言うぞ! お前達が理解するまで、俺は何度でも言うからな!』

 蹴りつけた拍子に転がった、自由電子レーザー式……通称FEL(フェル)式イパーライフル銃……通称〈タロ〉を拾い上げる。

 全長一メートル弱、ロングバレルの《タロ》の重量のほとんどは、銃床(ストツク)部分に内蔵されている主蓄電池のものだ。

 主蓄電池を使った最大出力数は二発。

 通常銃ならば弾倉に相当する部分に収まっている、副蓄電池によるシステム稼働時間は、最大で一時間弱。

 自由電子レーザーは風や重力の影響、もちろん寒さのを受けることなく直進し、着弾は一瞬。銃爪を引いた直後には、対象の肉体を貫通している代物だ。

 マイナス五十度の世界で使われる銃のほとんどが、このFEL式銃だ。通常弾は、温度の安定している屋内でしか使われることはない。

 ウルブスキィは〈タロ〉に傷が入っていないのを入念に確認し、ほっと息をつくまねをして、がちがちに凍った冷凍肉をジャコウに見立てて思いっきり睨み付けてやった。

『何をするにも、資金は必要だ。なのに、何だ! まとまった金が入ればすぐ酒だ、賭博だのとはしゃぎやがる! もっと、真っ当に生きてみたらどうなんだよ! 毎度毎度、帳尻を合わせるオレの身になってみたことはあるのか? 綺麗な顔だけじゃ、喰っていけないんだってこと、いい加減に分かれよ馬鹿! 外でひと踊りして、生まれ変わって出直してこい!』

 地団駄を踏む度、赤く染めた髪から、細かい氷がぱらぱらと落ちる。 

『予定していた日程を、二日もオーバーしてる。冗談抜きで大物を、絶対領羆(イオマンテ)を仕留めきれなきゃ、俺たちは終りだ!』

『……待て、静かにしろウルブスキィ。仕掛けた生き餌に近づく熱源を、レーダーが感知した』

『絶対領羆か?』

 子供を叱りつけるような口調は気にくわなかったが、分別がつかない年齢でもない。

 ウルブスキィは怒りを胃に収め、さっさと意識を切り替える。

 首に掛けていたゴーグルを装着し、フードを目深に被る。できうる限り素肌を晒さないようにマスクもたくし上げ、〈タロ〉のガン・ストラップを肩に下げた。

 肩に食い込むような、ずっしりとした銃の重さは、そのまま、ウルブスキィの命の重さとなる。

『ジャコウ、扉を開けてくれ。食い物に夢中になっている間に、狙撃す――』

『まずい、伏せろウルブスキィ!』

 狙撃のイメージを描いていたウルブスキィは、切羽詰まったジャコウの声に、まともに反応することができなかった。

 いや、見られていたのなら、一ヶ月は馬鹿にされるだろうなんとも言えない馬鹿面をさらしてはいたが……ともかく、気付けば、みっともなく床にへばりついていた。

 自らから伏せた記憶はない。むしろ、そんな余裕はなかった。

 おまけによくよく見れば、這いつくばってるのは床じゃなくて壁だった。コンテナが、横転している。

『ジャコウ、ハッチを開けろ! くそったれ、こっちに気付きやがったか?』

 状況を理解してゆくにつれ、意識の外へと吹っ飛んでいた痛みが帰ってくる。

 マイナス五十度にもなるブリザードから耐えるため、ウェアは分厚い。

 打撲は泣くほど痛いが、骨折はないはずだ。壁に張り付き始めた手足を引きはがし、勢いを付けて立ち上がる。

 衝撃にフレームが歪んだのか、後部ハッチの開きが悪い。

(こりゃあ、修理代がかさむぞ)

 命よりも出費に思考が傾くのも、なさけない。ウルブスキィは肩をすくめ、隙間に体をねじ込み、脱出する。

『気をつけろ、ウル。コンテナを転がしたのは、絶対領羆ではない』

 頬に吹き付けてくる、乾いた粉雪。室内とは比べものにもならない悪魔の息吹が、ウルブスキィの体に容赦なく噛みついてきた。

『絶対領羆じゃないってんなら、当て逃げしてったのは、どこの何奴だ』

『餌に繋いでいた、氷床毛長鳥だよ』

『……そりゃあ、腰がぬけそうだ』

 月のない夜空には、風の音以外は何も無い。

 沈黙の闇が、ウルブスキィの目の前に、不気味にひろがっていた。

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