特別自然保護区域【企画candy store】
生き甲斐を失ってしまった。
唯一、俺が生きるために必要だった職
物理的にも精神的にも、俺に必要だったものだ。
「……この不況じゃ、仕方ないか」
口ではそう言ってみるが、どこか納得できていない。
抜け殻のような状態で、力なく玄関の扉を開ける。
このアパートと過ごせるのも、あと数えるほどしかない。
今にして、家庭を持っていなくて良かったと思う。
それと同時に、家庭が無くて良かったと思う日が来てしまったことに虚しさを感じた。
カタン、と言う金属音がポストに夕刊が投函された事を教えてくれる。
俺は明日の占いの書かれた新聞を、扉の裏から引っこ抜く。
それと同時に、白い封筒が玄関に落ちた。
「……なんだこれ」
真っ白い封筒は、新聞を引っこ抜いたときにインクがついてしまい
片面だけ、少しかすれたような色になっている。
そこには俺のアパートの住所、そして裏には特別自然保護区域協会。と書かれていた。
「……特別自然保護区域」
見覚えのある言葉だ。
前に懸賞か何かで応募したような覚えがある。
封を切り、中から紙を取り出すと手紙と契約書が顔を出す。
「あなたは見事当選しました……自然保護区域に住んでみませんか……ね」
手紙にはおおよそそんなことが書かれていた。
最後の方に、待ち合わせ場所と時間が書かれている。
特別自然保護区域とは、人の手がほとんど加えられない状態を作り出すプロジェクトで
擬似的な村を作り、そこへ人に住んでもらうことで自然と触れ合う時間と人間を増やし
同時に、むやみな森林伐採を防ぐ効果が見込まれているらしい。
今回はその試作段階と言うことで、山の近くにある村に住んでみないかと言うものだった。
契約書には特別自然保護区域の諸注意、以上に同意するか否かを問われる二択。
条件を見たところ、電気を通せない、車も通せない。家賃は試作段階のため免除。
特にとんでもない条件が書かれているわけではなかった。
そうなると、もう断る理由もない。
村の村長さんに会い。契約書を手渡すと俺の新しい家へと案内された。
しかし、車が使えない上にそれなりに遠い所にあるため、かなり疲れる。
平屋で、アパートの何倍も広い。
「……ここが、俺の家か」
案内をしてくれた村長は、すぐに帰ってしまった。
それよりも、案内の途中で
この村は、出る。と言ったのが非常に気にかかっていた。
しかし歩き疲れた俺は、とりあえず畳の上に寝転がる。
俺は心地よく懐かしい感触と、風の中意識を手放した。
そして、しばらく経ってから意識は無理矢理引きもどされた。
「誰か! 助けてください! 誰か!」
大声で女の人が叫んでいるようだ。
俺は眠い目を擦りながら玄関を開け、広い原っぱを眺めた。
すると、セーラー服に身を包んだ中学生くらいの女の子が走りながら叫んでいる。
特に誰かに追いかけられている様子は無いが、ここに住んでいる人だろうと思い、声をかけた。
「どうかしましたかー!」
こちらも大声で、叫ぶと女の子は立ち止りこちらへ進行方向を変えた。
「猫が! 猫が流されそうなんです!」
え? と聞き返す暇もなく、女の子は逆方向へ走って行ってしまう。
慌てて靴を履き女の子を追いかけると、水の音が聞こえてきた。
近くに川があるようで、その音の方へ向かっていくと女の子が手招きをしている。
「こっちです! あの猫!」
俺が肩で息をしながら柵もない川を見下ろすと、段ボールが対岸にある草の茂みに引っ掛かっていた。
どうやらあの中に猫がいるらしい。
今にも流されそうな段ボール。あまりに激しい川の流れに戸惑ったが
必死な中学生の顔を見て、俺は一思いに膝まである水の中を必死で渡った。
思ったより流れは強くないが、それでもこの段ボールは良く流されなかったと思う。
水にぬれて底が抜けそうな段ボールを抱え、猫に動かないよう必死に説得する俺の姿は不審者そのものだっただろう。
そして、猫は俺の家に住むことになった。
あの女の子は助けを呼ぶのに必死で、その後どうするか考えていなかったらしい。
しかし、それからというもの、毎日のように誰かが訪ねてきた。
ある人は相談を聞いてほしいと言い。ある人はかぼちゃの煮つけの作り方を教えてくれた。
この村は水も汲んでこないといけないし、ガスはないが代わりに着火剤や炭、七輪等が支給され
電気と水以外はそこまで苦労は無い。
しかし、逆に言えばそれ以外は非常に苦労するのだが
毎日訪れる人たちによって、それは何倍も楽に感じられた。
村は助け合い。俺も少し余裕が出来たら他の人を助けに行ってみよう。
今日は村から支給された野菜の種を撒こうとしたが、小学生くらいの男の子がやってきて
「手紙の出し方を知りたいんだけど……」と聞いてきた。
最近は手紙を書いていない。記憶を探りながらゆっくり手伝った。
他にも、相談に乗ってほしい、電報を打ってほしいなど
様々なお願いをしてくる人がいた。
芽が出てきた野菜に水をやる作業の途中で休憩をして
縁側で手作りのみたらし団子を食べ昭和の気分に浸っていると、遠くで誰かが手を振っている。
「……あれは」
一度だけ見た事がある服装だった。
大声で叫び、必死に猫を助けようとしていたあの子だ。
「おーい!」
俺が手を振り返すと、向こうは手を振るのを止めいきなりこちらへ走ってきた。
しばらく待っていると、だんだん大きくなってきたその子は俺の目の前で足を止め
五分ほど肩で息をしていた。
「お、お疲れ様……」
あまりに突拍子もない行動に驚きながら声をかけると、その子は縁側へうつ伏せに倒れ込んだ。
「だ、大丈夫?」
「……だ……だい……じょうぶ……です」
大丈夫には見えない、今頃この子の心臓と肺は大忙しだろう。
俺は台所から、コップに入れた冷たい麦茶と
二時間前の自分から受け継いだ秘伝の垂れをかけたみたらし団子を新たに作り、そっと差し出した。
「あ、有難う……ございます」
だいぶ落ち着いてきたが、まだ少し息が荒い。
「あの……麦茶、飲ませて……もらえませんか?」
「えっ? ……うん」
小さい子供を看病するように、お茶をゆっくりと口に含ませた。
「ぷはぁ! 生き返った!」
リアクションがおじさん臭い。
すると俺の手からコップを受け取り、グイッと一気に飲んだ。
しかし、少し量が多かったのかむせ返ってしまった。
慌てて背中をさすろうとしたとき、女の子の背中に乗るはずだった手は当たり前のように空を切った。
「……え?」
「えっ?」
あまりに一瞬の出来ごとに、何が起きたのか理解が追いつかない。
「……だい、じょうぶ?」
何かをごまかすようにそう聞くと
「だい、じょうぶですよ?」
女の子は俺の妙な途切れ方を真似して答え、笑った。
俺は、何かの間違いだと思いそのまま話続けた。
しかし、問題はその後だ。
彼女は帰ると言ったので、お土産にお団子を持って来ようとした。
しかし、餡子かみたらしか聞こうと振り向いたとき。
たった二秒ほどの瞬間に、彼女は忽然と消えてしまった。
その時俺は、彼女が人間ではないと考えてしまったのだ。
すぐ後に村長が、俺が独り言を言っている、と心配そうに声をかけてきた事が
俺の思い違いでは無いと物語っていた。
だからなんだ、その時はそう思っていた。
だが、俺はそこまで単純ではなかったようだ。
布団をかぶったものの、なかなか寝付けない。
今まで来た人たちも、幽霊のようなものだったのだろうか?
何か未練を残さないように来るのだろうか?
俺にはどうにも昔から、考えすぎる癖がある。
一体何をしに来たのか、それが気になって仕方が無かった。
魂を取られるのではないか。
そんな考えも頭をよぎる。
俺は、知らず知らずの間に幽霊にとてつもない恐怖を抱いていた。
誰が来ようとも、居留守を使うようになっていった。
怖い、一体何の根拠があるのだろう。しかし不安ばかりが大きくなっていく。
怖い、怖い、怖い。
なんでも無くそんな言葉だけが常に頭の中を廻った。
そんなある日、いつものように玄関を誰かが叩き俺はじっと息を殺す。
「あのー! 猫を見に来ました!」
あの中学生か、彼女も俺のこと騙していたのかな。
「ごめんなさい! 口実でした!」
……嘘がつけるような子じゃないようだ。
「あの! 誤解しているみたいだったので!」
そっと立ち上がり、ドアノブを掴もうとした。
しかし、手が震える。
俺は、彼女を信用できないのだろうか? 俺は何に恐怖を抱いているのだろう。
ゆっくりと手を伸ばそうとするが、まだ、怖い。
「聞いてますか? 勝手に話しますよ?」
俺が返事をする前に、彼女は話し始めた。
「私は確かにもう死んでいます、多分他の人には見えません。声も聞こえないと思います、私はすっごく怖かったんです、誰も私を見てくれなくて、誰も私に気づいてくれなくて……でも、あなたは私に声をかけてくれました。私、嬉しかったです! それに、私みたいな幽霊はもっといっぱいいると……だから、もう少しだけ私達幽霊に力を貸してもらえませんか?」
そう言うと同時に、扉を細い右腕がこちらへ顔を出した。
どうやら、幽霊に障害物など無いも同じらしい。
しかし、突き抜けた右腕は慌てて外へ帰って行った。
彼女は一歩足を前に出せば、俺の目の前に来られるのだ。
でも、彼女はそうしない。
俺は、まだ手が震えるのを感じていた。
だが、もうそんなことは関係ない。
無理矢理ドアノブを捻り、思い切りドアを開ける。
そこには、ホッとしたような笑顔を俺に向けてくれる幽霊が確かに存在していた。
俺は笑顔を返しながら、彼女の手のある場所に自分の手を重ねる。
ほんの少しだけ、温もりを感じた気がした。
前日に書きあがった作品です。
回を追うごとにテーマとなるお菓子の存在感が薄くなっていますね。
今回は完全にチョイ役です。
もっと大きめに絡ませたいものです……
誤字脱字、この表現おかしいだろ等。有りましたら、教えていただけるとありがたいです。