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丑三ツ書店の清書係 〜指切り心中〜   作者: 入江 鋭利
第一部「指切り原稿」
9/20

八頁目:真夜中の闖入者



 ドンドンドンドンドン!!



 鉄の扉が悲鳴を上げ、古いアパートの壁が心臓の鼓動のように脈打つ。


 僕は後ずさり、(もつ)れた足がベッドの端に引っかかって、そのまま尻餅をついた。逃げ場などどこにもない。六畳一間の四角い檻は、今や僕を死へと閉じ込める密室へと変貌(へんぼう)していた。


 ドアスコープを塞いでいた"影"が、今度は扉全体を圧し折ろうとしている。


 ガッ、ガッ、と、人の体とは思えないほど重い衝撃が繰り返されるたびに、建付けの悪いドア枠から錆びた鉄の粉が舞い、床に散らばった。


(逃げなきゃ。でも、どこへ?)


 窓は小さく、外には転落防止の格子が嵌まっている。玄関だけが唯一の出口であり、そして今、そこは死神の通り道となっていた。


 僕は震える手で握りしめた真鍮の文鎮は酷く頼りない。振り回したとて、たった三百グラムの重り。そんなものが何の役に立つというのか。


 バキィッ!!


 耳を(つんざ)くような破壊音が響き、ドアの隙間から冷たい廊下の空気が流れ込んできた。


 扉が内側に無残に折れ曲がり、鍵のボルトが弾け飛んで壁を叩く。


 ――開いた。


 逆光に照らされた廊下の闇を背負って、複数の人影がなだれ込んでくる。


 一人は長身で、一人は小太り。それだけは判別できたが、彼らは顔を深くフードで隠し、一切の声を上げない。怒声も、脅しも、要求もない。ただ、目的を遂行するためだけに動く、意志を持たない機械のような無機質な動き。それが、何よりも恐ろしかった。


「だ、誰ですか……っ! 泥棒なら、お金なんて……!」


 叫ぶ僕の問いに、彼らは一瞥(いちべつ)もくれない。


 その内の一人が、粘土をこねたような足取りでゆっくりと僕に歩み寄る。


 彼は膝をついて僕を組み伏せようとし、大きな、節くれ立った手を僕の首元へと伸ばしてきた。


「……っ、や、やめ……!」


 喉元に冷たい感触が触れる。指が食い込み、気道が狭まる。


 肺の空気が押し出され、視界がチカチカと火花を散らす。

 

(終わる。……何も、分かっていないのに)


 叔父さんの絶筆に込められた言葉。指切り心中の意味。日下さんの隠し事。


 それらに触れる前に、僕という"白紙"が文字通り破り捨てられようとしていた。


 僕が絶望して目を閉じた――その時だった。




「――はいはいどうもー! あかねチャンネル、緊急生配信! 新メンバー、さっくーのお家にアポなし凸してみた!」




 鼓膜を突き破るような、場違いなほど明るく、刺々しい声。


 同時に、廊下から何かが弾丸のような速さで飛び込んできた。


 ドゴォッ!!


 僕の首を絞めていた男の横顔に、強烈な回し蹴りがめり込んだ。


 鈍い音と共に男が吹き飛び、壁際の本棚に突っ込んで、叔父の著書を数冊道連れに床へ崩れ落ちる。


 呆然と目を開けると、そこには片手に、ジンバルに固定されたスマートフォンを掲げ、もう片方の拳を構えた朱音が立っていた。


「あ、朱音、さん……!?」


「おっと、今の画角はちょっとバイオレンスすぎたかな? みんな、今のシーンは"特殊な映像効果"だからね! よい子は絶対真似しちゃダメだよ!」


 朱音はカメラに向かって完璧な配信者スマイルとウインクを飛ばしながら、しなやかな動きで次の侵入者の鳩尾を突き上げた。


 彼女の動きには迷いがない。それでいて、自分の暴力行為をカメラの画角から絶妙に外しつつ、現場の臨場(ライブ)感だけを視聴者に届けるという、曲芸に近い動きを披露している。


「うりゃっ、そこ邪魔! 道空けて! 同接どうせつ三万人があんたたちの不細工なツラを見てるよ!」


 侵入者たちが、(まばゆ)いスマートフォンのLEDライトと、彼女の放つ異様なまでのバイタリティに怯んだ。その隙を逃さず、朱音は僕の腕を乱暴に掴んで引き起こした。


「さっくー、話は後。ここ、完全に囲まれてるよ。外に車停めてあるから、とっとと逃げよう!」


 彼女の勢いに押されるまま、僕は叔父の手記が入った鞄を抱え、破られた扉から飛び出した。


 廊下にもいくつかの人影が見えたが、朱音がジンバルを警棒のように振り回して威嚇すると、なぜか彼らは一瞬だけ躊躇いを見せた。


 アパートの裏手、線路沿いの暗がりに、その車は停まっていた。


 装幀市の古い街並みにはあまりにも不釣り合いな、マットブラックに塗装された重厚なSUV。トヨタのランドクルーザー300。それも、オフロード用の巨大なタイヤとガードを装着した、戦車のような佇まいの一台だ。


「乗って! 早く!」


 助手席に放り込まれ、朱音が運転席に飛び乗るのと同時に、V6ツインターボエンジンが野太い咆哮(ほうこう)を上げた。


 タイヤが砂利を撒き散らし、車体は夜の闇を切り裂くように急発進した。


 数分後。


 バックミラーからアパートの影が完全に消え、国道へと合流したところで、僕はようやく肺に溜まっていた熱い空気をすべて吐き出した。全身の震えが止まらない。シートベルトを握る掌は、冷や汗でぐっしょりと濡れていた。


「……あ、あの。どうして僕がピンチだってわかったんですか?」


 ハンドルを握り、片手でスマホの配信終了ボタンを操作した朱音が、ちらりと僕を見た。車内は最新の電子機器の明かりが灯り、先ほどまでの死の気配とは無縁の、デジタルな空間だった。


「すみちーから連絡があったのよ。あいつ、布団の中から『さく、たぶん、やばい』とかいう、意味不明だけど切実なメッセージ送ってきてさ。慌てて向かったってわけ」


「墨千夜さんから……? でも、どうやって僕の家を……」


「うちのリスナーの"特定班"ナメちゃだめだぜ、さっくー」


 朱音は不敵に笑い、ランドクルーザーのコンソールボックスを叩いた。


「名前も顔もわかってるんだ。最近はおっかないことに、デジタルに足跡(ログ)を残ちゃったが最後、特定なんて秒なんだよ。さっくー、もう顔も住んでるとこもバレバレ。インターネットって、本当に怖いねえ」


(……一番怖いのはあんただ)


 というか、もう顔もバレてるんじゃないか。


 そう言いたいが、助けられたのは確かだ。ここは、飲み込むことにした。


「……言いたいことは色々ありますが、ひとまず、今回は本当に助かりました」


 僕は深く座席に沈み込んだ。誰か味方をしてくれたという事実に、安堵と、それ以上の薄ら寒さを覚える。


 あの無言の侵入者たちが僕の部屋を知っていたということは、あちら側も朱音と同じ、あるいはそれ以上の特定能力を持っているということか?


 だとすれば――僕は。


「んで、これからどうすんの? とりあえずすみちーには、"丑三ツ書店"に連れてくるように言われてるよ。でも、まだ開店時間まで一時間以上あるし、どっかで時間を潰してから行こっか。ファミレスでも寄る? それとも、土産にプリンでも買っとく?」


「……いえ。それなら、一箇所だけ、行きたいところがあるんです」


 僕は鞄を強く抱きしめ、フロントガラスの先に続く、街灯の乏しい暗闇を見据えた。


「どこ、それ? 今夜はもう大人しく、私に守られてた方がいいと思うけど」


 ――僕は目的地を告げた。

 

「……は?」


 信号待ちで止まった朱音が、ハンドルを握ったまま固まり、信じられないものを見るような目で僕を凝視した。


「うっわ、それ、マジ……? さっくー、意外と大胆なんだねえ。さっきの今だよ?」


「でも、お願いします。さっき自分の部屋で考えたんです。あそこにあるはずの"違和感"を確認しないと、たぶん叔父が死んだ本当の理由には辿り着けない」


 僕の声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。


 頭の端っこに引っかかり続けている、小さな違和感。


 それが何なのかを確かめるまで、"清書"をしたとしても、真相には辿り着けない――そんな気がしていた。


「……ま、いいけどね。そういう命知らずな凸、視聴者は一番の大好物だし。リスクが高いほど、撮りがいがあるってもんよ」


 朱音はギアを入れ、力強くアクセルを踏み込んだ。


 漆黒のランドクルーザーは、再び装幀市の深淵へと、その牙を剥いて突き進んでいった。


 夜の闇に消えていく赤いテールランプ。


 その先で僕を待っているのは、叔父からの"遺言"か、それとも僕を抹殺しようとする"結末"か。

 

 物語の頁は、猛烈な勢いでめくられ続けていた。

 もう、後戻りはできない。


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