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丑三ツ書店の清書係 〜指切り心中〜   作者: 入江 鋭利
第二部 「神隠し集落の記帳本」
19/21

十八頁目:日が隠れる頃に


 みはらし峠の頂上。展望デッキの脇にある、木目が剥げかけたベンチに腰を下ろし、僕たちは青白いスマートフォンの明かりを頼りに情報を整理し始めた。


 夕闇は刻一刻と深まり、視界の端から徐々に日常の色が奪われていく。朱音の持つ端末からは、休むことなくコメントが流れる通知音が響き、それがこの静まり返った山頂で唯一の、文明との繋がりだった。


「……さっくー、ちょっとこれ見て。やっぱりこの村の"神隠し"、普通のとは毛色が違うみたい」


 朱音がリスナーから寄せられた、過去の失踪事件に関するまとめ記事のリンクを僕に提示した。画面をスクロールする指先が、山頂の寒さで赤くなっている。


「どういうことですか、朱音さん」


「あのね、さっき『全員帰ってきている』って言ったでしょ? その具体的な中身がわかってきたの。……五年前に消えた当時中学生だった男の子とか、三年前に行方不明になったバックパッカーの男性とか。みんな、いなくなってから数年後に、ちゃんと生存が確認されてるんだって」


 僕は画面に目を凝らした。


 そこには、かつての失踪者たちの"その後"が記されていた。


「……なるほど。SNSが更新されたり、家族に突然『元気にやってるから心配しないで』って連絡が来たり。……中には、実家に届け物をしたケースもあるんですね。……じゃあ、今回の"神隠し"も、永続的なものじゃないんでしょうか?」


 もしそうなら、落合 香奈もいつか帰ってくることになる。


 "神隠し"という言葉が持つ、現世からの完全な断絶というイメージからは、少し遠のく。


「いなくなっていた数年間、どこで何をしていたかの説明も、一応しっかりしてるんだよ。……ある人は、東南アジアの方に自分探しに出てたとか。またある人は、ハイキング中に滑落して、頭を打って記憶をなくして、隣町の施設で保護されてたとか……。とにかく、どれも『ありそうな理由』で片付いてるみたい」


「……ありそうな理由、ですか」


 僕は言いようのない違和感を覚えた。

 それらの理由があまりにも適当で、合理的すぎる。

 

「……それなら、神隠しでも何でもないじゃないですか。この展望台に来て、記帳本に名前を書いてから失踪者が相次いでいたのは、ただの偶然……? あるいは、失踪の動機をこの場所に求めただけなんでしょうか」


 朔はそこで、希望的観測を口にしてみた。


 落合香奈も、何か事情があって自ら姿を消しただけなのか。三つのバイトを掛け持ちし、無理に金を作っていたのも、どこか遠くへ、自分探しに行くための資金だったというのなら、最悪の事態は免れていることになる。


 しかし、朱音は冷ややかな目でスマホを見つめたまま、首を横に振った。


「帰ってくるかもしれないし、帰ってこないかもしれない。……そんな分かんない状態で、台東さんに『そのうち帰ってくるからずっと待ってなよ』って言うのは、流石に酷なんじゃないの?」


「……それも、そうですね」


 いなくなったのなら、死んでしまったのなら、いつか踏ん切りをつけて進むこともできるだろう。


 しかし、どうなったかわからないのでは、その区切りすらも存在しない。宙ぶらりんのまま、惰性で日々を暮らしていくことになる。


「それにさ……帰ってきた人たち、みんな、少しおかしなことになってるって噂があるんだよね」


「……おかしなこと?」


「性格がガラッと変わって、人が良くなりすぎちゃったとか。……あるいは、頑なに人と会おうとしないとか。……不自然なんだよ。ピースは揃ってるのに、絵が完成しない感じ」


 朱音はそう言って、再びリスナーたちに向けて情報を募る。

「はいはーい、みんな聞こえてるー? 今、みはらし峠の頂上。例の"帰還者"たちの話をもっと詳しく知りたい! 見返村について何か知ってたりとか、今も普通に暮らしてる元・神隠し被害者とか、心当たりある人いない?」


 だが、期待に反して、画面に流れるコメントは急速に混沌とし始めた。



『俺の従兄弟も見返村に行ってから性格変わったw』


『それ、ドッペルゲンガーだよ。入れ替わってるんだよ』


『展望台の下に、実は秘密の施設があるらしいぜ!』


『嘘乙。見返村なんてそもそも地図に載ってねえよw』



「……あちゃー、だめだこりゃ。目立ちたいだけのキッズや、面白がってるだけのアカウントが参戦してきちゃって、どれが正確な情報か全然わかんないや」


 朱音は呆れたように大きなため息を吐き、配信の音量を絞った。


 暗くなり始めた周囲、照明の少ない山頂。スマートフォンのディスプレイだけが、彼女の顔を青白く、不気味に照らし出している。


「潮時、ですね。……台東さんが言う"絶筆"……あの記帳本の塗り潰しも、結局この暗さじゃ、僕にもどうしようもありません」


 僕は机の上の、あのボロボロのノートを一瞥した。


 あの判読不能な黒い塊。


 叔父の絶筆をなぞった時に感じた、あの"物語の意志"のようなものが、今は沈黙している。あるいは、あまりにも多くの声が重なりすぎて、僕の指先が麻痺してしまっているのか。


「そうだね。一旦引き上げよう。……夜を待って、丑三ツ書店が開店する頃にすみちーに連絡してみよっか。あいつなら、この"塗り潰し"の意味も、記帳本の正体も、何か知ってるかもしれないし――」


 朱音がそこまで話した、その瞬間だった。


 ――ゾッとした。


 冬の夜風とは違う、鋭利な刃物が首筋をなぞるような感覚。


 それはいつか、僕の部屋に襲い来た、あの"悪意"と同じ気配。


 思考よりも先に、僕の身体が反応した。


「朱音さん、伏せて!!」


「えっ……?」


 反射的に、僕は朱音の肩を掴んで、地面に押し倒すように抱き込んだ。


 直後。


 ――ドォォン!!



 空気を切り裂く鈍い音が響いた。



 朱音の後頭部があったはずの場所を、太い木製のバットのようなものが猛然と通過していく。

 

「……うぐっ!?」


 そのまま、振り抜かれた衝撃が、僕の背中に直撃した。


 肺の中の空気が、一度にすべて吐き出される。


 脊髄を突き抜けるような激痛が走り、視界が真っ白に明滅した。

 

「さ、さっくー!? ちょっと、何、今の!?」


 腕の中で、朱音が叫ぶ。

 僕は痛みに悶えながらも、なんとか視線を上げた。


 そこには、人影が立っていた。


 一人ではない。二人、三人……。


 いつの間に現れたのか、彼らは音もなく、僕たちが座っていたベンチを円状に取り囲んでいた。


 その姿は、あまりにも異様だった。

 

 服装こそ、村で見かけるような地味な作業着だったが、その"顔"がない。


 正確には、彼らは頭から、麻袋のようなものをすっぽりと被っていた。


 目の部分だけに不格好な穴が開けられ、そこから暗い眼光がこちらを覗き込んでいる。


「……っ、ハァッ、ハァッ……、だ、誰だ……」


 僕は背中の激痛に耐えながら、絞り出すように声を上げた。

 

 返事はない。


 袋を被った彼らは、ただ一様に、無機質な動作で一歩、また一歩と距離を詰めてくる。


 一人が持っていたのは、血の滲んだような太い角材。


 もう一人が手にしていたのは、錆びついた鎌だった。


「……ちょっと、これ、マジなやつ? ドッキリとかじゃないよね?」


 朱音が震える手で、地面に落ちたスマートフォンに手を伸ばす。


 だが、袋を被った男の一人が、容赦なくその手を踏みつけた。


「アッ……!?」


「逃がさねえよ。……余所者は、記帳本に名前を書くのが決まりだ」


 袋の奥から、籠ったような、けれど張りのある低い声が漏れた。


 稿坂か……? いや、もっと若く、けれど感情が完全に欠落したような、不気味な声。


「神様への招待状だ。……お前らも、幸せにしてやるよ」

 袋の穴から覗く瞳が、狂気と義務感の混じった光を湛えて笑っているように見えた。

 

 僕は動かなくなった身体を必死に叱咤し、朱音の前に立ちはだかった。


 背中を強打された影響で、感覚が麻痺している。指先さえ、思うように動かない。

 

 囲まれている。


 逃げ場のない山頂で、神隠しの実行犯たちが、僕たちの命に手を伸ばしていた。


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