■ 大阪会議(仮:延宝大阪会議 1675年) — 海外進出した諸勢力の利害を調整し、日本の対外政策を統一する転換点 —
● 背景
関ヶ原後、徳川家が没落し、上杉主導の「上杉政権」が中央を支配すると、
日本国内の大名勢力は二つの方向へ分散した。
1. 東国・北方派(上杉・伊達系)
蝦夷地、樺太を攻略し、北米(新咲州=アラスカ)に至るルートを拓く。
とくに伊達家は徳川旧臣の吸収で技術・知識を得て海洋進出を加速。
2. 南方派(島津・キリシタン諸侯)
琉球征伐を皮切りに台湾・フィリピン方面へ勢力を伸ばす。
キリシタン大名は南蛮貿易の延長でミクロネシア・メラネシアへ進出。
3. 長州派(上杉政権内部の改革派)
国内産業・軍備の整備や、外交戦略の体系化を主張。
吉田松陰思想の源流となる「海防総論」を提唱。
こうした発展により、日本国内の統一的外交方針が急務となる。
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■ 大阪会議開催の経緯
● ① スペインとの対立激化
• 伊達領新咲州方面で、スペイン領カリフォルニアとの境界衝突が頻発。
• 島津・キリシタン勢の南方進出で、フィリピン周辺でも小競り合いが起き
る。
• スペインは日本の活動を「アジア版無敵艦隊への挑戦」と認識。
● ② オランダとの摩擦
• 鄭成功(国姓爺)を日本諸侯が支援し、台湾でオランダ勢力と交戦。
• オランダ商館は江戸(上杉政権)に抗議し、貿易停止の脅しをかける。
● ③ 英国への接近
• オランダと敵対しつつある英国が、日本への同盟提案を示唆。
• 日本としても、オランダとスペインに対抗しうる「第三の海洋勢力」を必
要とした。
● ④ 国内大名の利害調整
• 伊達は北方領土の支援と軍事的承認を要求。
• 島津・キリシタン勢は南方貿易と布教の自由を確保したい。
• 上杉政権は「統一的な外交・軍政権限」を求める。
これらが重なり、大規模な諸大名会議が必要となり、大阪が会議地に選ばれ
る。
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■ 大阪会議の構成と主役
• 議長:上杉綱勝(上杉政権の実質的トップ)
• 北方代表:伊達綱村
• 南方代表:島津綱久、キリシタン大名団
• 政策代表:長州の宍戸隆家を中心とする海軍派
• 外交顧問:明出身の鄭成功(特別参加)
この会議が「日本の対外政策を決定する初の国家レベル会議」として歴史に
残る。
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■ 大阪会議で決まった主要方針
1. 北方領域の正式承認
• 蝦夷(北海道)、樺太は上杉政権直轄地として整備。
• アラスカ(新咲州)・北米西岸(新海州)は伊達家の準領地扱いで開発継
続。
• ロシアとの関係構築のため、伊達家外交権限の一部を国家に移譲。
→ 北方の領地化が合法化し、国家の北進方針が定まる。
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2. 南方の保護国政策
• 琉球王国:島津の保護国化を国家として承認。
• 台湾:鄭成功の政権樹立を”友邦”として承認。
• フィリピン:スペインとの緊張は保ちつつ、経済・宗教活動を強化。
→ 南方は島津・キリシタン勢が実質的な「委任統治」を行う構図に。
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3. 国家による外交調整機関の創設
名称:「大日本海外経営会議(大阪評議)」
(後世「大和会議」「海外会議」とも呼ばれる)
任務
• 対スペイン・オランダ・英国への共通外交方針を策定
• 海外領土の境界争いの仲裁
• 海軍の建設計画と予算割り当て
これにより、各大名家の対外行動が「国家戦略」の枠内に収まるようになっ
た。
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4. 英国との正式交渉開始
• 目的:オランダに対抗するための「同盟または協調路線」
• 英国に対し、オーストラリア・ニュージーランド方面での棲み分けを提案
• その代わり、英国は日本の北米進出を容認
→ 後の「日英海洋協商」につながる布石となる。
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5. 日本初の“海外植民政策”の明文化
• 開拓民の募集制度
• 軍政・民政の二重統治方式
• 現地民との関係管理(同化か自治かを地域ごとに区別)
→ これ以降、日本は本格的な「海洋帝国」への道を歩みだす。
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■ 大阪会議の結果と歴史的影響
● 良い影響
• 国内の無秩序な対外進出が体系化される
• スペイン・オランダとの大規模戦争を回避
• 英国との協調で技術導入が進む
• 北方・南方が同時に発展する二正面政策が実現
● 悪い影響・火種
• 伊達と島津の間で「海軍予算」の奪い合いが激化
• キリシタンとイスラム系日本人の宗教対立が潜在化
• スペイン・オランダの警戒が高まり、将来的な戦争は不可避
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