◆ この世界における由井正雪の乱(1651年)―「大名連合を揺るがす革 命」
■1. 背景:上杉政権の成立と矛盾(1600〜1650)
関ヶ原の戦いで徳川家康は敗走中に捕縛・処刑され、
中央政権は 上杉家(景勝→定勝) を中心とする「合議体制」となった。
上杉政権の特徴:
• 豊臣秀頼を象徴とする緩やかな連合政権
• 大名自治を広く認める
• 中央の徴税権は弱く、軍事権も限定的
• 対外政策も統一されていない
• 関ヶ原後の浪人が大量に発生
• 大名間の格差・不満が蓄積
とくに、旧徳川領の東海地域では「徳川滅亡への恨み」と「上杉への反感」
が強く、浪人層の温床となっていた。
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■2. 由井正雪の立場と思想
この世界の正雪は、兵学者にとどまらず、より先鋭的な政治思想家として登
場する。
●主張の特徴(史実より過激)
• 大名連合では民の政治が行われない
• 大名の失政は民の敵であり罷免されるべき
• 「民の代表」を連合政権(御政事衆)に加えるべき
• 武士は身分ではなく「能力」で評価されるべき
• 町人・百姓の自治権拡大
• 中央財政の改革
• 対外政策の統一体制の必要性
つまり、正雪の思想は 陽明学的行動主義+民衆参政+大名抑制を柱とし、
後世の大日本会議や議院内閣制の理論的基礎になるような内容となる。
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■3. 蜂起の準備:三都市に拠点を形成
正雪は、以下の3拠点を秘密裏に組織化する。
◇① 京都(思想・官僚・寺社)
• 公家の一部が賛同(尊王思想の萌芽)
• 寺社勢力の協力で資金と兵力を確保
• 京都町衆が自治拡大を求めて合流
◇② 大坂(商人・経済)
• 大坂商人が中央の徴税に不満
• 経済官僚の腐敗への怒り
• 浪人が最も多い
◇③ 駿府(旧徳川領の浪人)
• 徳川家滅亡により浪人化した武士が多数
• “上杉への復讐” を掲げることで支持を獲得
正雪はこの三者を「同時蜂起」させ、上杉政権を根底から揺さぶる計画を立
てる。
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■4. 蜂起の発生(1651年初夏)
●第一波:京都蜂起
正雪の同志・学僧が御所前で「民政改革令」を布告する。
• 「大名の専横を正す」
• 「税制の簡素化と商人保護」
• 「大名連合に町人代表を加える」
• 「浪人救済と職制改革」
京都町衆と寺社勢力が蜂起し、京都所司代と衝突。
公家の一部(尊王派)が間接的に支援したため、京都は一時的に制圧され
る。
●第二波:大坂蜂起
大坂では商人の資金提供で武装浪人が城代屋敷を襲撃。
• 大坂城は上杉政権が死守
• 町衆と豪商は蜂起に同調
• 大坂は二週間にわたり混乱
●第三波:駿府蜂起
旧徳川領では「徳川復興」を掲げて浪人軍が反乱。
関東の一部にも動揺が走る。
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■5. 反乱の挫折と正雪の最期
上杉政権は即座に越後・会津などの強力な軍勢を京都に投入。
●鎮圧の流れ
• まず京都が包囲され孤立
• 大坂の浪人軍は京都支援に動くが失敗
• 駿府の蜂起も大名の協力が得られず瓦解
正雪は京都の町屋に立て籠もり、
最後は史実同様に自害する。
彼の遺稿と思想書は大量に散逸し、密かに写本化される。
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■6. 由井正雪の乱の結果:日本社会への衝撃
この乱は失敗したが、影響は計り知れない。
●① 上杉政権の威厳が大きく低下
• 「大名連合は中央統制できない」
• 「町人・浪人の不満を抑えられない」
• 「地方大名が独自路線を取る」
これで上杉中心の中央集権化は不可能になった。
●② 大名自治が強化し、海外進出が加速
• 伊達:蝦夷→樺太→アラスカ(新咲州)→北米(新海州)へ
• 薩摩:琉球→台湾→フィリピン方面
• キリシタン大名:東南アジア・オーストラリアへ
中央の弱体化により、大名が勝手に海外へ出ていく状況が生まれる。
●③ 正雪思想が後世に影響
• 上杉鷹山の改革に思想が受け継がれる
• 大塩平八郎の乱の理論的基礎になる
• 吉田松陰が陽明学系の革命思想として引用
• 後の大名連邦制・大日本会議成立の思想的根幹になる
正雪は死後、民政改革の殉教者として美化される。
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■7. 歴史的評価
後世の歴史家は、由井正雪を
「早すぎた議会主義者」
「上杉体制を崩した革命思想家」
と位置付ける。
彼の思想は、上杉政権を弱体化させながらも、
日本が民主的かつ連邦的な政治体制へ向かう源流となる。




