プロイセンの台頭と普仏戦争
■ プロイセンの台頭(1820〜1870)
この世界でもプロイセンの軍事・行政改革は史実同様に高度であったが、決
定的に異なるのは次の点です。
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◆ ① ウィーン体制の揺らぎの早期化(1820〜1840)
史実ではナポレオン敗北後、オーストリア・ロシアがヨーロッパ政治の主導
権を握っていたが、この世界線ではナポレオンが北米に亡命し、ヌーベルフ
ランス帝国が成立。そのため欧州のフランスは早期に弱体化し、革命の震源
地と見做される。
• オーストリアはフランスに対し強硬姿勢
• プロイセンは保守勢力の一員として権威を保持
• しかしフランスが欧州内で後退し、ヌーベルフランスが北米で新勢力化す
るため、
ヨーロッパの勢力均衡が早期から不安定化
この不安定化の中で、プロイセンは軍備拡張と鉄道整備を急速に進める。
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◆ ② ドイツ連邦内の主導権争い(1830〜1850)
1848年革命はこの世界でも発生し、ドイツ各地で自由主義者が蜂起する。
• オーストリアは民族問題で疲弊し対処が遅い
• プロイセンは保守的でありながらも、軍隊を出すことで治安維持に成功す
る
この過程で、プロイセンが「ドイツの安定の柱」として評価される。
1849年には史実と同様に、フランクフルト国民議会がプロイセン王に「ドイ
ツ皇帝」の地位を打診するが、王は拒否。
しかしこの世界ではオーストリアの相対的弱体化が早いため、
1850年代にはすでに“ドイツ統一=プロイセン中心”が国際的に既定路線化
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◆ ③ 日英との海洋勢力拡大がヨーロッパに影響
この世界では日本が東南アジアやオセアニアに拡張し、英国との同盟・分担
が成立しているため、欧州列強は植民地での競争よりも 欧州内部の勢力均
衡に専念 せざるを得ない。
• フランス本国:革命・内乱で弱体化
• オーストリア:多民族問題が深刻化
• ロシア:クリミア方面の緊張で後手
• 英国:アジア・太平洋で日本との協調に比重
この結果、プロイセンはほぼフリーハンドでドイツ統一政策を進められた。
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■ 普仏戦争(この世界線 version)
史実の1870年の普仏戦争は、ナポレオン3世の外交的失策と、エムス電報事
件が引き金となった。しかし、この世界ではナポレオン3世は ヌーベルフラ
ンス帝国の皇帝 のためフランス本国にはいない。
そのため、戦争の構図は全面的に異なる。
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◆ ① 対フランス本国 vs プロイセン(1868〜1870)
フランス本国は1848年以降、混乱状態が続き、時おり共和派と王党派が衝突
していた。
フランス本国側の問題点
• フランス王党派(ブルボン派 / オルレアン派)が分裂
• 共和政政府が弱体で軍の統制が悪い
• 植民地の多くを日本・英国に譲り、経済が縮小
プロイセンがルクセンブルクと南ドイツを取り込もうとすると、フランスは
抵抗するが、外交力は弱く、他国の支持を得られない。
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◆ ② 直接の火種:スペイン王位継承問題(史実と同様の要素)
史実同様、スペイン王位継承を巡りプロイセン系ホーエンツォレルン家の候
補者が擁立されかける。
• フランス本国は「ドイツによる包囲」と感じ、激しく抗議
• プロイセン宰相ビスマルクはこの抗議を利用して開戦の大義名分を作る
「エルバ島からナポレオンが戻ってくる」という史実の緊張感はなく、代わ
りに
“プロイセンが西欧の秩序を握るか” が最大のテーマとなる。
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◆ ③ 戦争の展開(1870〜1871)
● プロイセン軍の圧倒的優勢
• 鉄道輸送網が発達
• 徴兵制度が整備
• 大砲・小銃が高性能(クルップ砲)
対してフランス本国軍
• 兵站が脆弱
• 指揮系統が混乱
• 政治的後援が弱い
この世界ではナポレオン3世が存在せず、軍が統制を失っているため、プロ
イセンは史実以上に容易に勝利する。
1871年、わずか6〜8ヶ月でパリ陥落。
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◆ ④ 講和とドイツ統一
史実通り、フランクフルト講和条約に類するものが結ばれるが、内容はさら
に苛烈。
• アルザス=ロレーヌの割譲
• 賠償金は史実より重く
• フランス本国は講和によってさらに国内混乱
そして1871年、
プロイセン王を頂点とするドイツ帝国が成立
ただし重要なのは、
史実のドイツ帝国よりも より軍事・官僚主導型で、中央集権的 であるとい
う点。
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■ この世界線での国際バランスへの影響
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◆ ① ヨーロッパでは「ドイツ vs ロシア・オーストリア」が固定化
プロイセン主導のドイツ帝国が誕生すると、東欧は緊張状態に。
• ロシア:バルカン進出を試みる
• オーストリア:多民族問題で後退
• ドイツ:中欧の覇権を狙う
英国は海洋に集中して日本と協調し、大陸には直接関与を控えるため、
大陸勢力はドイツが強く、牽制する勢力が小さい。
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◆ ② ヌーベルフランスは独自の帝国圏を形成
北米におけるヌーベルフランス帝国は
• カナダ東部
• 五大湖周辺
• ミシシッピ中流域
• 日系移民との混血社会(四言語体制:仏語・日語・英語・先住民言語)
として独自の安定圏を築いており、欧州フランスの弱体化と対照的。
ドイツ帝国はヌーベルフランスを「大西洋対岸の新仮想敵」と見なし始め
る。
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◆ ③ 日本の立場
日本は
• 東南アジア・太平洋
• オーストラリア・ニュージーランド
• 台湾・琉球
• アラスカ〜北米西岸
を領有または保護国とし、英国と海洋を分割管理。
このため、
日英海洋ブロック vs ドイツ中欧ブロック
という世界秩序が19世紀後半に定着する。
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■まとめ
この世界線の普仏戦争は史実に似ていながら大きく異なり、結果として:
• フランス本国は弱体化・共和化したまま回復できない
• プロイセンはほぼ無傷でドイツ帝国を樹立
• 英国は海洋に集中し、大陸での牽制が効かなくなる
• ヌーベルフランス帝国が北米で巨大な勢力に
• 日本との海洋発展が欧州列強の駆け引きに影響
という構図が生まれる。




