日本人の大量海外移住
享保の大飢饉(1732年):第一次大規模海外移住の波
この世界線では、享保の大飢饉が史実以上に大規模な 移民流出の契機 にな
ります。
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1. 日本列島の飢饉 → 評定院が海外移住政策を承認
大阪評定院は、被災農民・無宿者の救済策として
「海外植民事業局」
を設置。
各大名領が管轄する海外領へ 集団移住 が正式な政策として採られる。
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2. 主な移住先
●北米(伊達領・新海州)
• 森林・土地が豊富
• 伊達家は積極的に受け入れ、農機具・種子を提供
• 新海州沿岸に「陸奥村」「奥州郡」「伊達港」など日本名の町が誕生
北米は寒冷でも、暖流と肥沃な谷によって稲作が部分的に可能。
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●台湾(大友・鄭氏連合政権)
• 稲作が安定し、土地も肥沃
• 大友家はイスラム商人と協力し、水路・灌漑設備を整備
• 九州からの農民団が大量移住
台湾は 九州移民 が最も多い。
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●インドネシア(大友・島津・有馬・小西)
• 依然として香料・砂糖・コーヒーの大生産地
• 日本人技術者による製糖産業が発展
• 日本人町が巨大化し、現地民との融合が加速
ここではキリシタン勢力とイスラム勢力が協働した稀有な社会となる。
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●オーストラリア(大和湾植民区)
• 南蛮船技術のおかげで交通が安定
• 養羊業・牧畜が始まる
• 江戸の浪人層が多数移住し治安維持要員に
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3. 宗教別の移住傾向
• キリシタン:フィリピン・インドネシア・オセアニアへ
• イスラム系大友家臣団:インドネシア・マレー方面へ
• 世俗化した伊達系:北米・アラスカへ
• 本州農民:台湾・北米へ
宗教的背景が移住方向を大きく左右する。
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天明の大飢饉(1782-1787年):第二次移民ブーム=“太平洋大離村”
史実以上に大規模な人口圧力がかかり、
ここで日本人の海外人口が 爆発的に増加 します。
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1. 飢饉規模の増大
天明の飢饉では米価が高騰し、日本列島で餓死者が多数。
本州中枢の上杉・毛利政権は救済に奔走するが、
輸送力の限界・天候不順が重なり、評定院は以下を決定:
日本人の大量海外移住義務化(志願者優先)
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2. 北米移住の爆発(伊達領の人口大増加)
伊達国家は移住を積極的に受け入れ、
• 松前・仙台から大量の移民船
• 新海州内陸部への稲作・畑作開発
• 和人町が都市化
(新仙台、新石巻、新米沢など)
カリフォルニア以北がほぼ和人社会化 する。
この時期の伊達領は
北アメリカの“第二の日本”
と表現できる規模になる。
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3. 台湾の急激な人口増加
台湾は気候が温暖で農地も豊かなため、
天明の飢饉期にはもっとも移住者が増える。
• 日本語を話す漢人と日本人農民が共存
• 水田稲作の大発展
• 台湾米の輸出が日本の食糧危機を救う
台湾は 日本連邦の経済的心臓部 となる。
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4. インドネシア・オーストラリアへの移住
●インドネシア
• 砂糖・胡椒プランテーションに労働力が投入
• サトウキビ関連技術が日本に逆輸入される
• 日本人と現地民の混血が増加し独自文化形成
●オーストラリア
• 北部と東部沿岸に日本人牧畜集落
• 英国との共同統治が定着し、衝突は回避
• 養羊・小麦の大生産地となる
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5. 海外移住が日本政治に与える影響
1. “大和圏”の意識形成
北米・台湾・インドネシア・豪州などの 分散した日本人社会 が、
大阪評定院を中心に緩やかに統合されていく。
これが後の「大和会議」「大日本会議」の基盤となる。
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2. 大名勢力の海外シフト
• 伊達:北米の巨大な人口・経済力を背景に列島外最大勢力へ
• 大友:イスラム系日本人社会の中心として台頭
• 島津・小西:南方勢力として影響力拡大
• 本州の上杉・毛利:中央政権を維持するが相対的に存在感低下
人口の海外流出が本州中枢の力を削ぎ、
国内では長州など改革派が力を持つ。
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3. 日本列島の人口密度が適正化
飢饉という悲劇を経て、
日本本土の過密状態が改善し、農民の生活が安定する。
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6. 世界史的影響:日本人の分布が欧米より早期に広がる
1700〜1800年代初頭の段階で
• 北米西岸
• 台湾
• インドネシア
• オーストラリア
• ニュージーランド
などに 巨大な日本人ディアスポラ が存在するため、
史実のように
欧米が19世紀にアジア太平洋を独占支配する
という流れは成立しません。
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まとめ:飢饉 → 海外移住 → 日本型大航海帝国の完成
享保・天明の大飢饉はこの世界では
「日本版大航海時代」の人口爆発エンジン
として機能し、
日本文明は世界各地で“極”となる。
そして19世紀の産業革命期には、
日本系世界はイギリスと並ぶ 二大海洋文明 として確立します。




