第七話 出立
「時間をいたたければ、こちらで解体しますよ」
グランドベアの亜種をどうするか、という話になり、ヨハンがそう申し出てくれた。
僕の知識のみで亜種と予想していたが、僕が知らないだけという可能性も考えていた。しかしダイアー達も初見のようなので、個体調査のため冒険者ギルドの本部へ、爪や毛皮を提出する必要がある。
その提出分を差し引いても、爪も毛皮もいくらか残るし、肉に至ってはかなりの量になる。さらに個体調査が終わるまでは市場に流せないので、自身で使う他ない。
見たところ、爪や毛皮は武具の良い素材になるだろう。肉も[無限保存庫]があるので保存については問題ない。
そこまで考えて、僕は重要な事に気づいた。
仮にこの素材を持ち帰って武具に加工したとする。携行している武器が変われば、運送ギルド長はすぐに気付くだろう。その場合、今回の件がバレるリスクが発生する。
称号の一件以来、禁止こそされなかったものの、魔窟に入るのはほどほどにするよう厳命されている。だというのに、初めて入る魔窟の深層まで行った上に、未知の魔物と対峙したなんて知れたら、間違いなく三時間コース直行だ。
僕は良質な素材より、心の安寧を選ぶ。
「この後すぐ町を出るので、引き取ってもらえると有り難いです」
「今から発つんですか?」
ヨハンが目を丸くする。
あと少しで日が沈む時間だ。目的にもよるが、この時間に出立する人はあまりいない。
しかし今の僕は気ままな一人旅なので。
「どのみち、メルビアに戻るには野営は避けられませんから。向こうに着くのは何時でも構いませんし」
「そうですか…。では、有り難く活用させていただきます」
ヨハンは律儀に頭を下げた。それから亜種をちらりと見て、申し訳なさそうに眉を下げる。
「肉は……、今回は処分しますね」
まあ、そうなるか。たとえグランドベアに似ていても、現段階では得体の知れない生き物には違いない。何人前くらいになるのか、少し興味はあるが。
改めてヨハンらに礼を言われた後、ギルドの外まで見送られて別れた。
しかしギルドを出て数分後。メルビア側の街道へ出る北門が見えてきた時だった。
「――ルカさん!」
呼びかけられて振り向くと、何故かベルハイトがこちらへ走って来ていた。
なんだろう。まだ何かあっただろうか。
「どうしたんですか?」
追いついてきた所で訊ねると、ベルハイトは予想外の宣言した。
「俺もメルビアに行きます」
……。
…………。
………………うん?
なぜそれを僕に言うのだろうか。
「そうですか」
としか返しようがない。
真意を図りかねている僕をよそに、ベルハイトは何故か少し緊張した面持ちで、
「はい!」
力強く返事をした。
「…………」
「…………」
出立宣言の意図が分からず沈黙で訴える僕と、旅立ちの決意を目で訴えるベルハイト。
なんだこの状況。
数秒後、往来での睨み合いは僕に軍配が上がった。
ベルハイトは先程の勢いとは裏腹の、遠慮がちな声で答える。
「えっと、ですね……。できれば一緒に……」
搾り出された言葉に対し、僕の頭に浮かぶのは二文字。
なぜ。
不覚にも一瞬呆けてしまったが、たぶん僕の表情はほとんど変わっていないだろう。
僕はベルハイトを見上げたまま、
「ご遠慮ください」
丁重にお断りした。
「取り付く島もない……」
そんなにがっくりと肩を落とされると、すごく悪い事をした気になるのだが。
ベルハイトに構わず歩き出すと、彼も隣を歩いてついて来た。
「僕、団体行動は苦手なんです」
「あ、そこですか?てっきり、会ったばかりの野郎と二人はちょっと……て事かと。団体というか、ルカさんと俺で二人ですよ?」
「僕にとっては、二人以上は団体なので。それについ先日、不本意ながら団体行動をした結果、不当に解雇された経験があります」
「あー…。それはかなりのレアケースでは?」
レアケースね……。
世の中悪い人間ばかりではない。しかし程度は違えど、何の躊躇いもなく誰かを傷つけられる人間が、掃いて捨てるほどいるのも事実だ。
僕はもう一度ベルハイトを見上げる。
「?どうしました?」
この人が良い人なのは間違いなさそうだけど。
きょとんとして首を傾げるベルハイトに応えずに、僕は門番に身分証――運び屋タグを見せて町の外へ出た。ベルハイトも同じようについて来る。僕はメルビアまで徒歩で帰るのだが、本当に一緒に来るつもりなのだろうか。
「ルカさん、乗合馬車も駄目なんですか?」
「あれは別に。ただの同乗なんで、必要最低限の干渉しかしませんし」
団体行動を極力避けているだけで、できないわけではない。必要なら乗合馬車にも乗るし、同業者と行動をともにすることもある。
「つまり、俺と一緒に行きたくないだけ、と」
「貴方と一緒に行く必要がないだけ、です」
ばっさり切り捨てると、説得する方法を考えているのか、隣で唸り出してしまった。その間にもユトスから離れていっている。
一端の冒険者なら、一人旅くらいするだろうに。何故僕と一緒に行くことに拘るのか。
僕はふと足を止めた。
「……ベルハイトさん、一人寝できないんですか?」
「へ?」
間の抜けた声の後、たっぷり三秒の間を置いて、
「で…っ、きますよ!!寝れます!!当たり前でしょう?!そもそも、そっ……添い寝してもらうために同行を頼むわけないじゃないですか!」
つっかえながら捲し立てて、真っ赤になってしまった。
一人で野営できないのか、という意味で訊いたつもりだったのだけど。言葉って難しい。
「一人が嫌なのかと思って」
悪びれなく言う僕から目を逸らし、ベルハイトは薄く残る頬の赤みを誤魔化すように、軽く咳払いをした。
「タストラでは情けないところを見せましたけど、これでもそれなりに剣は使えるんですよ?一人旅も何度か経験してますし」
「じゃあ、なぜ?」
僕が真剣に問うているのを悟ったのか、ベルハイトは一瞬息を詰めた。少し逡巡したあと控え目に視線を巡らせ、近くに人がいないのを確認すると、口を開く。
「称号が欲しいんです」
意外だった。冒険者ギルドで僕が称号持ちだと明かした際、確かに興味がありそうではあったが。
「ちょっと事情があって。目的の為に称号が必要なんです。それでまあ、唯一人並みに使える剣を活かそうと、冒険者になったんですけど……。あまり思うようにはいかなくて」
ベルハイトは俯きがちにポツポツと語っていたが、ふいに顔を上げた。
「ルカさんと一緒にいればどうにかなるなんて思ってませんし、助けてもらうつもりでもないんです。ただ……」
一度だけ、ぎゅっと唇を引き結び、今度ははっきりとした声で。
「進む方向に迷っている時に貴方と出会えたのは、俺にとって何か意味があるんじゃないかって思うんです。俺が今生きてるのも、貴方に出会ったからで……。だからこの縁を、捨てたくない」
ベルハイトは真っ直ぐ、僕から目を逸らさない。
「…………」
ベルハイト・ロズ。
初めて彼を見た時は、冒険者然とした常識人という印象を持った。
冒険者ギルドで再会した時は、礼儀正しく人の良さも滲み出ていて、ついでに思っていることも表情によく出ていると感じた。
今目の前にいる彼は、真っ直ぐ僕を見る目は純粋で、その心には成し遂げたい何かがあって。
――僕なんかとは全然違う。
僕は一度目を閉じて、肺の空気をゆっくり吐き出してから、再びベルハイトを見上げた。
深緑の目は、まだ僕を見ている。
今度は僕の負けだった。
「……そもそも準備、出来てないですよね?」
「え?…あっ」
しまった、という顔。本当によく顔に出る。
ギルドからそのまま追いかけて来たのだから、旅支度などしているはずがない。ベルハイトは肩を落とした。言われるまで気付かないのは、どうかと思う。
「自分の荷物は自分で持ってください。有償でいいなら預かります。運び屋なんで」
「え、と…?」
ゆるりとこちらを見たベルハイトの顔はまさに、ぽかん、としていた。
「ここで待ってますから」
「!」
そう告げると、ベルハイトは弾かれたように背筋を伸ばし、「三十分で戻りますから!」と言いながら来た道を走って行った。
ベルハイトが称号を必要とする理由も、彼が僕に何を見出したのかも分からないし、それを確かめようとも思わない。
では何故、同行を承諾したのか。
僕なりに思うところがあったのか、ただの気まぐれか。自分自身のことだというのに、それが一番よく分からないでいる。
なんにせよ、僕の気ままな一人旅は急遽、即席の二人旅になった。
ちなみに僕はこのあと、一時間待つことになる。




