第五十八話 すくいあげる心
ep.79 第五十八話 すくいあげる心
ラマンドラ神殿内部の探索を始めてしばらく経ったが、魔物が出てくることもなく、変わらず僕達の足音が反響している。
「なんか……、静かすぎて逆に不気味ですね…」
ベルハイトがそう思うのも無理はない。
外にいる時から感じている嫌な気配は未だにあるが、それが錯覚と思えるような静けさ。
これがラマンドラ神殿の正常な状態なのか、それとも異常であるのか判断しかねていた。
「かなり広そうだし、正確な位置を割り出してみようか?まだ魔力に余裕あるよ」
「そうですね。お願いします」
バライザ王と王太子を早く見つけるに越したことはない。
ローガンが再び[記憶の標]を使おうとした、その時。
ソニアの足元の床が―――忽然と消えた。
「きゃああぁぁぁっ!!」
「ソニア?!」
穴の出現とほぼ同時に床を蹴り、ユリウスの脇を抜け、僕はソニアを追って飛び込んだ。
「ルカさん?!」
ベルハイトの声と風を切る音が混ざり、身体が落下していく。ソニアに追いつくよう、落下速度を上げるため、頭を下にし地面に対して垂直の姿勢をとった。
「ソニアさん!」
呼びかけるが、ソニアはギュッと目を閉じたまま背中から落ちていく。
「ソニアさん!!手をっ!!」
「っ!!」
もう一度呼んだ声に反応し、ハッとしたように目を見開いたソニアの必死に伸ばされた手を、引っ手繰るように掴んだ。
すかさず[無限保存庫]を開き、魔法を取り出す。残念なことに宙を飛ぶような魔法や魔道具は無いが、安全さえ確保できればいい。
精霊魔法[泡沫の小さき舟]。
薄い透明な膜が、球形になって僕達を包む。
その瞬間、勢いを伴っていた落下はその速度を失い、ふわりと漂うような落下へと変わった。
本来、水面に浮かんだり、風に乗ったりするための魔法であるため、上昇することはできないが、高速で落下することも無い。
「ル、ルカさま……?これは……」
「精霊魔法の一つです。……思っていたより快適ですね」
ふわふわとした感覚が心地良い。今度水の上でも使ってみよう。
そんなことを考えていたら、穴の底が見えてきた。分かる範囲に危険なものは無さそうなので、そのまま底を目指す。
到着すると、ソニアは座り込むようにぺたりと地面に、僕はその隣に着地した。それと同時に僕達を覆っていたシャボン玉のような膜は、溶けるように消えた。
「大丈夫ですか?」
「は…、はい………」
肯定はしたものの、ソニアは座り込んだまま青い顔をしている。あの高さから突然落ちたのだから無理もない。
落下時間の体感からして、この穴の深さはかなりある。上を見上げても僅かな光さえ無く、誰の声も聞こえないところを見ると、どうやら入り口は閉じてしまったようだ。
しかしただの穴ではなかったようで、僕達がいる位置から横へと伸びる通路がある。上へ戻るのは難しそうなので、進路があるだけでも良しとしよう。
幸い、あちらにはローガンがいる。[記憶の標]を使えるので、僕達の位置を探りながら動いてくれるだろう。
「ソニアさん、立てそうですか?」
声をかけると、なぜかソニアは一瞬びくりと肩を揺らしたあと、縮こまるように俯いた。
「…………した……」
「?」
何かをぽつりと呟いたソニアの顔を覗き込むようにしゃがむ。膝の上で握りしめた両手に視線を落とし、ソニアは再び口を開く。
「……私…、やっぱりマリーディア様のところに残るべきでした……」
「…………」
「何もできないくせに、こんなところまでついてきて……、落っこちて、迷惑かけて……。ごめんなさい……っ」
そう言ってソニアはギュッと唇を噛み締めた。
追っ手に追われる旅路も、険しい山の道中も、敵に追われる祖国への帰還も。決して否を唱えることも、弱音を吐くこともなかったソニア。
ずっと気を張っていたのが、先程の恐怖で一気に溢れたのだろう。しかし吐露されたのは謝罪の言葉。彼女は何よりも、僕達への申し訳なさを抱えているようだった。
「……ソニアさん」
僕はソニアの両頬に手を添え、こちらを向かせた。高所からの落下で風を浴び続けたせいか、その頬はひんやりと冷えきっていた。
「迷惑だと思っていたら、グラスダールを出る時に同行を拒否しました。その後だって、メルビアに残ってもらうこともできたんです。ジャンレーでも、どこかに隠れていてもらうという手もありました。でもそうしなかったのは、貴方が同行することに、なんの疑念も無かったからです」
真っ直ぐ、ソニアの目を見たまま告げる。
「王女殿下も言ってましたけど、人を支えるということは、誰にでもできることではありません。支える側にも強さがあってこそ、その関係は成り立つんです。貴方がいることで、守られている心がある。それは確かです」
「で、でも私……強くなんか……」
「ユリウスさんはバライザを出る時、貴方を選んだ。彼は王族です。自身の侍女だからという理由だけで、茨の道を共に歩かせたりしない。貴方なら大丈夫だという、確信があったはずです。それはきっと目には見えない強さなんじゃないでしょうか」
「目には見えない、強さ……」
噛みしめるように言葉を反芻したソニアの頬から手を離し、ゆっくりと伝える。
「だから、迷惑だなんて思わなくていいんです」
そのままじっと目を合わせていると、しだいにソニアの瞳が潤み、ぽろりと涙が零れた。
な………………泣かせてしまった。なぜだ。
「ぐすっ……うぅ……、ル゙カさまぁ……っ」
途端に堰を切ったように流れる涙。ソニアはそれを押し止めようと、埃を被った外套の裾で目元を拭おうとする。
それで擦ったら目に良くない、と思い、魔法鞄から真新しい布を取り出してソニアに渡した。
「えぅ……、ずみ゙ま゙せん……」
ずびずびと必死に涙を引っ込めようと、布を顔に押し当てるソニア。
「大丈夫。ゆっくりでいいですよ」
身を小さくして泣くソニアを見守りながら、だいぶ無理をさせてしまっていたのだと反省した。
同性ということもあり、宿屋などで彼女と二人きりになる時間は多かったというのに、なぜもっと話をしなかったのか。お互いに他愛もない話こそしていたものの、踏み込んだことは訊かなかった。ソニアの立場を考えれば、今の状況は明らかに日常からかけ離れているというのに。
座り直し、ソニアが落ち着くのを黙って待つ。
しばらくすると、ソニアはおずおずと目元だけ覗かせた。
「すみません……。こんな時に泣くなんて……」
心底申し訳なさそうに言うソニアに、僕は「大丈夫です」と返した。
「ずび……っ。あの……、ぎゅってしていいですか…?」
「?はい。どうぞ」
ぎゅ……?
よく分からないまま承諾すると、ソニアは僕を包むように抱きしめた。ぎゅ、とはハグのことだったようだ。
「…………ぐすっ……」
まだ僅かに鼻をすすっているのが肩口に聞こえ、僕はその背をぽんぽんとあやすように撫でた。
しばらくして、ソニアはゆっくり身体を離した。
「……本当は、グラスダールを出る時、迷ったんです。私がついていったところで、できるのはユリウス様の身の回りのお世話くらい……。それだって私がしなくても、ユリウス様はご自分のことはご自分でできますから、必要ないんです」
言いながら、ソニアはもう一度目尻を拭った。
「だから、メルビアでもジャンレーでも、私は残るべきなんじゃないか、って……。何も言われないのをいいことに、皆さんに甘えすぎてるんじゃないか、って……」
ソニアはずっと不安だったのだろう。
側でユリウスを支えたいという気持ちと、迷惑になるのではないかという考えに板挟みになりながらも、誰にも言えずにいた。主であるユリウスに弱音を吐くことも、出会って日の浅い僕達に本音を言うことも、簡単にはできないだろう。
僕はソニアの頬についた汚れを指で拭いながら、
「僕はイエスマンじゃありませんから、駄目だと判断したら、有無を言わさず置いていくなり、[無限保存庫]に放り込むなりします。それをしないのは、そうする必要がないと判断したからです。だから貴方は、自分の意志を貫いてください」
僕はもうこれ以上の言葉を持っていない。ソニアが納得できたかは分からないが、涙はもう止まっていた。
「行きましょう。ベルハイトさん達に合流しないと」
僕は立ち上がり、手を差し出す。
ソニアはそれをじっと見たあと、腕でぐいっと目元を拭い、
「……はい!」
笑顔で僕の手を握り返し、力強く立ち上がった。




