第五十話 ノスティア大森林
メルビアからバライザ領へ向かうには、南門から出てユトスを経由し、ユトスから東へ進むというルートが一般的だ。
直接メルビアの東へ出ない理由は二つ。
一つはオルベリアとバライザの境が広大な森であり、その森が途切れている箇所がユトス東方であるということ。国境の関所はそこに設けられているため、密入国でもない限り、通常はその関所を通ることになる。
二つ目の理由はその森に棲む魔物。交戦記録はなく、目撃証言自体が少ないが、曰く、ドラゴン種であるらしい。
関所から離れた森の深部に生息しており、人里も周囲に無いため、幸いにも今までに被害が出たという報告はない。あくまで記録にある限り、だが。
冒険者ギルドにその報告が上がって以来、深部への立ち入りは厳禁というのが暗黙の了解である。
「――ということで、森の深部を突っ切ります」
日が昇って間もない時刻。メルビアの東門から出た僕達は、平原を歩きながら今後の道程の確認をしていた。
バライザへ最短で入るにあたり、絶対に通らなければならない森――ノスティア大森林についての話が主だが、要所となるとやはりそこだろう。
そして締め括りの「森の深部を突っ切る」宣言に、ベルハイト達は一様に固まってしまった。
いち早く復活したベルハイトが、
「待ってください、文脈がおかしくないですか?森を通るのは分かりますけど、なんで今の話の流れで深部を突っ切ることになるんです?」
「それが一番早いからです」
逆にこれ以外の理由はない。僕は徹底した最短ルートをご提案させていただいている。
しかしその理由では納得できないようで、ベルハイトは眉を寄せた。
「深部にはドラゴンがいるかもしれないんですよね?もしくは、それくらい危険な魔物が」
確認するように問われ、僕は明言していなかったことを思い出した。
「いますよ。ドラゴン」
「え?」
「いるかも、ではなく、あの森の深部にはドラゴンがいます」
ベルハイトだけでなく、他の三人も意味が分からないという顔をしている。これは、ちゃんと説明したほうがいいかもしれない。
「僕、あの森に住んでたんです。五歳くらいまで両親と一緒に。深部に近い場所だったので、ドラゴンに何度か会ったことがあります。上位種なので念話で意思疎通ができますし、襲われたこともないです。ドラゴン種の寿命は短いものでも千を超えますから、よほどのことが無い限り、まだ同じ場所にいるかと」
「情報過多すぎる……」
僕が一通り話し終えると、ベルハイトは頭を抱えてしまった。どうやら余計、不安にさせたらしい。
しかし今さらユトス経由に変更などできるはずもないので、僕は精一杯、四人を励ます。
「僕も会ったのは数える程度ですから、遭遇する可能性は低いです。本人も棲家から出ることは滅多に無いって言ってましたし、たまに会うと、珍しい果物とかくれましたし」
だから大丈夫、と訴えると、
「それもう、ご近所付き合いじゃん……」
なぜかローガンに呆れられた。解せない。
ノスティア大森林に入ったのは、メルビアを出て二日後の朝。ここまでだいぶ距離はあるが、人里はメルビア付近にある農村だけなのだから、なかなか厳しい道程だ。
森と一口に言っても、ずっと木々だけの景色が続いているわけではない。特にここノスティア大森林はオルベリア領とバライザ領を跨いで広がる広大な森で、川もあれば崖もあり、洞窟や沼も有している。
「おじさん一人だったら、絶対通らないルートだよねぇ」
「何人でも、普通は通りませんよ…」
歩きながらしみじみと言うローガンに、ベルハイトが溜め息混じりに応えた。
僕はユリウスを振り返り、
「ユリウスさんとソニアさんは、どこを通って来たんですか?」
「俺達が通ったのは、比較的関所に近い場所だ。ドラゴンの噂はバライザでも知られているからな。森に住人がいたのは知らなかったが」
そう言って僕を見るユリウス。まあ、人が住むのに適した場所かと言われると、難しいところだ。
水場もあり、野草や木の実も豊富にある。それはつまり、生き物が生息するのに適した環境があるということで、それには当然、獣や魔物も含まれる。そんな場所に好んで住む人間は少ないだろう。
ではなぜ父と母はこの森に居を構えたのか。気になって調べたこともあったが、家に残っていた両親の遺品には、それを示唆するようなものは何も無かった。どこかに事情を知る人……例えば両親の親類などがいるかもしれないが、それに関する手がかりも皆無だった。
両親は森へ来た理由はおろか、自分達の出自に関する情報さえ残していない。それまるで、意図的に残さないようにしたかのように、痕跡一つ見当たらなかった。その事実は、ひとつの推測をたてるのには充分だった。
両親は、何かから身を隠していたのではないか。
僕は足を止めて、ここからは見えない森の家の方角を見た。
「ルカさん?どうしました?」
急に立ち止まった僕を、ベルハイトが不思議そうに見る。
「……いえ。なんでもありません」
短く応え、僕は歩を進めた。
それから数時間が経ち、もう少しで森の深部を抜けようかという所まで来た。時間的にも体力的にも、野営の準備を始めたいところだ。
「そろそろ野営の準備を――、!」
言いかけたが、反射的に頭上を見上げた。
「あれって、まさか……」
同じくそれを見上げたベルハイトが、掠れた声で呟いた。
空から感じる圧倒的な気配が、両翼で風を打つ音とともにゆっくりと、切り立った崖の上に降りる。
日の光を遮る巨大な影が土埃を舞い上げ、視界は一層悪くなる。だというのに、その存在感は決して霞むことはない。
ただそこに在るだけで、空気がビリビリと震える。ベルハイトとローガンが反射的に武器を構えようとしたのを軽く手を挙げて制し、こちらを見下ろす巨体を注視した。
エメラルドのような深い緑の鱗、鋭く細められた琥珀の眼。そのブレスはどんな風魔法よりも鋭く、その翼は靭やかでありながら鋼の如く堅牢。
風を司るドラゴン種、エレメンタルドラゴンの一角。
『――久方ぶりに人の気配がすると思って来てみれば…。お前だったか、小娘』
十年以上前に聞いたきりの低い声が頭に響く。念話で届いたその声は、記憶にある声そのままだった。
「お久しぶりです。お元気そうですね」
「実家のご近所さんへの挨拶じゃん……」
普通に挨拶を返しただけなのに、何故かローガンがドン引きしていた。




