第四十九話 与え、与えられ
「…………」
沈黙が意味するものは多様だ。
それに付随する表情や仕草によって、怖れや怒り、焦りや哀しみなど、実にさまざまな感情を表す。
「…………」
今目の前にある沈黙は、怒気を含んだ呆れ、といったところだろうか。それを物語る表情をしかと確認し、僕は次にくるであろう衝撃に備えた。
「――っのド阿呆!!」
ぱーーーーーーーんっ!!
怒声とともに、僕の額にメルビア運送ギルド長の一撃が叩き込まれた。
でこピンって破裂音するんだ……。
額に受けた衝撃に仰け反りながら、僕は他人事のように感心していた。後ろからは「ひっ?!」とか「きゃあ!?」とかいう悲鳴と、息を呑む気配がしたが。
天井を向いたまま両手で額を押さえる。今回のはさすがに痛い。
少し前にメルビアへ到着した僕達は、冒険者ギルドでピエニモンキーの件を報告した後、運送ギルドへ来ていた。
ヘディに事のしだいと今後について説明するためだが、内容が内容なので支部長室で話しをし、その後でこピンへ、という流れである。
ヘディは特大の溜め息をつき、
「アンタって子はほんとにもう……っ」
眉間に深いしわを刻んで僕を見下ろした。
「帰りが遅いから何かあったんだろうとは思ってたけどまた厄介事に首突っ込んでるうえに何故か人数増えてるししかも王子サマとか意味分からないんだけどそれに加えて今度はバライザまで行くとかほんと何をどうしたらそんなことになるのよ馬鹿じゃないのこの大馬鹿!!」
見事なノンブレスがヘディの凄みを強調している。しかし僕とて、ただの馬鹿ではない。
「大丈夫です。ちゃんと運送業務として契約しました」
片手で額を擦りながら、僕はユリウスと交わした契約書を取り出した。
今回の件でヘディに怒られることは予想通りを通り越して確定事項だったので、ここに来るまでにちゃんと用意しておいたのだ。王都に行くと報告した時は、ユトスの冒険者ギルド長であるヨハンが用意してくれた契約書が効果的だったことを参考にしてみた。
ヘディは一瞬呆気にとられていたが、すぐに眉間のしわは復活し、
「そういうことじゃないわよ!アンタ、仕事って言えば許されると思ってんでしょ?!」
ヘディは僕の手から契約書を引ったくって目を通しながら、隠す素振りもなく舌打ちしている。おそらく、ダメ出しできる部分が無かったからだろう。なんたって、隣国までの運送業務だという点を鑑みても、破格の報酬が記載されているのだから。
「あ。お土産です」
はたと思い出し、[無限保存庫]からヘディの分のレッドモメントを取り出した。
「このタイミングでよく出せるわね、アンタ……。貰うけど」
怒る気力を失ったのか、赤い実を受け取ったヘディは嘆息した。
その時、僕達のやり取りを引き攣った顔で聞いていたユリウスが、おずおずと口を開いた。
「……ギルド長殿。少しいいだろうか」
「なにかしら?殿下」
ヘディは態度を取り繕うことなく、視線だけユリウスへ向けた。
「今回の件、多大な迷惑をかけて申し訳ない。運送依頼という体は取っているが、それでも運び屋への依頼として異例だということは理解している。だが…」
ヘディは片手を挙げてユリウスの言葉を遮った。
「別にアナタが謝ることじゃないわよ。どうせ、この子から言い出したんでしょ」
そう言って、ちらりと僕に視線を寄越した。
さすが、よく分かってらっしゃる。
「どうせ止めたって聞きやしないもの。好きになさい。その代わり、怪我でもしたら承知しないわよ。その時はその頭、砕けて無くなると思いなさい」
「了解です」
僕は再度、両手で額を押さえて返事をした。
そんな僕にヘディは諦めたように眉を下げ、
「…一から百まで、ほんとそっくりなんだから」
「?」
「なんでもないわよ」
話は終わりと言わんばかりに、しっしっ、と手を振るヘディ。
何に……いや、誰に似てるんだろう。
そっくりだと言った時の、ヘディの何かを懐かしむような目を不思議に思いながら、僕は運送ギルドを後にした。
すでに日が沈みかけている時刻。
どこかで夕飯を食べて行くというベルハイト達に「用があるので」と断り、西街の集合墓地へ来た。
「父さん、母さん。ただいま」
道すがらに買った花と、ドラナト山で穫ったレッドモメントを供え、芝生に膝を抱えて座る。
「帰って来たばかりだけど、今度はバライザに行ってくる。一緒に行くのはベルハイトさんと、他に三人。ちょっと込み入った話だから、帰って来てからまた話すよ。それから…」
公にできる内容ではないし、長くなる話だ。
バライザの件は今度話すとして、ちょうどいい機会なので、今日は彼の紹介をしようと思う。
「あそこの木の陰にいるのが、ベルハイトさん」
「!?」
斜め後ろの木の陰で、長身がびくりと跳ねる気配がした。何してるんだ、あの人は。
ベルハイトはそろりと顔を覗かせ、
「…気づいてたんですか……」
「?少し離れた距離でも普通について来られたら、気づきますよ?」
彼らと別れたあと、一定の距離を空けてついてくるものだから、何事かと思ったが。
「その……、すみません…。どこに行くのか気になって…」
「別に構いません。普通にお墓参りに来ただけですから」
そう答えると、ベルハイトはやっと木の陰から出て、こちらへ来た。
僕の両親の墓前で一礼し、
「ご挨拶が遅くなりました。冒険者のベルハイト・ロズといいます」
それから僕に、「隣、いいですか?」と確認してから芝生に腰を下ろした。
律儀だな…。
改めてそう思いながら、ベルハイトの視線を追うように正面に向き直る。
ベルハイトはしばらく父と母の墓を見つめたあと、遠慮がちにこちらを見た。
「ルカさん、きょうだいは?」
「いないです」
「そうですか……」
ここは両親の墓。彼の問いは、他に家族はいるのか、という意味だろう。消え入ったベルハイトの声は、次の言葉を紡がない。
たとえば親戚でもいれば、誰々がいます、と言って、多少は彼の曇った表情を和らげられたのだろうが、僕は父方も母方も、誰一人そういった関係を把握していない。父も母も話さなかったし、まだ幼かった僕にとっては、三人の暮らしだけで世界が成り立っていたのだ。
そんな僕が無い知恵を絞って口にしたのは、
「僕、お姉さん要素も妹要素も無いでしょう?」
というお粗末な戯れ。
言ってから、要素って何だ、と自分で自分に呆れたが、ベルハイトは苦笑しながら律儀に話にのってきた。
「どんな要素ですか、それ」
「どんな……?…包容力とか、甘え上手とか……?」
疑問符が並ぶ答えにベルハイトはじっと何か考え、
「甘え上手は……今のところ無いかもですね。……包容力は、あるかもしれませんけど」
まさかの言葉が返ってきた。
「本気で言ってます?」
「……本気ですよ。俺の主観ですけど」
いつどこでどんな場面で、ベルハイトは僕に包容力を見出したというのか。
首を傾げていると、ベルハイトはふっと笑みを浮かべた。
包容力についてはよく分からないが、彼の表情が和らいだので、これはこれで良かったのかもしれない。
夕暮れを吹き抜ける風は少しひんやりとしていて、芝生に伸びる影はだいぶ長くなってきていた。
「冷えてきましたね。……そろそろ行きましょう。僕もお腹空きました」
このまま置いておくと野良犬や鳥に狙われて大変なことになるので、供えたレッドモメントを回収した。
「今度はバライザの特産品を買ってくるよ」
両親にそう言って立ち上がろうとした時、すっと手が差し出された。それが何を意味しているのか分からず、その手と手の主の顔を交互に見る。
「?」
「………………どうぞ」
ベルハイトは若干目を逸らしながら促した。掴まれ、ということなのだろう。
そういえば、この人貴族だったな…。
そういうものなのだろうと、あまり深くは考えずにその手に自分の手を重ねた。軽く引き上げられながら立ち上がり、
「ありがとうございます」
「いえ……」
短く返しながらも、ベルハイトは自分の手に添えられた僕の手をじっと見ている。
「ベルハイトさん?」
「!」
呼びかけると、ベルハイトは弾かれるように顔を上げたが、手はそのままだった。
「……行きましょうか」
「?はい」
促した彼は手を離すことなく、ゆっくり歩き出す。僕もそれに倣いながら、繋がれた手を不思議な気持ちで見つめていた。




