〈別視点〉 ジュリアンの兄
学園の卒業記念と称した騎士団訓練生の模擬戦も無事に終わり、邸へと戻る馬車の中。
模擬戦で見た強すぎる運び屋の姿を思い出し、自然に口元が緩んだ。
ルカさんにちゃんとお礼をできなかったのは心残りだけれど、連れのローガンさんが僕のことを警戒していたので仕方ない。食事に誘おうとしたところを遮られたので、もしかしたらルカさんには、婚約者か恋人がいるのかもしれない。
ルカさんは素敵な女性だし、彼女に対して好意を抱いているのも確かだ。しかしそれはあくまで、尊敬や憧れの類で、おそらくローガンさんが考えているであろうものではない……と思う。いや、そのはずだ。
なのでできれば誤解を解いて、彼女が王都に滞在している間にゆっくり話をしたい。
そんなことを考えながら馬車に揺られていた。
「お帰りなさいませ、ジュリアン様」
邸の玄関につくと、長年エカード家に仕えている執事のカーソンが、困ったような顔で待っていた。いつも淡々と仕事をこなす彼にしては珍しいことだ。
「お戻り早々に申し訳ないのですが、少し問題がございまして…」
カーソンは扉を開けながら、一度言いにくそうに言葉を切った。
「ティモン様がいらしています」
「…ティモン兄さんが?」
思いもよらない名前に、僕は思わずその名前を繰り返した。
ティモン・カル・エカード。エカード家の次男、つまり僕の兄だ。
「はい。つい先程突然いらっしゃいまして、邸へ通すよう門前で大声を出されるものですから、ルイス様の許可を得まして、やむを得ずお通しいたしました。今は応接間においでです」
僕はコートを脱ぎながら溜め息をついた。
「父上から、許可なくここへは来ないよう言われていたはずだけど…」
「私もそのように旦那様から伺っており、ティモン様にもそう申し上げたのですが…」
あのティモン兄さんのことだ。カーソンがそう言ったところで、はい分かりましたと引き下がるわけがない。
「父上は?」
「旦那様は定例会合からまだお戻りになっておりません」
「分かった。とにかく僕も応接間へ行くよ。ティモン兄さんは何を言い出すか分からないからね」
ルイス兄さんなら一人でも問題は無いのだけれど、事の成り行きを見守るため、僕は応接間へ向かった。
応接間の扉をノックするとルイス兄さんの声が返ってきたので、そのまま入室した。
応接間には長兄のルイス兄さんと、次兄のティモン兄さんが向かい合う形でテーブルを挟んで座っている。ルイス兄さんは腕を組み、ティモン兄さんはソファーにふんぞり返って睨み合っていた。その光景は、今までにも何度か見た光景だった。
僕は真っ直ぐルイス兄さんの隣へ行き、
「兄上、ただいま戻りました」
「ああ。そちらは恙無く終えたか?」
「はい。問題ありません」
ルイス兄さんと挨拶を交わして隣へ座ると、ティモン兄さんは「ふん」と鼻を鳴らした。
「せっかく俺が顔を見せたというのに、挨拶も無しか」
強引に押し入っておいてよく言えたものだ。しかし、この程度の嫌味にのせられて、同じ土俵に立つ気はない。
「お久しぶりです、ティモン兄さん。ここへは父上の許可を得て来られたのですか?」
おそらくルイス兄さんからも言われたであろう質問を、あえて投げかけた。
「お前も兄上も何を言ってる。自分の家に帰るのに、なぜいちいち許可を取らないといけないんだ」
その答えに、ルイス兄さんが大きく溜め息をついた。
「さっきも言ったが、何故も何もない。父上がそう決められたのだ。それを無視するなど何様のつもりだ」
ルイス兄さんは事実を言ったのだが、ティモン兄さんは眦を吊り上げて声を荒げた。
「父上がそんなことを言うはずがない!いや、言ったとしても、本心ではないはずだ!だからわざわざ足を運んでやったのに!」
まるで話にならない。
ティモン兄さんが話を曲解し、自分に都合の良いように解釈するのは今に始まったことではないが、相手にするのは身内でも骨が折れる。
「とにかく、今父上は外出している。どうしても会いたいのなら出直すんだな」
ルイス兄さんが、話は終わりだとばかりにソファーから腰を上げた。しかしティモン兄さんは、
「出直す?俺の部屋があるのに、なんで余所に泊まらないといけないんだ」
さも当然のように邸に泊まる気のようで、僕は唖然としてしまった。
ルイス兄さんは努めて冷静に、
「お前と母上は、ここを追い出されたということを理解していないのか?」
「大袈裟だな。少し父上と意見が食い違って、距離を置いていただけじゃないか。それに、母上はもうここに戻っているんだろう?だったら俺だって戻っていいはずだ!」
やはり微塵も理解していないティモン兄さんの態度に、ルイス兄さんは何度目かの溜め息をついた。そしておそらく、ティモン兄さんが知らないであろう実情を口にする。
「母上はここにはいない」
「は?」
「母上は生家であるドブレフ家に帰った。父上から正式に離縁されたんだ」
母カサンドラは、その浪費癖や公の場での立ち振る舞いの悪質さ、使用人に対する謂れのない仕打ちなど、挙げれば切りがないほどの問題がある人だった。
当然、父上は何度も母上の行いを正そうとしてきたが、全て徒労に終わり、ついに離縁を申し渡したのだ。
母上は自分とよく似ているティモン兄さんを溺愛しており、父上に倣うルイス兄さんや僕には関心が無かった。
母上に溺愛され、甘やかされて育ったティモン兄さんは、自分が世界の中心であると考えるようになり、常にそういう言動をとり、他者を見下す人間になった。
もちろん父上も、そんなティモン兄さんを黙って見ていたわけではない。しかし母上の言葉こそ、自分の考えこそ正しいと信じて疑わないティモン兄さんに、父上の想いが届くことは無かったのだ。
「そんな話、俺は知らないぞ!!母上はここにいるはずだっ!母上はエカード伯爵夫人だぞ!!」
両親の離縁に、否、母上がエカード家から縁を切られた事実に、ティモン兄さんは喚き散らした。ルイス兄さんは頭痛を堪えるように眉間を指で押さえながら、
「お前にも知らせは送ってある。一週間前のことだから、入れ違いになっただけだ。お前がメルビアで大人しくしていれば、受け取っていたはずだ」
「ぐ……っ!…なんで離縁など!!父上はどういうつもりなんだ?!」
ルイス兄さんの様子に、離縁が真実だとさすがに分かったようで、ティモン兄さんはおろおろと視線を動かしている。
「どうもこうもない。もっと早くてもおかしくなかったものを、父上の温情で存えていただけのことだ」
ルイス兄さんは眉間を押さえていた手を下ろし、冷たい目でティモン兄さんを見下ろした。
「お前は本当に、何も理解していないのだな」
視線と同じ冷ややかな声に、ティモン兄さんはだた悔しそうに歯を食いしばるだけだった。
その時、応接間の扉が音もなく開き、重い靴音が響いた。
「――何故お前がここにいる、ティモン」
邸の主――僕達の父上である、ダリウス・オン・エカード伯爵の重々しい声に、ティモン兄さんはぶるりと震えた。




