〈別視点〉 ベルハイトとアンノウン
ep.37 〈別視点〉 ベルハイトとアンノウン
バライザは生まれ変わる。オルベリアを呑み込む国に。
ルカさんが捕らえた覆面の男達は、そう言ったのだという。どう考えても物騒な意味にしか聞こえない内容に、俺は無意識に息を呑んだ。
「言葉の通りなら、俺達の手に余りますよ」
「…………」
「?……ルカさん?」
彼女の反応が淡白なのはいつもの事だが、この時は何か違った。
「彼らの正体と目的を確かめます。貴方はどうしますか?」
顔を上げたルカさんが唐突に言い、当然俺は面食らう。
「本気ですか?男達はこのまま王都まで連行したほうが…」
「もちろん男達は王都に着きしだい、騎士団に引き渡します。いつまでも[無限保存庫]に入れておくわけにもいきませんし」
「じゃあ……」
「男達が“黒”なのは口ぶりからして確定しているとして、問題なのはリースさんとソニアさんです。場合によっては、ロブエまでの同行というわけにはいかなくなる」
ルカさんはそう言い、スッと目を細めて、何も知らずに眠るリースとソニアさんを見た
「ここから先は、どちらに転んでもかなり厄介です。相手の正体によっては、危険な事に首どころか全身で突っ込むことになります。引き返すなら今しかない」
そう言いながらも自分は引き返すことなど微塵も考えていないのだろう。俺にだけ示された逃げ道に、少しだけ苛立った。
「もっと安全な方法は無いんですか」
「リースさん達が何の目的でオルベリアへ来たのかにもよりますが、それを知らないうちは監視も野放しもできません。男達が言っていた言葉は戯れに口にするには、あまりに重い。その時点ですでに危険な存在です。…僕は今の生活を壊されたくない」
淡々と、だがはっきりと言葉にしたルカさんは、最後だけ少し寂しそうだった。
だからだろうか。少し迷いはしたものの、自分でも意外なほどあっさりと、現状を受け入れてしまった。
「リース達が同行することは、俺も承知したことです。今更、貴方一人に押し付けたりしませんよ」
「…………そうですか」
ルカさんはどこか安堵したような声で言い、数秒だけ目を閉じた。そして目を開けると、
「いざとなったら、昔ドラナトの深層で手に入れた秘密兵器で突破するので」
真顔のまま戯けた……のだと思う。
俺も真顔で首を振る。
「それ、一生出さないでください。絶対に」
訊かなくても分かる。絶対ヤバいヤツだ。
少し緩くなった空気に、俺は内心胸を撫で下ろし、リース達を見る。
「でも、すんなり答えますかね?」
どちらも簡単には、こちらの知りたい事に答えないだろう。嘘をつくか誤魔化すか、あるいは黙秘するか。
今考えても仕方ない事だが、先行きの不安から口に出た問い。明確な答えを期待したわけではない。軽く、「その時はその時です」とか返ってくると思っていた。
しかし。
「答えないなら、答えさせるまでです」
いつもより低い彼女の声に、背筋がざわりと粟立つのを感じた。だが、その感覚を抱くには、目の前の少女はあまりに小さくて。
気のせい、だよな……?
不穏な話を聞いたせい、もしくは冷たい夜風に晒されたせいだと、無理矢理自分を納得させた。
夜が明けて、ルカさんが起き抜けの二人の前に立った。
「オルベリアへは、どのような御用向きでしょうか。――ユリウス・ヨラ・エルド・ウルマー第二王子殿下」
名を呼ばれたリースの身体が強張り、ソニアさんが身構えた。
「……なんのことだ」
間を置いて、リースがなんでもない風を装う。しかし如何せん、こういった駆け引きに慣れていないのだろう。動揺しているのが丸分かりだ。
ルカさんは間を置かず、
「昨日、ランドウルフに襲われていた時。ソニアさんが貴方のことを「ユリウス様」と呼んでいました」
表情はいつもと変わらない。何を考えいるか分からない無表情。口調もどちらかと言えば穏やかで、責めるでも突き放すでもない、淡々としたものだ。
リースは言葉を探しているのか、口を開いては閉じ、視線を泳がせる。
だがやがて、ギュッと口を引き結ぶと剣の鞘に置いた手に力を込めた。垂れていた右手が僅かに浮かぶ。
それは悪手だ。
思ったが、口には出さずに成り行きを見守っていると、リースはキッとルカさんを睨んだ。
「だとしたら、なんだと言うんだ」
「僕は貴方達やあの男達が、何をしに来たのか知りたいだけです」
「お前達には関係のない事だ!」
「関係ない?」
ルカさんが、さも不思議そうに首をかしげた。
「そうでしょうか?…僕、言いましたよね。あの男達が不穏な事を言っていた、って」
「……っ」
その言葉にリースがぐっと息を詰めたが、ルカさんは続ける。
「バライザで、何か起きるみたいですよ。いえ、もう起きているのかも。…その余波か何か知りませんが、オルベリアにも影響が出るとか。まるで――」
ピリッ、とその場が張り詰める。
「侵略でも企てているような事を」
ルカさんの言葉にリースの表情が一変し、
「違う!!父上は……っ!!」
思わず、といった様子で叫び、すぐにハッとして口を閉じた。
その緩みに踏み込むように、ルカさんが一歩、距離と会話を詰める。
「貴方が危険を承知でここへ来たように」
ざり、と。
ルカさんのブーツの底が土を踏みしめる音が、やけに大きく聞こえた。
「僕も、半端な気持ちで訊いてるわけじゃないんだよ」
瞬間、空気が変わる。
「―――ッ!!」
冷たい、痛い、重い、熱い。
そのどれもが当てはまり、そのどれもが当てはまらない。得体の知れない感覚が、重さを伴う空気となって全身を押し潰した。
リースは完全に硬直している。いや、膝がカタカタと震えて、今にも崩れ落ちそうだ。隣にいたソニアさんは、すでにへたりとその場に座り込んでしまっている。
彼らだけじゃない。ルカさんの後ろ側にいる俺でさえ、その場から動くことができない。
リースもソニアさんも、真っ青な顔をしている。あれでは何か話したくても話せるはずがない。
これは駄目だ。強すぎる。
「っ、ルカさん…」
かろうじて名前を呼べば、僅かにこちらを振り向く顔。その金色の目が、ひたり、と俺を見た。それはとても冷たくて、あの日…出逢った日に見た星月夜のような輝きはない。まるで暗闇からこちらの首を狙う獣のようで、
「……っ」
俺はただ、弱々しく首を振って訴えるとこしかできない。
なんだ、あれは。あれは本当にルカさんか?
そう思うほど、この場にいる彼女は今まで俺の目の前にいた彼女と違いすぎた。
ルカさんは常に無表情だが、冷たいというわけではない。愛想が良いとは言えないが、他者を思いやる心はある。感情の起伏に乏しいが、小さく笑ったり、食べ物に対する執着を見せることもある。
少し……、かなり腕が立つうえに肝が据わっているけれど、年相応の普通の少女だと思っていた。
俺は片手をギュッと、胸の辺りで握り締めた。
そうしていないと、膝から力が抜けそうだった。たぶん今、酷い顔をしていると思う。
「……」
視線をリースに戻したルカさんの肩が僅かに上下したことで、息をついたのだと分かった。すると、全身を覆っていた空気がフッと軽くなる。
「…、は……っ」
詰めてしまっていた呼吸を取り戻した瞬間、忘れていたように額に汗が滲む。
今のは魔法などではない。魔道具の類でもない。
人の“気”による威圧。目に見えない圧倒的な、存在そのものの力。
まさかここまで……。
ここまで明確な差があるとは思わなかった。
分かっていたつもりだった。彼女はただの運び屋ではないと。他とは一線を画す称号持ち。その称号を与えられたのは、魔窟で高ランクの魔物を狩っていたからだと、彼女は言っていた。
――本当に?
おそらくそれも理由の一つではあるのだろう。魔窟において、賞金首指定の魔物を単独で討伐できる者など多くない。そもそも魔窟に単独で入ること自体、正気を疑われる行為だ。
彼女に与えられた[アンノウン]という称号。
俺は、[無限保存庫]という魔法適性を持つがゆえだと思っていた。ただでさえ適性者の少ない[保存庫]よりも、さらに希少な魔法。それを操り、魔物を狩る運び屋という特異性。これらもおそらくは、選定理由の一つではあるのかもしれない。
だがそのどれもが、選定理由の一部でしかないのだとしたら。
もしかしたら――。
ギルド統括局でさえ、彼女が内に秘めるものを、把握できていないのではないか。その底を知らないのではないか。あるいは、調べたが辿り着けなかったのでは――。
考えても考えても、ただドクドクと心臓が鳴るばかりで、俺は自分の浅はかさを痛感した。
それと同時に、彼女が全く分かっていないことも痛感したのだった。




