第二話 昼食と冒険者
ここはオルベリア王国東部の町、ユトス。
町そのものにこれといった特色はないが、小規模ながらも、三大ギルドの一つである冒険者ギルドがあり、冒険者や行商人が頻繁に出入りする町だ。
僕が日頃拠点としているのは、この町から馬車で丸一日かかる場所にある、メルビアという街。ここユトスへは[真なる栄光]が受諾した依頼のために、五日前から滞在していた。ちなみにその依頼はまだ未達成だが、それも僕にはもう関係のない話だ。この五日間、何度促しても彼らは動かなかったのだから、どうしようもない。
滞在していた宿屋のある通りから人通りの多い方へ向かうと、露店や食事処、雑貨屋などが並ぶ通りへ出る。
僕は真っ直ぐ、食事処の[草原のはちみつ亭]へと入った。
「いらっしゃいませー!…あら!」
扉を開けると聞こえてきた元気な声に会釈をし、空いている席へ座る。声の主である給仕の女性は、カウンターからメニュー表を取ると足早にこちらへ来た。
「今日も来てくれて嬉しいわ。気に入ってもらえたのかしら?」
この町へ来てから一日に一度はここで食事をしているからか、僕の顔を覚えていたらしい。
「はい。とても」
社交辞令ではない。ここが拠点じゃないのが残念なくらいだ。
微笑んでお礼を言う給仕の女性からメニュー表を受け取って、一番目立つ文字で書かれたメニューを迷わず指差した。
「グランドベアのステーキセットをください。一番大きいやつで」
それを聞いて給仕の女性は目を丸くする。
「えっ、キングサイズ?…それ五人前よ?一人前でもかなり大きいのよ?」
「大丈夫です。お祝いなので」
給仕の女性は「お祝い?」と首を傾げながらも、僕の意思が揺るがないことを悟ると、「かしこまりました」と言って厨房へと向かった。
僕は他人よりもよく食べる。でも普通の量でも問題はなく、気が向いた時に大量に食べるという感じだ。好き嫌いは特に無いが、お肉は特に好んで食べる。
さて、この後はどうするか。
メルビア行きの乗合馬車はあるが、一番早くて五日後の出立だ。ちなみに今日の明け方に出た便がある。解雇されたのが昨日だったら乗れたのだが。
……ティモン、わざとか?
いや、彼は乗合馬車の運行予定など把握していない。賭けてもいい。
今日は泊まって、明日の明け方に徒歩で出よう。この五日間で携行品の補充などは済んでいるし、町の中も充分見て回った。乗合馬車に乗るためだけに、さらに五日も滞在する気はない。
町を散策した際に見つけた宿屋の場所を思い出しながら料理を待っていると、食欲をそそる良い匂いが近づいてきた。
「お待たせしました。グランドベアのステーキセット、キングサイズです!」
給仕の女性がそう言って料理をテーブルに置くと、周囲が少しザワついた。…ちょっと量が多いだけなので気にしないでほしい。
こんがりと焼かれた分厚く大きな肉が、熱された鉄板皿の上に五枚重ねられている。セットなので、大盛りのライスとサラダ、スープもついている。
「いただきます」
お肉を一口大に切り分けて頬張る。
肉汁がじゅわりと染み出し、スパイスの効いたソースと絡んで口いっぱいに広がった。
おいしい。
まだ食べ始めたばかりだが、同じものをもう二、三皿追加注文したい。……いや、さすがに目立つから止めておこう。
「ねえ、あなた。あれってやっぱり、アイアンラビットだったんじゃない…?」
黙々とお肉を口に運んでいると、ふいに隣の席の会話が聞こえてきた。
「まさか。普通のホーンラビットだろ」
心配そうな女性と、それを一蹴する男性。足元にある大きなリュックなどの荷物や身なりなどから見て、おそらく夫婦で旅か行商をしているのだろう。
「アイアンラビットが平原にいるはずねぇよ」
「でも……」
夫は意に介していないが、妻は不安が拭えない様子。
ホーンラビットは平原に生息するポピュラーな魔物だ。一方でアイアンラビットは、魔素の濃い場所にしか生息しない。
魔素とは空気中や水中、地中にも含まれるエネルギー粒子で、魔力の素のようなものだ。どこにでもあるものだが、場所によって濃度は異なり、それが桁違いに濃い場所がある。
その代表格が[魔窟]。
魔窟は人々の記憶にも、そして記録にもないほど昔から存在するとされている。
悪魔の住処、闇の迷宮、魔王の遺産。
さまざまな呼び名で恐れられたそれは、この時代では解き明かすべき謎として人々を惹きつける冒険の舞台であり、畏怖の対象。
平原、森、山。谷や海、果てには空。
さまざまな場所に存在し、同じものは一つとして存在しない魔物の巣窟。人の道理も常識も通用しないその場所には、この世の至宝が眠っているとも囁かれている。
危険が待ち受けるその場所に、今なお多くの冒険者たちが挑み続けている。
魔窟は魔素の濃度が非常に高く、そこでは活動できない生物もいる反面、魔素の濃い魔窟にのみ生息する魔物も存在する。アイアンラビットもその一種だ。
ユトス南部の平原は魔素が薄い。そんな場所でアイアンラビットを目撃したのが事実なら、異常事態が発生している可能性が高い。
「その話、詳しく聞かせてもらえますか?」
唐突に、誰かが会話に入ってきた。
明るい薄茶色の髪と深みのある緑色の目。革鎧の軽装で腰に長剣を差した、二十代半ばくらいの男性。
「ん?なんだ、あんた」
怪訝そうな夫に、長剣を差した男性は紐のついた小さな銀色のプレートを、懐から取り出して見せた。冒険者タグだ。
「この町を拠点に冒険者をしている、ベルハイトといいます。平原にアイアンラビットがいたと聞こえましたが……」
ベルハイトが問うと妻は小さく頷き、
「ええ、たぶん…。遠目だったから、はっきり見たわけじゃないのだけど。ホーンラビットにしては大きかった気がするし、毛の色も…」
歯切れは悪いが、はっきりと答えた。
ベルハイトは何か考えるように二人から視線をずらし、
「!」
お肉を頬張る僕と目が合い、
「っ!」
僕の前に置かれたステーキの山に気づいて、ほんの少し目を見開いたあと、視線をスッと行商人夫婦に戻した。
「……分かりました。俺が様子を見に行きます」
ベルハイトは何事も無かったかのように夫妻に告げた。
「だが、見間違いかもしれねぇぞ?」
「何もなければそれで構いません。危険を事前に防ぐための備えですから」
ベルハイトは詳しい目撃地点を訊くと丁寧に礼を言い、夫妻のテーブルを離れた。
なんとも冒険者の鑑のような人だ。
不確かな情報にも備える柔軟さや判断の早さはもちろん、立ち振る舞いも丁寧で、力ある者の奢りがない。誰かさん達に見習ってもらいたい。
ベルハイトが食堂を出るのを視界の端で見送りながら、僕はステーキを大きめに切って口に運んだ。




