渚
私は鈴原渚、26歳の会社勤めのOLだ。
その日は給料日で、少し良いお酒でも飲んで自分を労おうと思って、近場のバーに入った。
少し奥で、常連と思われる人と、お洒落なバーには似合わない、スルメを炙っている、マスターかと思われる髭の男が喋っている。
場違い感を感じながらも、入ってすぐのカウンターに座って、まずは黒板に書いてあるマティーニを頼んだ。
少しして、出されたマティーニをチビチビと飲んでいたら、突然背後から懐かしい声で呼ばれた。
「なぎ?」
私の事をそう呼ぶ人物は、今まで一人しかいなかった。いや、彼女以外には呼ばせたくなかったのかもしれない。
「きょうちゃん…」
佐藤響、私の元恋人だ。
きょうちゃんとの出会いは私が高校1年の五月、体調が悪くなって、保健室に行った時の事だ。
きょうちゃんは、その時高校三年生で、よく保健室でサボっていたから、学生まで体の弱かった私は、きょうちゃんと必然的に仲良くなっていった。
そして初めて会ってから一ヶ月ほどして、養護教諭が居ない日、突然きょうちゃんは私にキスをした。
きょうちゃんの気持ちに気付いていた私はそれを受け入れ、告白も無しにそのまま私は保健室で処女を奪われた。
今思えば、同じ女である人に女にされたなど、皮肉な話だ。
その後私達は付き合った。
だんだんと私はきょうちゃんを下の名前で呼ぶようになり、きょうちゃんは私を「なぎ」と呼ぶようになった。
きょうちゃんとは、色々な事をした。
夏休みにはお泊まり会もしたし、クリスマスには一緒にケーキを焼いた。
けど、きょうちゃんが大学に進学して、会えない日が続くと、だんだんと私達は疎遠になり、お互いの為にとそれから一年ほどで別れた。
それが、きょうちゃんとの思い出。
だけど、私はまだきょうちゃんの事が好きだった。
そんなきょうちゃんに今、私は奇跡的な再開を果たしている。
一方、話しかけた本人は、反射的に呼んでしまっただけみたいで、何を話すか迷っているようだ。
「ひさしぶりだね、なぎ」
隣に座ってきたきょうちゃんは、昔と何も変わっていなかった。
少し高い背丈も、金髪で不良っぽいのに落ち着いた口調も。
「ひさしぶり、きょうちゃん」
「うん」
しばらくの沈黙が流れる。
「なぎはさ、あれからどう?」
どうとはなんだろう。
「えっと、一応大学卒業してから、デザイン会社で働いてる」
「ふーん」
きょうちゃんの期待とは違った答えのようだ。
「きょうちゃんはどう?」
「ぼちぼちだよ」
「ぼちぼちかぁ」
再度沈黙が流れる。
「なぎ、昔から全然変わってないね、」
きょうちゃんが私の髪を持ち上げなから言ってくる。
「きょうちゃんこそ、」
「ってことはまだ、なぎの好みのまま?」
「かもね」
私も、まだきょうちゃんの好みのままだろうか。
「きょうちゃんはさ、まだ、私の事好き…?ほら、なんか、ほぼ蒸発みたいに別れたじゃん」
今、私はちゃんと笑えているだろうか。
「どうだろうね」
きょうちゃんは、私にキスをした。
私より先に来ていたみたいだから、お酒が回っているのかもしれない。
「きょうちゃん…」
私は受け入れたが、二度目のキスは、きょうちゃんが躊躇って出来なかった。
気まずい雰囲気が流れつつも、私達は離れられずに、何件かハシゴして、私はわざと終電を逃した。
「終電、無くなっちゃったね、」
我ながらテンプレのような台詞だ。
だが、それで良い。今は少しでも長くきょうちゃんと居たい。
「じゃあ、家、来る…?」
私は迷わずに行くと言うと、そのままきょうちゃんの家までついて行った。
「お邪魔します…」
「うん、いらっしゃい」
きょうちゃんの家は小さいアパートの二階の角部屋で、大学時代から引っ越していないようだ。
「シャワー、先にどうぞ。着替えは私のテキトーに着ていいよ」
「ありがとう」
きょうちゃんに言われたので、シャワーを浴びて、白いヨレヨレのTシャツと半ズボンに着替える。
「シャワーと服、ありがとう」
「あ、そんなのよりも良いのあったでしょ?」
「うーうん、これで大丈夫」
「そう…。じゃあ、私も行ってくる」
もう時計は夜の12時を回っていたので、先に私は布団の半分に寝た。
しばらく経つと、脱衣所からドアの開く音がして、ゆっくりと音を立てないようにきょうちゃんが布団に入る。
きょうちゃんは向こう側を向いて寝ていた。
しばらく後ろからきょうちゃんの事を見ていると、きょうちゃんがこちらを向く。
「あ、なぎ起きてたんだ」
「うん、ちょっと寝れなくて」
「そう…」
今日のきょうちゃんは少し消極的だ。
きっと、まだ恐れているのだろう。
だけど、私はもう我慢できそうにない。
「きょうちゃん、私は、まだきょうちゃんが、その、好き…」
「…うん」
「だから、今からきょうちゃんにする事、嫌だったら私をぶって。きょうちゃんの嫌な事は、私もしたくないから」
言い終わると、きょうちゃんは静かに頷き、私はきょうちゃんにキスをした。
きょうちゃんは何も言わずに、キスを受け入れてくれた。
だんだんと私達は熱を帯び、失った時間を取り戻すような、深くて甘いキスをした。
「なぎ、私もまだなぎの事好きだよ」
「うん」
嬉しかった。きょうちゃんも同じ気持ちでいてくれて、それだけで胸がいっぱいになった。
それから私達は自然と服を脱ぎ、抱き合った。
きょうちゃんの体はスタイリッシュなのに、柔らかくて、くっついているだけで気持ちよかった。
くっついているだけで良いのに、きょうちゃんは色々な事をしてくるから、どうしても淫らな声が出てしまう。
きょうちゃんは、昔とは少し違う抱き方をしてくれた。
優しくて、愛に溢れた抱き方を。
きっときょうちゃんもずっと私とこうしたかったのだろう。
ただ何故だろう、行為の途中、きょうちゃんが泣いているように見えたのは。
朝起きると、行為の途中で寝てしまった事に気付いた。
きょうちゃんを探すと、ベランダで煙草を吸っていた。
私に気付くと、まだ付けたばかりであろう煙草を消してくれる。
そんな気遣い一つ一つが、私の胸に染みる。
「おはよ、眠れた?」
「うん。ごめんね、途中で寝ちゃって、」
「いいんだよ。疲れてたみたいだし」
「うん、ありがと」
私は決断した。
またきょうちゃんと昔の関係に戻ること。
きっと、昔よりもっと大変になるだろう。
世間からの目も気になるだろう。
だが、それでいいのだ。数年越しに熱い夜を過ごした私達なら、それでも乗り越えられる。
きょうちゃんもそう思ってくれるだろう。
そして、私は一歩踏み出して言った。
「きょうちゃん、その、私達、もう一回付き合えないかな…?」
大丈夫だ。
きっと上手くいく。
そして、返ってきた答えは
「ごめん、私今、彼氏いるんだよね」
響目線も書いてタイトル回収と伏線回収します