第4話 露呈
四月四日 火曜日、午前十時。
私は名刺を片手に、都内の雑居ビルへやってきた。建築されてからまだ日が経っていないのか、外壁に真新しさを感じる。
中の階段を登ってすぐのところに、『鷹岡探偵事務所』と札の掛かった扉があった。ノックをすると扉が開き、一人の少年が出迎える。十歳くらいだろうか。
「あの、鷹岡……さんはいらっしゃいますか? 私警視庁の白木颯奈と申します」
敬称は“先生”にしようか“さん”にしようか迷った挙げ句、“さん”にした。あんなヤツに“先生”は似合わない。
「ちょっと待っててくださいね」
少年が奥に下がってすぐ、その人はやってきた。
「白木颯奈か。何しに来た?」
人のことを呼び捨てか。どんな育てられ方をしたらそうなるのか。親の顔が見てみたい。
事務所内はすっきりとしていて整理整頓が行き届いていた。正面にはカウンターがあり、左手に応接セットがある。窓から差し込む太陽光が眩しい。カウンター内の右手は奥へ続いているようで、先程から少年が行き来していた。
「あー、先生珍しいですね。一度会っただけの人のフルネームを覚えているなんて」
「うるせー。あっち行ってろ」
少年はたしなめられ、奥へと引っ込んだ。
鷹岡は優雅に紅茶を飲んでいる。こっちは昨日、聞き込みをしていたというのに。
「それで何しに来たんだ? 調査が行き詰まったか?」
鷹岡はバカにしたように笑う。
「お生憎様。滝上さんの死の真相が分かったのでそれをお知らせに」
「ほぅ……」
鷹岡は目を細める。
私は勝手にソファに座り、手帳を開いて推理を披露する。
「滝上さんは漆黒の太陽へ潜入捜査をしていました。そのため、何らかの理由で正体が露見してしまい殺害されたのです」
私はドヤ顔をしてみせる。しかし。
「で?」
「で? とは」
鷹岡はさらにバカにしたような笑いをする。
「漆黒の太陽が滝上を殺害したという証拠はあるのか? 怪文書を送って来たのは誰だ? 関係者全員に聞き込みしたんだろうな?」
ぐうの音も出なかった。たしかに漆黒の太陽が滝上さんを殺害した証拠は無いし、怪文書の送り主も不明なままだ。
鷹岡は私の手帳を奪い取ると、まじまじと見る。
「まぁまぁだな。だが、とんだ勇み足だ。お前のようなヤツが冤罪を生み出すんだ」
そこまで言わなくても。捜査は畑違いだっての。
鷹岡は紅茶を飲み終えると空のカップとソーサーをカウンターに置き、棚から青いファイルを取り出して机に投げる。
「それは俺が調査した結果だ。滝上が殺害された頃、漆黒の太陽の構成員は皆海外に逃亡していることが分かった」
何だって? というか、いつのまにこんなこと調べたんだろう。私は青ファイルを手に取り、ペラペラとめくる。
「なら犯人は?」
「それはまだ分からない。関係者全員に聞き込みしなければな」
「関係者全員って。警視庁の捜査員十名に、元警察庁公安部の捜査員三名ですか?」
「バカかお前は」
鷹岡は私のおでこにデコピンする。
「何するんですか!?」
「そんなに聞き込みしていたら結論はいつ出るんだよ。怪文書をよく見てみろ」
鞄から黒ファイルを取り出して開き、怪文書を読む。
『警察庁公安部の滝上清二は、仲間に殺害された。』
別におかしなところはない。
「どこか変ですか?」
鷹岡は深い溜息を吐いてから、怪文書を奪い太陽にかざす。
「この『仲間』という部分をよく見てみろ。下書きでは『隣人』と書かれていたことが分かる」
ウソ? 鷹岡から怪文書をぶん取ると、太陽にかざしてみる。すると、たしかに下書きでは『隣人』と書かれていた。
「疑ってんじゃねー」
「あ……ごめんなさい」
ついつい疑ってしまった。私はこの人を信用していないかもしれない。
鷹岡は咳払いをすると続けた。
「まぁいい。とにかく隣人に話を聞いてみる必要がある」
「隣人って……滝上さんがマンションに住んでいたのは十年も前ですよ。隣人が変わっているかもしれないじゃないですか」
「滝上が住んでいたのは五〇一号室、角部屋だ。その隣の五〇二号室には女が一人住んでいるが、十年前から同じ人物だ」
これまたいつの間に調べたんだろう。調査を私ひとりに押し付けたくせに、鷹岡もしっかり調査してるジャン。
「それに、怪文書には『警察庁公安部の』と書かれている。つまり滝上が警察庁公安部の捜査員だと知っている人物がこの怪文書を送ったんだ」
盲点だった。たしかにそうだ。何で気付かなかったんだろう。
「まずは隣人に話を聞く」
鷹岡はハットラックからソフトハットを手に取ると、ドアを開けて出ていった。私も慌てて資料を鞄にしまう。ドアを開けようとしたとき、先程の少年がひょっこり顔を出した。私は「留守番お願いね」と言い残し、鷹岡を追いかける。
*
『ズーコート新宿』。ここは滝上さんが亡くなるまで住んでいたマンションだ。外壁が茶色に統一されていて、十五階建てだ。定礎を見ると、十九年前の六月に竣工されたことが分かる。
鷹岡はズカズカとエントランスに入ると、部屋番号を押してインターホンを鳴らす。
「はい。どなたですか?」
インターホン越しに現れた女性は、可愛らしい声だった。鷹岡が名乗る。
「警察です。ちょっとお話を伺いたいんですが」
「はい。今開けます」
私は驚き、小走りで鷹岡に駆け寄ると小声で非難した。
「なんで嘘を言うんですか? あなた警察じゃないですよね」
「細かいことはいいんだよ」
細かくないだろと思いつつ、開いたエントランスゲートを抜けてエレベーターに乗り込む。
五〇二号室。表札には『生天目』と書いてあった。
鷹岡がインターホンを鳴らす。すると、ガチャッと扉が開き、黒髪ロングヘアの若い女性が出て来た。見た目からして二十代後半くらいだろうか。青とシロのボーダーのシャツを着ていて、ロングパンツを履いている。部屋からは芳香剤のような芳しい匂いがしてきた。
またしても鷹岡が名乗る。
「警察です」
鷹岡は横目で私を見る。警察手帳を出せと目で訴えていた。私は渋々警察手帳を取り出し生天目さんに見せる。
「警視庁の白木颯奈です」
「生天目桜子です。あの……警察が何か?」
「実は生天目さんにお聞きしたいことが……」
「聞きたいことがある」
鷹岡は私のセリフを横取りした上、出し抜けに不躾な質問をする。
「あんた十年前、滝上清二と体の関係にあったろ」
桜子さんは一瞬狼狽する。
「な……なんの……ことですか?」
「おや? 図星だったか?」
鷹岡はニヤニヤしている。この男は女心をまるで分かってない。
「だ……だったら何ですか? あなた方は一体何を調べているんですか?」
桜子さんは鷹岡と私を交互に見る。
鷹岡は私の鞄を引ったくると、中から黒ファイルを取り出して開き、怪文書を桜子さんに見せる。
ソレ極秘資料なんですケド。
「な……何ですかコレ?」
「警察に送られてきたんだ。あんたこれに見覚えないか?」
「ありません」
桜子さんは真っ直ぐに鷹岡を見つめて答える。
「ここを見ろ。この『仲間』というところ、下書きに『隣人』と書いてある。あんたが滝上を殺したのか?」
「違います!」
ハッキリ答える。それはそうだ。犯人が自分で告発文を書くわけがない。
「じゃあ、十年前の四月二十日どこで何をしていた?」
「覚えていませんよ、そんな昔のこと」
「そんな訳はない。仮にも愛する人が亡くなった日だぞ」
桜子さんは私を見て助けを求めている。これ以上は無理だ。それに、鷹岡に尋問を続けさせると極秘情報が漏れる。
私は鷹岡の腕を引っ張り、桜子さんに「失礼しました」と小さくお辞儀するとマンションを後にした。