第2話 初動
四月三日 月曜日、午前十時三〇分。
私は鷹岡とエレベーターに乗り込んでいた。かといって何か話すことも無いので、階数表示を眺める。
沈黙が流れる。下降する重力に身を委ね、その静けさを満喫していた。
「おい!」
いきなり鷹岡の声が沈黙を破る。語気を強めた声だ。警視総監室での話し方とはまるで違った。
「何でしょう?」
咄嗟に返答した。心臓の鼓動が早くなる。
「調査はお前一人でやれ」
「はぁ?」
鷹岡の予想外の言葉に変な声が出てしまった。一人でやれとはどういうことなのか。協力してくれるという話だったはず。
「何でですか?」
私は反発する。捜査の基本は警察学校で習ったが、ずっと地下に籠もっている内に忘れてしまった。それに、私の推理力なんてたかが知れている。他人の協力なしでは今回のミッションを完遂できる自信はない。
断るということは鷹岡には何か事情があるのだろうか。しかし、その返答は予想外のものだった。
「面倒だから」
「はぁ?」
また変な声が出てしまった。事情があるどころか自分よがりな理由だ。
「面倒ってどういうことですか?」
「言葉の通りの意味だよ。俺は面倒ごとは嫌いなんだ」
ではなぜ探偵などやっているのだろう。探偵なんて面倒ごとの塊のような職業なのに。
「あとこれを渡しておいてやる。大人の嗜みだからな」
鷹岡はそう言うと、ポケットから名刺を取り出しピンッと投げ飛ばした。私は慌てて名刺をキャッチする。中学・高校時代のソフトボール経験が生かされた。
それにしても、これのどこが大人の嗜みなのか。大人ならば礼儀正しく名刺交換だろ。と反発したくなる感情をグッと抑える。
「じゃあな」
チンっという到着音と共に、鷹岡は片手を上げて去って行った。追いかけようかとも思ったが、私の職場は地下だ。人混み溢れる一階で降りたら、次に下りのエレベーターが来るのはいつになるか分からない。かといって、階段で下りる気力もない。
私はそのまま地下へ降った。
*
警視庁は三年前に耐震工事が行われた。その際に十七階にあった資料室は地下に移され、十五階にあった警視総監室が十八階に移されたのだ。これは田邉警視総監の采配だった。部屋の高さが権威の象徴とするなら、田邉警視総監は見事に権威を上げたことになる。都会のど真ん中に立つ警視庁では、窓からの眺望はそんなに変わらないのにムダに高さを好む権力者の考えは理解できない。
ちなみに、かつて警視総監室があった十五階には食堂が出来ている。
警視庁地下。ここはいつも薄暗くジメジメしている。廊下の電灯はそろそろ替え時なのだが、庶務課が地下までくるはずもなく、相変わらずチカチカしていた。
資料室はエレベーターから多少距離がある。廊下にはカツカツという私のハイヒールの音だけが響く。
資料室の扉を開けると、一人の若い男性が資料整理に追われていた。
「あっ、白木先輩。おかえりなさい」
「ただいま、牧野君」
彼は牧野悠貴。私の一つ後輩だ。彼も私と同じ資料課に配属された仲間だ。二人で資料室を運営している。
資料室には警視庁本庁が取り扱った大量の資料が保管されている。その資料の整理と、入室者のチェックが主な仕事だ。
資料室には三十を超える棚が並んでおり、その奥に椅子と机がある。その様子はまるで図書館のようだが、私達が自由に資料を読むことは許されていない。
「警視総監の呼び出しって何だったんですか?」
素直に質問できる牧野君が羨ましい。これが若さの違いか。私は牧野君の質問を軽くあしらう。
「あなたには関係のないことよ。それより資料整理終わったの?」
「はいっ、今すぐ終わらせます!」
ドタバタと物音を立てながら資料を整理する牧野君を横目に私は椅子に座り、田邉警視総監から預かった黒ファイルを開く。ファイルの資料は二部あった。
一部目は漆黒の太陽の概要と、当時の警察庁公安部捜査員の情報だった。だが、かなり薄い。
二部目は滝上さん死亡事件の捜査資料と、捜査を担当した刑事の情報だ。ほとんどがこの資料だった。
さて、どこから手を付けようか。怪文書も机に並べて悩んでいると、横からひょっこり牧野君が覗き込む。
「何見てるんですか?」
わっ、びっくりした。危うく心臓が止まるところだった。
私は咄嗟に怪文書をファイルに挟み、閉じる。
「な……何でもないわよ。それより資料の整理は?」
「終わりましたよ」
「そ……そう。ならいいわよ。それよりここお願いね。誰か来たら入室記録にサイン」
私は牧野君から逃げるように資料室を後にした。「あ、あのどこに?」と言う牧野君の疑問は無視し、そそくさと足早にエレベーターに乗り込む。
*
警視庁十二階、捜査一課。ここは暑い熱気に包まれていた。むさ苦しい男達が出入りするこの部屋は、なんだか部室のような汗臭い匂いが染み付いている。
「あ……あの」
何かの捜査に夢中なのか、誰も反応してくれない。そこで、もっと大きな声で話しかけてみる。
「あ……あの」
すると、男達全員が一斉に振り向いた。地下からモグラが這い出てきたかのような珍しげな視線を送っている。地下から這い出たモグラは、モグラ叩きに遭うのが常だ。だから、さっさと用を済ませてさっさと退散しなければ。
「下内さん……はいらっしゃいますか?」
「下内はワシだが」
ガタイのいい年配男性が手を上げる。この人が下内源三さんか。十年前、滝上さん死亡事件を担当した刑事だ。捜査資料によると、滝上さんと仲が良かったらしい。
「ちょっとお話を伺えますか?」
「今忙しいが、五分程度ならいいぞ」
私は来客用のソファに案内された。事務らしき女性が淹れてくれたお茶を一口すすってから話を切り出す。
「実は、滝上さんの事件を調べてまして」
そう言ったとたん、下内さんの顔色が変わった。
「いまさら何を調べているんだ」
おそらく“地下モグラが”は省略されているのだろう。気を使ったのだろうが、私には省略されずに耳に届いた。
めげずに質問する。
「まず、事件の概要を教えて貰えませんか?」
下内さんは眉間にシワを寄せる。
「捜査資料ならキミの身近にあるんじゃないのか?」
だとしても、自由に資料を読むことはできない。もっとも、警視総監からお借りした資料の中にあったから問題はないが。しかし、関係者から直接聞いた方が分かりやすい。
「お願いします」
頭を下げる私を見て、下内さんは面倒くさそうな顔をして答える。
「アレはやりきれないヤマだったよ。仲間が殺られたっていうのに、突然の捜査打ち切りだもんな」
突然の捜査打ち切り。上層部がストップをかけたのか。
「十年前。ちょうど今頃の季節だったかな。滝上が都内の地下道で背中を刃物で刺されて死んでいるのが発見されたんだ。死因は背中を刃物で刺されたことによる失血死。遺留品は自分で資料を探して見てくれ。ワシが知っているのはそれだけだ」
それだけ?
「動機とか犯人の目星とかはついていないんですか?」
下内さんは私を睨む。
「分かんねーよ。そこまで深く捜査させてくれなかったんでな」
「次に、十年前の四月二十日のアリバイを聞いても良いですか?」
「なんだ? 俺を疑ってるのか?」
下内さんはジロリと睨む。これ以上は聞けそうにない。私が頭を下げてお礼を言うと、下内さんはさっさと捜査に戻っていった。