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第1話 眺望

 四月三日 月曜日、午前十時。


 高所は素敵だ、と思う。

 普段から地下の資料室に住み着いている私にとっては、たとえ高層ビル群がそびえ立つ都会の景色でも、その眺めは壮観なのだ。ただ、それと同時に、私の心は多大なる緊張感に支配されていた。


 警視庁本庁舎十八階には、警視総監室がある。私は三〇分前に、いきなり警視総監に呼び出されたのだ。

 なぜ、週明けの午前中から警視総監に呼び出しを喰らうのか、全く見当が付かない。何かよからぬことをやらかしてしまったのかと自問すれども思い当たる節はない。


 なぜなら、私は警視庁の地下に籠り、なるべく争い事は避けて生きてきたつもりだからだ。捜査一課の連中が資料室を訪ねて来るだけで、私にとっては一大事だ。そんな私が何かヘマをしでかすことはない、はず。

 そんな不安を払拭するように、私の気持ちは窓の外に現実逃避する。


 がっしりとした体格の田邉警視総監は、まるで校長のような長々しい前置きから一転して、急に質問してきた。


白木(しらき)巡査部長、あなたは滝上清二(たきうえせいじ)刑事をご存知かね?」

「知っています。十年前に殉職した刑事ですよね?」


 滝上清二は、十年前にある事件の捜査中に亡くなった刑事だ。どんな事件を捜査していたのかは極秘扱いされていて、資料室にもその資料は保管されていない。当時、その事件捜査に関与していた者達は全員、何らかの形で処分されたというのが専らの噂だった。


「君に、滝上君の死の真相を明らかにして頂きたい」


 警視総監の唐突な依頼に、一瞬眩暈がした。


「殺人事件なら捜査一課の仕事では?」

「捜査一課に依頼できないから君に頼んでいるのだ」


 田邉警視総監は、机の引き出しから黒いファイルを取り出して私に手渡す。ページをめくると、警察庁公安部の資料が挟まれていた。


「こ……これは何ですか?」


 私は驚愕し、思わずファイルを机に投げ飛ばす。


 公安警察といえば、国民の安全や安心を確保するために、国際テロ組織などによるテロ、ゲリラの未然防止などを目的とした組織なのだ。公安警察(警察庁公安部)の捜査は極秘で、誰が捜査員なのかも仲間以外には知らされない。


 田邉警視総監は机に投げ出されたファイルを拾い、私に再び手渡しながら説明する。


「これは、滝上君が最後に担当した事件なのだが」


 もう一度よく資料を見てみると、国際テロ組織『漆黒の太陽』に関するものだった。


 漆黒の太陽とは、十一年前に事件を起こした国際テロ組織だ。当時の内閣総理大臣、坂田真樹夫首相が狙撃されたのは、漆黒の太陽の仕業であるらしい。ニュース報道こそされなかったが、交番勤務時代にハコ長が教えてくれた。あくまで噂だけど。

 首相は一命を取り留めたが、犯人は逮捕されず仕舞いだった。

 私は率直に質問する。


「たしか、首相の警備に問題は無かったはずですよね?」

「ええ。ただ、その後の捜査に問題があった可能性がある」

「その後の捜査?」


 田邉警視総監は、机の引き出しから一枚の紙を取り出し、私に渡す。


『警察庁公安部の滝上清二は、仲間に殺害された。』


 手書きの文字で、紙にはそう書いてあった。


「これ、告発文じゃないですか。警視総監は捜査員同士の仲間割れが原因だと思っているんですか?」

「可能性は否定できない」

「やはり捜査一課が担当すべきです」


 私はズバリ断言した。


「そうしたいのは山々だがな、こんな得体の知れない()()()で、捜査一課を動かすわけにはいかん。もし嘘の情報だったのなら、捜査一課を無駄に動かした挙げ句、滝上君にも申し訳ない。それに、万が一本当ならば、警察庁が被る損害は計り知れんのだからな」


 田邉警視総監は、真っ直ぐに私を見据える。


「そこで、白木君に調()()をしていただきたい」


 何で私なんだ? 他に適当な人物がいそうだけど。


「今、なぜ私なんだ? と思ったね」


 ギクリとする。田邉警視総監はエスパーなのではないだろうか。


「それは簡単だ。資料課に勤務する白木君ならば、極秘調査に適任だと思ってね」


 つまり、結果がどう転んでもいつでも処分できる人材を選んだわけか。田邉警視総監はニヤニヤしている。


「冗談だ。どこの組織にも所属していない白木君なら、先入観のない中立的な立場で判断してくれるだろうと思ってのことだ」


 冗談には聞こえなかった。後の言葉も本音なのだろうが先の言葉も本音なのだろう。だが、引き受けたくはない。私には荷が勝ちすぎている。やはり、地下に潜っているのが肌にあっているのだ。


「どうか引き受けてくれんか」


 田邉警視総監は唐突に頭を下げる。卑怯だ。警視総監に頭を下げられて断れる人間などいない。


「わ……分かりましたから頭を上げてください」


 引き受けることになってしまった。頭を上げる田邉警視総監の顔は真剣の皮を被ったニヤケ顔に思えた。どんな皮を被ろうと目だけはごまかせない。田邉警視総監の目は笑っているのだ。


 私はまんまと田邉警視総監の術中に嵌まった自分に腹が立った。何か仕返しをしてやろうかと思考を巡らせるが、私にはその度胸はなかった。


「もうそろそろ来る頃だがね」


 田邉警視総監は、ちらりと掛け時計を見やる。すると、力強いノックが警視総監室のドアを揺らした。


「どうぞ」


 田邉警視総監の返事と共にガチャっと扉が開いた。入ってきたのは長身の男性だった。年齢は二十代半ばくらいだろうか。一重にキリリとした目、高く通った鼻筋、シュッとした顎を持つ。まさにイケメンとは彼のことを指すのではなかろうか。その見た目に一瞬胸の鼓動が高鳴る。


「彼は私の又甥だが、今は探偵をやっている。あなたの力になってくれるだろう」

鷹岡光(たかおかこう)です」


 おおっ、イケメンボイス。低く通る声が警視総監室を支配する。


「白木颯奈(そうな)です」


 鷹岡は右手を差し出す。身体に似合わずガッシリした大きな手のひらは、細く華奢な私の右手を包み込む。


 鷹岡は私をどう見ているのだろうか。イケメンの考えることなんかたかが知れているケド。大学の山岳部の登山中に遭難しかけたとき、入院中の私に「颯奈が遭難した」などという低レベルなダジャレを言った男の先輩を思い出した。彼もまたイケメンと呼ばれる部類だった。

 どうせ鷹岡もメガネを掛けた陰キャに対する反応なんて同じだろう。頭では分かっているが、高鳴る鼓動は治まらない。鷹岡には、異性を引き付ける魅力がある。そんな気がした。


「何か質問は?」


 田邉警視総監が問う。この期に及んで質問など無い。あとは調査するだけだ。


「ありません」


 私と鷹岡は田邉警視総監にお辞儀すると、共に警視総監室を後にした。

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