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9.お嬢様は図書室に




「今日はここまでに致しましょう。次回は課題に対する見解をお聞かせくださいませ」


「はい、準備しておきます」


王城で受けている教養を深めるための講義。今日は二時間ほど指導を受けた。

次回の日程を確認しお茶を勧めたが、今日はこの後別の予定があるため急いでいると告げられ、ローザリンデは立ち上がり辞する教師を見送った。


「お嬢様、お疲れでは?ここのところだいぶ忙しくされて……無理をなさっていませんか」


「ありがとう、大丈夫よ。お茶を淹れてくれるかしら?」


「……かしこまりました。すぐ用意致しますね」


まだ何か言いたげのところを躱し、控えているエルマに頼んだ。ローザリンデは手元を片付けつつ今日習ったことを思い浮かべる。

きちんとこなしていくことを決めたのは自分だ。少しでも子供であることを補えたらいいと背伸びをしているのはわかっている。急いているつもりはないのに、見えない何かに辿り着きたい焦燥がちらついていた。


(そうだわ、図書室で資料をお借りすれば。邸の書庫にはなかったハズだもの)


次回までにまとめるため必要な本を考えてみると、邸宅にあるものでは些か情報が足りないような気がした。

比べられないくらい膨大な量がある王城の図書室なら、求めている本もきっとあるだろう。


「ですが、最近体調を崩すことなく過ごされてますね」


紅茶を出しながら、そういえばと思い出したように告げられる。


「言われてみると、そうかもしれないわ。もう何ヶ月も過ぎているわね」


一口含んで広がる温かさにほっと息をつく。

こなすことが多く忙しくしてはいるが寝込むようなことがない。特別何かしたか、と思い返してみてもそもそも今までの発熱は原因がわかっていないため対応策もなかった。

生活が少しばかり変わったからなのか、邸宅から出ることが増え気が張っているせいなのかもしれない。


(もしかすると属性の影響なのかしら)


これまでと違うことといったら、魔力を使っていることだ。使う頻度が多くはなくても、身体に影響があるのかもしれない。今度イザークに会ったら尋ねてみようと思った。


「ですがご無理はいけません!きちんとお休みください。いいですか、あれもこれも欲張っては、せっかくの…」


「わ、わかったわ。無理しないと約束します」


「本当ですね?」


「ええ、もちろん」


被せ気味にしっかり返事をする。

エルマは優しいのだが、こうなるとなかなかに厳しい。ここぞとばかりに言いたいことが連ねられそうになる。人前では大人しくしているつもりだが、つい被っている何とやらが彼女の前では取れることもしばしば。

実は勝ち気な性格だったり、やりだすととことん追求したり、もっと小さな頃は裸足で駆け回るくらい、しおらしい淑女とは言い難かった。その姿がなりを潜めだいぶ静かに過ごしていた。

だから心配もされ、じっとり念を押すような圧が感じられた。


「エルマ、今日は図書室で本をお借りしたら帰りましょう。課題を早めに終わらせたいの」


「では図書室までお送りします。私は侍女控室へ取りに行きたい物がありまして、三十分ほどでお迎えに上がりますね」


「それくらいあれば十分よ」


ローザリンデは図書室へ立ち入るための許可章も受け取っていた。それなりに頻度があるため、いちいち手続きするのは何かと手間が掛かるからと魔術師団側が準備してくれたものだ。それを見せれば入ることができるし、上限はあるが本を借りることも可能だ。


エルマに図書室まで送ってもらい、立ち入りの許可を得る。入口近くにある室内の配置表で書架の場所を確認し、目当ての本を探し始めた。


(この辺りね……)


横方向へ背のタイトルをなぞりながら、文字の羅列を辿る。これかと思った一冊を手に取り内容を見たが少し違った。

元の場所へ戻してその段の残りを辿ったが探しているものは見当たらない。もうひとつ上の段へ目をやると、それらしきタイトルがあった。


(この本のような気がするけれども)


手を伸ばしてみたがその高さまで届かない。ならばと背伸びをしてみるが、指先を掠めはするものの引き出すまでには及ばなかった。あまり雑に扱っては装丁を傷めてしまうため、これ以上はやめることにした。

踏み台を探すか誰かに頼もうと思って伸ばした腕を下げると、不意に後ろから声を掛けられた。


「―――手伝おうか?」


「っ、………!!」


何故いつも突然思いもよらないところにいるのか、驚いて盛大に跳ねた肩は悪くないと思う。みっともない声が出なかっただけ褒めてもらいたいくらいだ。


「……ジークハルト様、ごきげんよう……」


とりあえず挨拶を返す。もはや目の前に誰かいるときは条件反射として身に染みついていた。厳しく躾けていただいた先生と母へひっそり感謝してしまう。

心構えしていないところにこの距離でこの麗しい方を前にするなど心臓が保たないから、できれば現れる前に予告していただきたいと切に願った。


「こちらへ向かうところを見かけたから。たまたま」


そして心を読まれているらしく、声にしていない疑問に対して返答があった。なるだけ外での表情には気をつけているつもりなのに、わかりやすく顔に文字でも浮き出ているのかと不思議でならない。


「この棚?」


こちらの慌ただしく乱れた感情などお構いなしに、ジークハルトは目線をローザリンデ越しに書架へ向けた。


「はい、試してみたのですが届きませんでした。その、お手を煩わせてしまいますがお願いしてもよろしいでしょうか?」


「もちろん、お望みとあらば」


すんなり了承してもらえたことにまず安堵して小さく微笑み、ローザリンデより頭一つ分以上背の高い彼なら余裕なのだろうなと立っていた位置を譲る。

そして書架を見上げ、本の特徴を伝えることにした。


「左から五冊目にある、少し厚めの……きゃ……っ!」


だが突然襲われた視界の変化と重力の傾きに言葉は途中で終わってしまう。

何が、と理解する間もなく、ふわりと浮いた身体はありえない状態となっていた。


不安定さが怖くてしがみつくことしかできないのに、目の前のそこしか頼るものがない。故に反射的なもので、もちろんわかっていながらしたことではなかった。

だから必死に縋って咄嗟にした行為に驚愕と気絶できるだけの後悔に苛まれたのはすぐのことだった。


「取れる?」


「……ぅ、っあ、の……ぇ、?!」


「届かない?」


ジークハルトに持ち上げられている。

しっかりと腰の辺りを腕に包まれながら。

そして自分は彼の服にしがみついていた。

信じられないがどうやら現実らしい。


ただ本を取ってほしかった。届かないから取ってほしいと頼んだはずだ。それなのに何故こうなっているのだろうか。


問われる声があまりにも冷静でおかしなことなどひとつもないように平然と発せられ、慌てふためき意味をなさない声がしどろもどろに出ているローザリンデの方が落ち着かなければいけないような気さえしてくる。


(え、これは有り得るんですか?よくあることなのですか?普通なのですか……?)


近い。近すぎる。触れそうに顔が近い。

青金石(せいきんせき)と同じ色をした瞳が静かにこちらを見ていて、やはり綺麗だなと頭の片隅で思いながら、そうじゃない今はそこじゃないと自分を叱責しつつ、対処しなさい私の思考!と盛大に鼓舞してみる。


恐らくこれは今さら抵抗しても無駄なことだと推察される。拒否とか否定とか、そういう類のものは一蹴される予感しかない。

きっとやれることはひとつだけ。

そうだろう、本を取るという目的の完遂以外取るべき行動はなかった。


人は想定を乖離した現実をつきつけられると、かえって冷静になるらしい。


ようやく指先の神経へ指示が伝達できたようで、しがみついていた手を解き、おずおずと書架へ手を伸ばす。やや震えながらぎこちなくも目的の本を引き出し、もはや内容など確認している場合ではなくすぐさま胸元へ寄せた。違っていたとしてもこれでいい。これを借りようと固く決心した。


「……取れま、した」


「そう。よかった」


トスッと床へゆっくり降ろされ、その場で崩れ落ちそうな足たちを激励する。今はダメだ。たぶんダメ。


「ありがとうご、ざいます?」


動揺が隠しきれず、おかしなところで息を吸ってしまった。アクセントもどうして疑問形になったのか。


「どういたしまして。自分で取った方が間違いないから」


これは当然で不都合ないと、こちらから疑問を呈する前に言葉の先を塞がれてしまった。

左から五冊目と具体的かつ簡潔に伝えたはずなのですけれど、と言いたい不満な気持ちは早々に消された。


「―――またしばらく、ここを離れるから。君の補充も兼ねて」


スッと急に真剣な顔をされ、本を抱えたローザリンデから一房髪を掬う。前にも同じようなことがあったなと思いながら、言われた内容に胸が少しざわめいた。


「薔薇に虫がつかないように……」


意味ありげに妖しく口の端を上げると、掬い取ったはちみつ色の絹糸へ接吻を落とした。


「―――っ、お戯れが過ぎますっ!」


「安心して。本気だから」


一瞬安心してよいのかと思った刹那、宣告にも似た一言が刺さるように響いた。






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