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14.お嬢様の婚約者




ローザリンデが意識をなくしてから目覚めるまで三日を要した。

ゆっくり持ち上げた瞼は重たく、思考は何も働かなかった。何処にいたのか何をしたのか、見慣れた天井や室内に視線を巡らせようやく意識が浮上する。


「あっ……」


少しずつ視界からの情報で思考が動き出すと一気に記憶が蘇り、様々な感情が押し寄せてきた。

そうだった、怪我をしていた人々はどうなったのだろうか。酷い状態から脱しているのか、命は助かったのか、見届けることなく倒れてしまったではないか。


勢いよくガバッと身を起こすと、途端に目眩に襲われた。気持ちの悪さに額を手で押さえ、どうにかぐにゃぐにゃの感覚をやり過ごす。


「お嬢様…っ」


すぐ近くから声が聞こえ、背中を支えられた。ぐるぐるとした平衡感覚の歪みが徐々に治まり、大丈夫そうだと思って押さえていた手を外す。

目を開けると心配そうに今にも泣き出しそうな顔をしているエルマが、ローザリンデの様子を窺っていた。


「大丈夫よ」


「ああ、お嬢様……よかった」


堪えきれない涙が次から次へと溢れ出し、何度も拭いながらよかった心配しました本当によかったと繰り返した。

エルマの様子から今までにない状態に陥っていたことが窺える。どんなに寝込んだとして意識のないまま数日経つようなことはなかった。


すぐに侍医が呼ばれ、両親へも意識が戻ったことは伝えられた。ヘッドボードにいくつもクッションを入れ凭れ掛かれるようにすると、侍医から体調や意識の混濁など優先的に確認された。

これまでの経過や現在の状態、いわゆる魔力切れとなっていたことを伝えられた。最低限の生命維持に必要な魔力以外を注いでしまったらしい。必死だったとはいえコントロールできずにそこまで使い切ることになるとは思っていなかった。


「ローザリンデッ!」普段取り乱すことのない母が駆け寄り、いつになくやつれた表情の父に、ごめんなさいと謝る言葉以外は見付からなかった。


特段急いで治療する懸念はなさそうで、まずはゆっくり養生することが大切だと診断された。大勢がいつまでもいれば休めない。何かあればすぐ知らせるようにと部屋にはエルマのみ残ることになった。


ようやく静かな雰囲気が戻り、すぐにでも聞きたかったことを口にする。


「それで、街の方々は……」


「皆様の命を救うことができました。重症ではありますが、回復へ向かっているとのことです」


「そう…無事なのね……」


聞こえた話に心底ほっとした。無理をして心配も迷惑もかけてしまったが、少しも後悔はしていない。

もしも、もしもの話だとして自分を優先して見捨ててしまった方がきっと後悔していたはずだ。自責の念に駆られいつまでも悔やむだろう。偽善と言われてもやはり何もせずにはいられなかった。


「ですが、もう無理はなさらないでください。心臓がいくつあっても足りません」


本当に心配したんですよと、また涙が込み上げてきたのか涙を拭っていた。申し訳なさと安心させてあげたい気持ちから、ローザリンデはいつになく少し軽い口調で言葉を乗せた。


「あら、いつまでも私の傍にいてくれるのでしょう?あと三つ四つは準備しておいて?」


「……まあ、お嬢様。それはお転婆が過ぎますね」


「ふふっ」


お互い顔を見合わせ笑い合う。

無事であったからそこ言えることだが、一歩間違えればとんでもないことになっていた可能性もある。運も味方に就いてくれたのかもしれない。

そして恐らくは様々な煩わしさがこれから訪れるだろう。目立たぬようひっそり慈善活動をしてきたのに、今回のことでローザリンデの魔力がもたらす恩恵が露呈してしまった。多くの眼前では隠しようもなく、奇跡のような出来事は事実より誇張され拡がるだろう。人というものは起こるはずのない出来事に憧憬の念を抱くものである。


これからがローザリンデにとって懸念すべき敵との対峙となるはずだ。





少しずつ体調が落ち着き、部屋の中を歩けるまでに回復していた。日中は少しずつ書類の執務などもこなすことができ、ゆったり過ごす日々だ。ただ考えないようにしていても時折かすめる憂慮はどうしたって拭えない。

これからのことに少し気が沈んでいると、元気付けるかのようにエルマから声が掛かる。


「お嬢様、ジークハルト様よりお見舞いが届いております。お持ちしますので、お待ちくださいませ」


いつもより速い動作で部屋から出ていくと、間もなくして何かを手に戻ってきた。本来であればジークハルトが帰還した際に会うこともできたし、魔術師団を訪れる予定もあったというのに、もうこれまでのようにはいかないかもしれない。

まだ療養中ということもあって、誰かが訪ねることもない。どういう心持ちでいればよいかもわからない今、冷静な顔を作れる自信がなかった。正直なところ、身体が負った疲弊よりも心の嘆息は深いのかもしれない。会わずにいられるのは幸いだったか。


「こちらが今朝届いたもので、こちらはヴァルツァー様からの書簡です」


「ありがとう」


まずはジークハルトからの届き物に触れる。しばらく動けないことがわかっているからか物語の書物と好きだと伝えた菓子、添えられていたのは虹の花があしらわれた栞。

そしてメッセージカードには、穏やかな時間を過ごすようにと気遣いがしたためられていた。『君がいない本部は、さながら春を待つ花群のようだ』とも。早くおいでと言われたようで、ローザリンデの気持ちが温かいもので包まれた。


(ジークハルト様……)


もうひとつ、イザークからの書簡には緊張が伴う。何が書かれているのか―――


トクッと指先を震わせながら、ローザリンデは意を決してペーパーナイフで封を切った。特異な存在であるらしい自分の振る舞いが迷惑をかけたのではないかと不安が募る。魔力は使わないように言われていたというのに。もしかすると何か処遇が書かれているかもしれない。

どのようなことが書かれていようと受け止め、退団でも罰でも従うしかない。


ひとつ息を吐いてから広げた書面にはまずローザリンデを気遣う文面、居合わせた混乱の顛末、そして今後については未定とのことだった。様々な影響があるため現時点で話すことができず、決まり次第になるそうだ。当然ではあるが身体が回復したとしても、登城はしばらくできそうもない。


続けて『心配なことも多いだろうけど、みんなローザのことを心配している』『アメリアが早く会いたいとうるさい』と書かれていた。戦々恐々と構えていただけに、その文字はとても優しくローザリンデに伝わった。いつも陽だまりのような彼らを思い浮かべ、ついクスッと笑ってしまう。


――ああ、大丈夫だわ。しっかりしないと。


きっと遅かれ早かれ、自分の魔力や性質と向き合うときが訪れる。今ではなかったとして、そう遠くはない未来に何かが起きていたはずだ。

ローザリンデは改めて気持ちを強くし、何があっても前へ進もうと決心した。




更に一ヶ月ほどが過ぎた。

すっかり元の生活へ戻り、静かな毎日は平穏すぎるほどのどかに感じる。ただ邸から出ることは叶わず、病弱だった幼い頃に戻ったかのようだ。

波紋すらない水面は嵐の前を表しているのかもしれない。一適の雫で拡がる騒乱。そんなこと考えたくもないのに。


そこへ、父である侯爵がやってきた。決して珍しいことではないが、そのときはわかってしまったのだ。


滴が落とされる、と。


「お父様……」


「ローザリンデ……よくお聞き。このまま何もなかったかのように過ごすことが叶わないのはわかるね?お前の話が伝われば、おそらく他国や良からぬ考えを持つ者から狙われるだろう。その力を欲することは明らかだ」


父の苦渋に満ちた顔。どうにかしてやりたい気持ちと、どうすることもできない現実の狭間で揺れ動いたのだろう。模索した中で最善であることを願って、手を尽くしてくれたのは明らかだ。ローザリンデが持って生まれた能力を消すことももちろんできない。


「いいかい。私達では護りきれない。だから……保護の意味もあるがローザリンデ自身を望んでくださっている方がおられる。家格も問題なく、大きな魔力もお持ちだ。きっと護ってくださる」


これまでどれだけ大切に育ててくれたことか、身をもって知っている。貴族であるにも関わらず厳しくも自由に明るく過ごせたことは感謝してもしきれない。

ならば、いつかやってくる時が少し早まったに過ぎない。侯爵家の益となるよう嫁ぐつもりでいたのだから。自分の存在が争いごとの種にならないよう従うのは当然のことだ。


育ち始めた淡い恋心は、花を咲かせる前に……摘むしかなかった。


「お父様、私の覚悟はできております。望まれたお方のところへ参りますわ」


ローザリンデの凛とした顔に、そう返答することがわかっていたからこそ切な気に侯爵は頷いた。審判を下すかのようにその言葉は響く。



「お相手はブルーメンタール公爵家の次男レオ様だ」







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