冒険と意思と心 その6
「……ルミナさん、この狼の事……知ってるんですか?」
突然の暴風と共に現れた、エトルの隣にいる狼を見ながらルミナに問いかけた。
「……知ってるけど、今は言いたくない」
珍しく、否定的な態度を見せながらルミナはエトルが置いた回復薬を飲む。立ち上がって服についた砂ぼこりを払うと、改めて怪物を見た。
「今重要なのはそこじゃない、でしょ?」
「……そうですね」
改めて2人は戦闘体勢を取る。隣にいた狼、ウォフも頭を低くして準備している。
「先に2つ言っとく」
ルミナはエトルを見た。エトルも目でルミナを見る。何処か怒っているようにも、少しだけ安堵しているようにも見えた。
「もうあんな真似しないで。君はまだまだこれからなんだから」
「……ごめんなさい」
心底申し訳なさそうに謝ったエトルの声を聴き、何ともいえないような表情でため息をつく。
「……もう1つ。相棒は言うこと聞かないバカ狼だからさ。こっちが合わせないと大変だよ」
「あはは……。それは難しそうですね」
呆れるような、そして何処か懐かしむような声でそう呟いたルミナに、思わず苦笑してしまうエトル。
同時に、そんな風に言えるということはこの狼はルミナにとって大切で大事な、最も信頼できる相棒なのだろう。そうエトルは思った。
「……大人しく抵抗しなければよかったものを」
司祭は哀れむかのような態度で2人を見据えた。
「まぁ、1匹増えたところで何も変わりはありません。新たな歴史の礎になることに変わりはないのですから」
その声と同時に、化物が上空から泡の魔法弾を飛ばしてくる。
「―――上がれ、護れ、隠せ、大壁」
それが着弾するよりも先、ルミナは『何か』の声と共に地面をかかとで蹴りつける。2人と1匹の目の前に壁が盛り上がり、泡がそこで拒まれて弾ける。
そして壁が出来上がるとほぼ同時。ウォフが壁の横から駆け出す。獲物を見つけた化物は泡の魔法弾と嘴から拡散弾をぶつけようとしてくる。ウォフは駆け抜けながら飛ばされる弾を避けていく。
弾の雨が止んだその一瞬。化物に向き直ると同時に、駆ける勢いのままに飛び上がり化物に喰らいつこうとする。
「こっちだ!」
更に別の方向。エトルは気を引き付けるかのように盾を取り外し、化物に向かって勢いよく投げつける。高速で飛ばされた盾は化物を一瞬とは言え怯ませる。
その一瞬だけで十分だ。たった一瞬の隙を突き、ウォフは牙で化物の身体に、引き千切るかの如く喰らいついた。振りほどこうとして大暴れする化物。
「爪痕、刻め、爪痕、刻め、連なれ、刻め。そして―――」
チャンス、と言わんばかりに両手を化物に向かって掲げて、ルミナが詠唱する。化物のさらに上空、複数の小さな光がその身体を裂こうとして―――
「―――堕ちなよ!!」
その両腕を振り下ろすと同時。爪痕の斬撃が容赦なく化物を引き裂いた。自由の利かなくなった化物は地面へと落下した。
「……バカな。たかが1匹、増えただけなのに」
司祭は唖然としていた。今まで2人がかりでも敵わなかった化物が、狼が増えただけで押され始めている。
その司祭の声を聴いてか、ルミナがいたずらに成功したと言わんばかりに微かな笑みを浮かべていた。
「そりゃあそうでしょ。たった1匹だもん。自分でもびっくりしてるよ。ウォフが加勢してくれただけで状況は変わった」
空中からウォフが、ルミナのすぐそばに着地する。その相棒の姿を見るルミナ。
「でも当然の結果でしょ? 私の『相棒』だもん。強いに決まってる。……そんな相棒がいるのに諦めるわけにはいかないからね」
さも当然のように言い切る。隣にいるウォフも、何処か少しだけ嬉しそうに尻尾を揺らす。
「僕もですよ。……僕も負けません。ルミナさんやその相棒と一緒に戦ってるんだ。僕は……少しでも追いつきたいんだ!!」
盾のない腕で、両手でしっかりと剣を構えるエトル。
まだ戦闘は終わっていない。化物が怒りに震えるかのようにゆっくりと起き上がる。
ウォフが化物に迷いなく突進する。それに続くかのようにエトルも突撃する。
ウォフが爪で化物の身体を裂こうと飛び上がり、一直線に突っ込む。化物は身を翻して回避するが、その先にエトルが回り込む。
「喰らえぇっ!!」
更に1歩、強く踏み込み、重いものを振り回すかのように横一線を浴びせる。同じような感覚が剣を通して腕に伝わる。最初は効いているか分からないし、今もどうなのか分からない。
ただ1つ確信はあった。確実にダメージは与えてきている。
反撃と言わんばかりに化物がエトルに向かって翼で振り払ってくる。流石に受けるしかない。だが直撃は避けたい。たった一瞬の中で判断したエトルは振り払った剣先を自身を護るかのように素早く回し、防御の姿勢を取る。
直後に衝撃が伝わる。身体全体がマヒしたような感覚が押し寄せてくる。痛みは確かに感じる。だけど全く怖くはなかった。
ウォフが雄たけびを上げながら、化物の背に飛び掛かる。抑え込むかのような勢いで両足を強く突き出す。
更にダメ押しと言わんばかりに、ルミナの声と共に鈍い灰色の一閃が化物を裂く。
着実に攻撃を与えてきている。化物も弱っているように見える。
追撃、と言わんばかりに再度エトルは踏み込む。
しかし化物も黙っていない。力を振り絞るかのように身を翻して風を起こす。体勢を崩さないようにエトルはその場で踏みとどまった。
怪物が上空で、魔力を集め始める。不気味な身体に嫌な色の魔力が少しずつ纏わりつく。
「……止めなきゃ」
決意を新たにするかのようにエトルは身構える。しかし相手は空中にいる。ジャンプでは到底届かない距離だ。
その時。近くにいたウォフが吠える。エトルははっとなってそちらを見ると、ウォフはエトルに視線を向けて身を低くしている。
「……もしかして、乗れってこと?」
ウォフは何も言わない。エトルは思わずルミナを見た。ルミナは頷いた。
「大丈夫だよ。援護するから」
「……はい!」
そういってエトルはウォフにまたがった。まるで魔法で作ったかのようなふわりとした感覚が押し寄せる。
乗ったのを確認してか、ウォフが大きく吠える。そして勢いをつけるかのように広場を大きく駆け抜け始めた。かなりの速さだ。エトルは振り落とされないように身体をピッタリとウォフの背にくっつけ、抵抗を薄くする。
その間にルミナは銃を構え、集中させるように目を瞑り、両手で銃を構えた。
目を開く。視界には化物を捕らえている。走っているウォフとその背に乗っているエトルには目を向けない。
「―――銃弾」
信じているからだ。
「飛べ」
かつていた相棒と、
「連なれ」
自分のことを信頼していてくれる新米冒険者を。
「弾けろ」
―――私はそれを……
「―――穿て!!!」
―――『手伝うだけ』だから!!!
ルミナの射撃と、ウォフの跳躍がほぼ同時に、化物に向かって飛んでいく。
連続で撃たれた銃弾は曲がりくねりながら化物に向かって放たれる。それを追いかけるかのように風を纏ったウォフが突っ込んでいく。
先に弾丸が着弾する。喰らった化物は大きく怯んだ。そこに追撃するかのようにウォフが雄叫びを上げながら突撃してくる。
しかし化物はウォフに向かって抵抗するかのように、同じく突撃して衝突した。
うめき声が上がる。お互いにぶつかり、反動でよろめいた。
「エトくん!!!!」
「はい!!!!」
ルミナが、激突の直前でウォフから飛び上がったエトルに声をかける。エトルは上空で、化物の真上にピンポイントで剣を構えていた。
身を翻す。重力による落下が始まる。対象はたった一点。
「「行っっけぇぇぇぇぇ!!!!」」
エトルとルミナの叫びが重なる。逆手で強く、両手で化物の背を突き刺し、更に全体重をかけるかのように身体を無我夢中で押し付ける。
化物の叫び声が響く。後一押し。
トドメを刺すまで絶対に、放すものか。ダメ押しと言わんばかりに、強く、深く、押し付けた。
化物の身体が、地面に大きな音を立てながら激突する。背にいたエトルも、衝撃で意識が吹き飛びかけていたが歯を食いしばってこらえる。
一度目を強く閉じてからすぐに目を開く。両手からは今までの、固体の不気味な感覚はしない。その代わり、蒸発するかのような大きい音がエトルの下から響いてきた。
エトルの下には、鳥の骨格のみが残っていた。
「……やった」
心の奥底から、全身に震えが伝わる。
今まで恐怖を押しとどめて戦ってきたのもある。それは何となく自覚できる。
だけどそれ以上に。
「勝てたんだ……!」
一度はダメだと思った化物を、自分たちの力で倒せた嬉しさが、心の底から満たされていた。




