雨の日の数時間 その3
2人は外に飛び出す。雨は意外とそこまで強くはなかったが、風が強い。
老人はすぐに見つかった。教会へと続く橋の真ん中。そこで老人は天に向かって両手を掲げている。もちろん上には何もなく、暗い雲だけが空を覆っていた。
「……様子がおかしい。まるで、何かを待っていたかのみたいに」
そう呟きながら神父は、老人に近付こうとする。その前にルミナが神父の肩を掴み、自ら先へと進む。
「ルミナ?」
「言いたいことがあるって言ったでしょ。全部言ったら、後は好きにしてちょーだい」
風と雨で揺れる髪を払いながら、ルミナは老人へと歩み寄る。
老人は気づかない。ルミナ達からは背を向けてて表情が読めない。だけど様子からして察せる。きっと老人は狂気の笑みを浮かべていることに。
「ねぇ」
やや離れたところでルミナは立ち止まり、老人に声をかける。老人はこちらを振り返らない。呆れるかのように息を吐きだす。
「いつまでそうしてるつもり? それで……アンタの罪が許されるとでも言うの?」
「……何?」
挑発的な言葉で告げるルミナに、老人は反応した。
ルミナの表情はなかった。何も興味なさそうな表情で老人を見ていた。
その目は、どこか哀れそうな瞳だった。
「なんとなく分かるんだよね。アンタは私と同じ匂いがする」
「何が言いたい?」
「……さぁね。正直アンタのことなんて興味はない。この先、何をするかなんて正直知ったことじゃない……けどまぁ街を壊すとかは勘弁してほしいけど」
そういいながらルミナは一歩近づく。風は強く吹いているはずなのに、今のルミナには「風が強い」という実感はなかった。
この気持ちは一体何だろう。あぁ。そうか。
「ただ哀れに見えた。ねぇ。それで本当に戻ると思ってるの?」
ルミナの言葉が何処か重く聞こえる。
自分でも、そう願ってはいる。というように。
「何が……悪い」
老人が呻くように、ルミナを睨みつける。
「貴様も修道女であるなら……縋ることに批判なんてするものか!!」
老人の怒声に、ルミナは気にしてないような素振りを見せる。そして、少しだけ笑みを向けるとこういった。
「別に、服が気に入ってるからって理由ぐらいだよ。これ着てるとなんか落ち着く、というそんな理由だけ」
くだらない理由に、一瞬だけ老人は怯んだような表情を見せる。そして次第に、怒りを露わにしていく。
「……貴様」
「まぁ……もしも私が祈る立場だったとしても。そんなことはしないね。他人に縋って生きようなんて……ましてや、そこにいるはずのない―――」
「黙れェ!!」
怒声と共に、老人はルミナに向かって腕を突き出す。その手には魔法陣が浮かび上がり、直後、稲妻がルミナに向かって走ってくる。
ルミナそれを身を翻して躱す。雨でやや滑る石橋を両足と片手でブレーキをかけるように身をかがめ、直後に弾丸のように老人へと一直線に飛び出していく。
「近づけさせん……近づくなぁ!!」
更に老人はもう片方の手をルミナにかざす。同じように魔法陣が浮かび上がると、今度はそこから氷柱が一直線に飛んでくる。止まれない。咄嗟に両腕でガードする。氷柱の威力は高く、ルミナを弾き飛ばした。
吹き飛ばされたルミナは石橋に叩きつけられる前に受け身を取った。両腕を払って息をつく。
「……おかしいと思わない?」
腕の負傷を確認するかのように、ルミナは片手でもう片方の腕に触れながら老人に問いかける。
「今まで汚れた生き方をしていたのに縋りつくってこと」
「……っ」
「さっきも言ったでしょ。私と同じ匂いがするって。……知ってるよ。そういう生き方」
ルミナはそこで言葉を区切り、少しだけ笑みを浮かべた。
久しぶりに、同族に出会えた。と言わんばかりに。
「だからこそおかしいと思う。……今までそういう生き方をしてたのに、突然祈り始めるだなんて」
「……うるさい」
「私はね。人に感謝することはあっても、願うことはしないよ。だって、願ったところで何が起きるの? そいつは戻ってくるの?」
「うるさいッ! 小娘に何が……分かるんだ!!」
老人は吠えるかのように両手をルミナに突き出す。流石にヤバい。本能で感じ取ったルミナは大きく息を吸い込むと地面を強く蹴り、老人へと駆ける。
「消えろ―――!!」
近づくよりも前に、老人の手に浮かんだ魔法陣から、漆黒色の剣がルミナに向かって射出される。
「―――伸びろ、連鎖、鋼鉄」
それよりも前にルミナの右手から、不気味に輝く鎖が一直線に放たれる。対象は老人でも、剣でもない。橋の端にある街灯の一つへと。鎖の先端が街灯の柱に巻き付くとルミナはそれを力任せに引っ張る。反動でルミナはその方向へと飛ばされ、剣を躱した。
「……もう、いいや。話せることは話した」
鎖から手放すと、雨で滑る石橋を蹴り、老人へと全体重をかけるかのようにタックルを浴びせる。細身の彼女の突進は最低限の効果を発揮するのには十分だった。老人はうめき声と共に倒れ、ルミナは老人を地面へと押さえつける。
「もういいよ。私が話したいことは全部話した。……解いてやってよ」
遠くにいた神父にルミナは声をかけた。神父はゆっくりと頷き、近づく。
「おい……やめろ……」
老人がか細い声を上げる。対してルミナは、聞こえているのか聞こえていないのか、軽く息をついただけだった。
「やめろと……言っている……!」
話をしても無駄と分かったのか、老人は近づいてきた神父に声を向けた。神父の反応はというと、老人の瞳を見て複雑そうな表情を露わにした。
「……独りで迷っていたのですね。気づけなくて申し訳ありませんでした」
神父は地に伏してる老人に謝罪すると、片膝を立ててしゃがみ、老人に手をかざす。
「本当はこういうことをするつもりはありません。……ですが、道の末が見当たらず、ただ当てもなく彷徨う魂を救うのも我らが使命」
そういうと、神父の手から淡い光が浮かび上がる。その光はロウソクのように儚く、何処か落ち着くかのような輝きを見せていた。
「今はただ、休めなさい。その魂が、本来の道筋を見つけるまでは―――」
老人の治癒を行うかのように、輝きがゆっくりと大きくなる。老人は最初は焦りの表情を見せていたが、少しすると、疲労の回復をするかのように目をつぶり気を失った。
「……終わった?」
そういいながらルミナは、いつの間にか手に持っていた小さくて丸いプレートをお手玉するかのように放り投げてキャッチする。
プレートの一面には、何やら不可思議な紋様が彫られていた。
「えぇ。終わりました。……その手に持っているものは気になりますが、今は教会に戻りましょう。このままでは風邪をひいてしまいますからね」
「ん」
神父の言葉に同意するかのように頷くと、ルミナは老人の上から退く。神父は気を失った老人を担ぐと、教会へと歩き出した。
ルミナはその背を見て、同じように歩こうとしてふと石橋の向こう側の景色を見る。雨と雲でお世辞にもキレイとは言えない街並みが広がっていた。
「……」
その街並みを見てからルミナは少しだけ、何かを思い出すかのように目を瞑り、目を開くと教会へと歩き出した。




