雨の日の数時間 その1
これはある年の雨の日から続く、教会でのお話。
その日は雨だった。
ロウソクの明かりが中を淡く照らす教会。そこには2人の人物がいた。
1人は女神像と向き合い、辞書みたいに分厚くて大きい、この教会にある聖典を読んでいた。
もう1人は教会にある長椅子に、自分の家のベッドのように身体を預けて横になっていた。
「……ルミナ」
聖典を読んでいた神父はそこに栞を挟むとため息をつき、横になっていたルミナに近付いてくる。ルミナは「なぁに?」と声だけで返事をした。
「ここは貴方のベッドではありません。ここの教会にシスターとしているのであればそんな体たらくな格好はしないように……」
「だって誰もいないじゃん。だったら寝てたっていいでしょ、暇なんだし」
「いいえ。ここには私がいます。それに誰も来ないとは限りません」
「だから姿勢は正してなさいって? こんな雨だもん、わざわざこっちくる物好きな人なんて早々いませんよーだ」
もう説教は聞き飽きました。と言わんばかりにルミナは暇そうに神父に向かって言うのだった。
ルミナの言うことは間違ってはいない。神父は頭の中ではしっかりと理解はしていた。一方でシスターにあるまじきだらしなさは見て見ぬふりは出来ない。神父はルミナに近付く。ルミナの目線は神父ではなく、何もない天井に向いていた。
「いいからしっかりと姿勢で座りなさい。この椅子は貴方の寝床ではありません。いいですか?」
「いーやーでーすー」
「……なるほど。そういう態度とるなら構いませんよ。ですがその代わり、教会の教えや聖歌をしっかりと口に出してもらう必要があります。正しい心であれば……」
くどくどと言う神父に嫌気がさしたルミナは、また出たよ説教タイムが。と言わんばかりの顔になって話を聞き流し始めた。だが一向に姿勢を正すような気はない。言う通りにしたら従っているかのようで嫌だったからだ。
人が来ないのは確かだ。現にこの教会、晴れの日であろうとも来るのは良くて1桁であり、住民や冒険者が来るのはあまりない。そして今日は雨だ。わざわざ雨の日にここにまで足を運ぶような人はいないだろう。
つまるところ、いつも会いに行ってるエトルにもルミナから向かうとかしなければきっと会いに行けない。ただただ退屈な時間だけが流れていた。
と、雨の音に紛れて教会の扉がゆっくりと開く音が聞こえてきた。その音に反応して神父は説教していた口を止めた。
「……ルミナ。人来ましたよ」
「……はぁ」
神父のその言葉に、心底つまらなそうな顔をしたルミナ。ため息を一つ吐いただけで一向に姿勢を正しはしなかった。
「どうせいつものじいさんでしょ」
「……えぇ。その通りです」
ルミナが寝転がっている椅子からは背もたれが邪魔で見えていないはずだった。しかしルミナは扉の音だけで「いつものじいさん」と判断した。神父は感心と呆れが混じったような息をつく。
ルミナの言う「いつものじいさん」は、薄汚れた茶色のフードを深くかぶっていて目元が見えない。肌は薄い緑であり、種族はムスラルのようだった。
「人が来たのでさっさと姿勢を正す」
今までの穏やかな口調から一転、刃のように鋭い口調が神父の口から発せられた。その言葉を聞いてとうとう観念したかのようにルミナは身体を起き上がらせた。
そんな2人の、数秒にも満たないやりとりにも全く気付いていないのか、「いつものじいさん」は教壇から一番近い長椅子に腰をかけて、以降は微動だにしなかった。
2人はというと、「いつものじいさん」には気にかけず、神父はルミナから離れて教壇の前に立ち、女神像の前で聖典を続きから読み始める。ルミナは座ったまま背伸びをすると、背もたれに背を預けて魂でも抜けたかのように天井に顔を向けるのだった。
「……まーた来た」
雨の音に紛れさせるようにルミナはポツリとつぶやき、ふと「いつものじいさん」との出会いを振り返っていた。
「(始まりは3年ぐらい前だったっけ)」
3年前のある日のことだ。今のような雨の日にルミナは神父に説教を受けていた。ルミナは聞きたくないと耳をふさいでいたが、それすらも貫通するかのような神父の言葉が嫌にも耳から通じて頭に響いていた。
と、突然ゆっくりと扉が開いた。その音に反応して神父は説教していた口を止めてそちらの方を振り返る。ルミナも興味ありげにそちらを振り返れば、フードで顔を隠しつつも、手のしわから老人と思われる人物がいたのだった。
老人はゆっくりと神父に近付いてきた。ルミナはそこから逃げるように離れ、神父は訝しげに老人を見つめる。
「どうかされましたか?」
神父も老人に近付き、訊ねる。老人はしわがれた声でこう言った。
「ここは教会か?」
そのやりとりに遠くで見てたルミナは「教会以外に何があるのさ」と心の中でそう言った。
一方神父はというと、優しい表情を浮かべて「えぇ。その通りです」という。その言葉を聞いて、老人はゆっくりとまた歩き出す。教会にある、教壇から一番近い長椅子まで足を運ぶとそこにゆっくりと腰を下ろした。
何だろう、と神父は不思議な顔をする。しかし老人は祈るかのように手を組んんで座ったままで、それっきり動かなくなってしまった。
何事かと思い、神父はその老人に近付くが、どうやら死んだわけではなく、ただ座っていただけだったようで、それ以降は邪魔しては悪いからと思ったのか、神父から近づくことはなかった。その代わり、ルミナの元へ近づき、ルミナの着ている修道服の首根っこを掴んでルミナごと内陣からそっと姿を消した。
その後ルミナは説教の続きを聞かされたのは言うまでもないだろう。
「(それからだったかな、あのじいさんが教会に顔出すようになったのは)」
最初は、姿を消して数時間後に2人がまた内陣に入ってきたときにはそこには老人の姿はなかった。
ルミナも「あの人何しに来たんだろう」と思っただけでその後は気にしないようにしていた。だがまた次の雨の日には、同じようにフードを深くかぶった緑の肌の老人がやってくると今度は無言で、前と同じところに座った。
ちょっと興味を持ったルミナはその老人を観察していた。その老人は座ったまま、特に何かをするわけでもなく、ただその場で微動だにしなかった。
そしてだいたい2時間が経過したころだろうか。雨の音がいつの間にか聞こえなくなると、老人はゆっくりと立ち上がり、扉を開けてそっと姿を消したのだった。
「(で。何度も観察してた結果)」
ルミナは老人が、「いつものじいさん」が来るタイミング、帰るタイミングを把握していた。
雨の日の日中の10時半に「いつものじいさん」はこの教会に来る。そして雨の止んだタイミングか6時間ほど過ぎた時に帰る。これが「いつものじいさん」だった。
3年前からほぼ雨の日にある、ある意味不気味ともいえる「いつものじいさん」の、老人がやってくる時間。何度も繰り返し起きている、何事もないから何かあるのではとも思える時間だった。
「(……ホント、何度も同じこと繰り返して何がしたいんだろ)」
雨の音だけが聞こえる教会。神父とシスターと老人だけがいるこの空間。約3年前から毎回と言っていいぐらいみかける光景。
紙に描かれた絵を見るかのような繰り返す光景にルミナは、別に老人に問うわけでも、教会から出た後に追うわけでもなかった。
「(自慢じゃないけど……昔から結構耳は良いんだよね)」
天井を見ていたルミナは一瞬だけ老人に目を向ける。そしてすぐに視線を戻して目線を細めた。
どこか呆れているかのよな、ゆっくりと吐いた息と共に。




