山中鹿之助幸盛 ~尼子家再興に忠義を捧げた武将~
『 鹿之助、尼子勝久殿供に城を出よ 貴殿の悲願、ここで果てるに勿体無い 尼子家再興の為、今一度、生き延びよ 必ず助けに参る
羽柴筑前守 』
手渡された書状に目を通し、武将は告げた。
「筑前様が申し入れは誠有り難い、然れど我が因縁、毛利との戦を前に三木城主・別所殿の謀反、此れに播磨の国衆が続けば上様(織田信長)の形勢は厳しくなるであろう。上様の天下布武、上様に見出だされねば夢幻に終える生涯であった。尼子再興に誓った命、今こそ毛利に我が名を轟かせる時ぞ!」
そして叫ぶ。
「我に七難八苦を与えたまえ!」
織田信長の命を受け、毛利討伐に軍勢を組織していた羽柴秀吉。
秀吉は近江長浜より西に出陣、播磨を抑える為に奮戦を重ね、国衆を味方に率いれ、毛利方にとって東の最前地であった上月城を陥落させる。
上月城を手にした秀吉、ここに予てより毛利と敵対し流浪の身であった山中鹿之助幸盛と尼子勝久を入城させ、毛利の備えとした。
かつて尼子家に仕え毛利との戦に破れた後、京に逃れた鹿之助。
鹿之助は、尼子家再興の為、畿内の寺で僧となっていた尼子家の血を引く尼子勝久を見つけると共に、己の力だけではどうにも出来ぬ現状を打破すべく、破竹の勢いを誇る織田信長を頼った。
信長にとって毛利は宿敵、鹿之助の申し出を快諾するが、捨て駒となる可能性を秘める。
信長の後ろ楯を得た鹿之助、尼子勝久を主とし羽柴秀吉の毛利討伐に参加、毛利との戦に望む。
播磨攻略に強行姿勢を崩さぬ秀吉、播磨の国衆・小寺氏・赤松氏・別所氏等を従えそこで小寺氏の家臣であった黒田官兵衛と出会う。
順調に事を進める秀吉に対し、毛利方が反撃に出る。
播磨の西隣国を統治する宇喜多氏を引き連れ、播磨に兵を進めた。
毛利が動いた事に播磨の国衆も呼応、三木城主・別所長治の謀反に続き織田信長の家臣であった荒木村重が謀反を起こし有岡城に籠城、信長は荒木村重討伐に兵を差し向け、秀吉も苦しい立場を強いられる。
上月城にて毛利を迎え撃つ、鹿之助と尼子勝久。
救援に向かうべく、秀吉は信長に懇願するが三木城を攻め落とす事を優先せよと告げられる。
秀吉の叫びも虚しく、上月城は見棄てられた・・・。
上月城を取り囲むは毛利約三万の軍勢。
救援の望みが絶たれた上月城の兵は脱走者が続き、既に千を切る。
勝敗は決しているが、主・尼子勝久との盃をかわし、鹿之助は勇猛果敢に討って出る事を告げた。
「鹿之助、最早これまで。儂は自刃致す。城を明け渡し残る兵を助けよ。然れど、一時の幻を得た。僧として終える生涯を尼子家再興に立てたのだ。此の誉れは冥土への良き土産じゃ。一重に、鹿之助、御主の御陰よ。礼を述べる。忝ない。」
「殿(尼子勝久)、某も御供仕奉る。然れど尼子家再興果たせず、面目次第も御座らぬ・・・」
「鹿之助、何を申す。御主程の忠義、果たせる武将が何処にいよう。儂は嬉しき限り、御主は真の武士ぞ!」
「殿・・・、最後の義を。つきましては某、真の武士として果てとう御座います。我が武勇、毛利に見せつけて御覧入れまする!」
「鹿之助・・・、今生の別れじゃ!」
目を赤く染め尼子勝久は自刃、鹿之助は見届けた。
やがて山中鹿之助幸盛、少ない手勢を率いて上月城より討って出る。
そして叫んだ。
「願わくば我に七難八苦を与えたまえ!いざ参る!」
毛利約三万の軍勢を前に勇猛果敢に突撃、
「我こそは尼子勝久が家臣、山中鹿之助幸盛為り!尼子家再興に懸けた命、我は果てるまで突き進むのみ!」
鹿之助の最後まで信念を貫く姿勢は、多勢であるはずの毛利勢を圧倒した。
しかし多勢に無勢、鹿之助は捕まり後に処刑、主を失った上月城も陥落、織田家の繁栄の裏で出雲尼子氏は滅びる。
鹿之助の死後、嫡男・幸元は毛利勢から逃れ摂津国伊丹に移り鴻池家に仕えた。
幸元はそこで武士の生き様を棄て商人となる事を志し、清酒の製造に携わる。
幸元の活躍あって鴻池家の清酒は成功をおさめ、江戸に幕府が開かれた後、江戸への輸送手段を考案するなど財を成す。
江戸に送られた清酒は好評となり、伊丹は清酒造りに盛んな地と褒め称えられる。
本命を名乗れず無念にいたであろう幸元は、商人として成功し、父・鹿之助の武勇を伝えるべく後世に語り継ぐ。
山中鹿之助幸盛、尼子家再興に忠義を懸けた武将の姿勢は後に語り継がれた。