寂しさの残滓
始めに言っておく。筆者は看護師であり、看護師には守秘義務があるので詳しい事情は記すことが出来ない。
しかしながら『末期がんの患者さんを看護していてありがとうと言われ嬉しかった。』は守秘義務に抵触しないらしいので、その程度の話に留める。駄目だよ!となったらこの話は消すかもしれない。
では本題。
『うん、そうだよね~、わかる~。』
絶対に解っていない。皆さんも友人の輪に入っている時こんな生返事をした・された経験はあるのではないだろうか?
ただこの発言をしたのは末期認知症の方だった。認知症とは死に至る病であり、末期になると【生きる事を忘れる】。
自分の名前を思い出す事が出来ない、鏡に映っているのが誰なのか解らない、食事でお膳を前にしてもどれが食べ物でどれが箸でどれがお皿でどれが模様なのか解らない、トイレに行って何をするのか解らない、服の着方も服を着る理由も解らない、年齢は記憶の根底を酔歩し、今自分が何歳で何処にいるのか解らない。相手が何を話しているのか、何語で話しているのか解らない。
それが認知症の末期症状だ。
そんな病を患った方が、何人もの人が雑談している輪の中で発した台詞が上記のものだった。
筆者が〝絶対に解っていない〟と言った理由も察していただけるだろう。理解するという能力が病によって欠落しているのだ。
しかし、【周りが楽しそうに話している】ということは理解したらしい。そして、自分も会話に入りたいと言葉を発したのだろう。
…………〝寂しさ〟〝疎外感〟という【感情】は、人間の生きる欲求さえも凌駕するものなのだろうか?やはり【生きることを忘れる病】に罹ろうと、寂しい事は辛い事なのだろうか?
本人に聞いてもこんな儚い記憶、既に忘れているだろう。真相はどこにもない。