ラブレターとひとみ先輩(後編)
夏休み初日、僕は早速登校した。
はっきり言おう。僕はそれなりの成績がある。補習とは無縁だ。
それに加え、写真部の活動は夏休みの間は実質停止状態だ。学校に来る必要はない。
それなのに、この炎天下の中わざわざ登校したのは、ひとみ先輩にラブレターを送った人物。竹之内が告白場所の体育館裏に現れなかったからだ。
「夏休みの課題も、この分じゃ最低一日遅れになるな……」
一日遅れなら御の字だろう。最悪二、三日送れる羽目になる可能性もある。
「どうして普通の青春を送らせてくれないのに、夏休みの課題をやる時間も与えてくれないんだよ……」
僕の言葉は、頬を伝い流れ落ちた汗と一緒にコンクリートの染みになって、太陽の光で蒸発させられた。
× × × × ×
部室に入ると、ひとみ先輩とやはりというか新田原がいた。
「おはようございますひとみ先輩」
「おはよう、城野君」
「……おはよう」
「それで、竹之内って奴が来なかったのは本当ですか?」
「えぇ、本当よ」
「ちょっと! 私の挨拶は無視? あんた何様よ!」
「男子高校生様だ。よく覚えとけ自傷探偵」
「傷ついてるし! 自傷じゃなくて最低でも自称って言ってよ!」
「だりー……」
「もうっ! それとひとみ先輩もナチュラルにこいつに合わせないで下さいよ!」
「ごめんね。二人のやり取りが面白くて、つい」
「「つい、じゃないですよ!」」
僕と新田原の声が、まるでラジオの周波数が合うようにぴったりと重なった。その事実に新田原は赤面し、僕は溜息をついた。
「とりあえず、昨日のことを聞かせてくれますか? あっ、新田原が聞いていれば僕が聞く必要は特にないですけど」
事件を解決するのは僕ではない。今回の件はひとみ先輩に呼ばれたから来ただけだ。それに大体の事情は知っているから、新田原が知っているなら聞く必要はない。
「私もまだ聞いてない。ひとみ先輩、昨日ラブレターをもらったところから話していただけますか?」
「わかった。それじゃ話すね」
ひとみ先輩は、昨日の朝、靴箱を開けたらラブレターが入っていたこと、指定された待ち合わせ場所で竹之内先輩を待ってみたが、結局下校時刻まで来なかったことを話した。
「ひとみ先輩、その、どれくらい待ったんですか?」
「うーん……四、五時間?」
「あの炎天下の中よく顔も知らない先輩のこと待ちましたね……」
「ずっと体育館裏にいたわけじゃないよ? お昼ごはん食べに学校の外に出たりしたし、さすがにずっとあそこにはいられないから、かなりの時間は校舎の中から体育館裏に行く人がいないか見張っていたし……実際に体育館裏にいたのは一時間くらいかな?」
「そうですか」
「ちょっと、そんなことよりあんた!」
「そんなことって……これが本題だろ?」
「どうしてひとみ先輩が倒れた時私を呼ばなかったのよ! どうやって保健室まで運んだのよ!」
「……想像に任せる」
「こっちのほうがラブレターとか告白より、よっぽど大事じゃない!」
大事じゃない。いや、本当に大事じゃない。早くラブレター事件を解決したい。
「あはははっ、なに? えりちゃんそんなことが気になるの?」
「だ、だって……」
「それなら教えてあげる」
「ちょ、ちょっとひとみ先輩! 変に脚色しないで下さいよ!」
「城野君はね――」
「男子高校生の欲望全開で私のことを保健室まで運びました」
まる。語尾にきちんとかわいらしく句読点をつけてくれた。さすがひとみ先輩。
「なっ!」
固まる新田原。とりあえず言っておくけど、不可抗力はあったにせよ欲望は全開ではなかった。というか、あの衆人観衆の中で欲望を全開できたらそいつは神だ。
「ひ、ひとみ先輩に何したのよ! この毒舌変態写真部員!」
「な、なんもしてねーよ」
「うそっ! 今、言い淀んだ!」
「たまには言い淀むことくらいあるだろ!」
「まぁまぁ、二人とも」
「どうして、冷静に仲裁に入っているんですか! だ、だってこんなやつに……!」
「男子高校生はそういうものよ」
いえ、違います。もっと色んな意味で健全で、他人の目を気にするチキンです。
「っく! 二度と私のこと見るな! この変態!」
「誰もお前にだけは欲情しねーよ、バーカ」
「ばかはお前だ! バーカ! バーカ! バーカ!」
「馬鹿を三回も繰り返すとか、お前小学生か? バーカ!」
「うるさい! バーカ!」
「ど、どうしよう……私別に気にしてないんだけどなー……」
十分後、馬鹿を言いあい(僕は二百二十五回、新田原は三百七回)息も絶え絶えになった僕と新田原はとりあえず、探偵のまねごとを始めることにした。言うまでもなく、僕は助手役だ。
「とにかく! この事件はひとみ先輩ラブレター事件と名付けるとして――」
「なんで毎回事件名付けるんだよ」
「探偵らしく事件を解決するために決まってるでしょ!」
「…………」
もう、反論するのも面倒だ。好きにさせよう。
「解決するべき内容は、竹之内先輩が告白してひとみ先輩がそいつをふる。これでいいですね?」
「うん。お願いね、えりちゃん」
「えっ? まだ会ってもないのにふるつもりなんですか?」
「だって、好きな人いるし」
「そ、そうですか」
ひとみ先輩は美人だ。好きな人がいるなら、きっとそいつがひとみ先輩の彼氏になるのだろう。気になったが、これ以上訊くのは自重しておいた。
「それより気になったんですけど、竹之内先輩のことふるつもりならわざわざ会う必要はないんじゃないんですか?」
「城野君はわかってないなー。ちゃんとふってあげないと、その人は次の恋に進めないでしょ?」
「そんなもんですかね?」
「そうよ。ねぇ、えりちゃん?」
「そうよ。あんたって意外と子供?」
「体が子供の奴に子供って言われても不思議と傷つかないな」
「悪かったわね! お子様体型で!」
「ついに認めたか」
「認めてない!」
普通の青春を送れない僕は恋なんて知らない。それどころか友情も知らない。だから、次の恋なんてわからないし、最初の恋さえ知らない。
「とりあえず、その竹之内先輩のこと調べますか?」
「そうね。どうしよっか、えりちゃん?」
「そうですね……写真部の三年生の先輩方は竹之内先輩のことは知らないんですか?」
「あっ、昨日たまたま部長に会ったとき訊いてみましたけど知らないそうです」
「そっか……」
いきなり行き詰る。
「とりあえず職員室で訊いてみますか?」
「そうね。でも、教えてくれるかしら?」
最近の高校は個人情報にやたらうるさい。下手な訊き方をすれば教えてくれないかもしれない。
「私にまかせてください! ひとみ先輩!」
「何か方法があるの?」
「探偵は口八丁です!」
新田原は脂肪のない胸を張った。探偵は口八丁って……
「ひとみ先輩はここで待ってて下さい! 行くよ助手!」
「結局、僕は助手なんだな」
抵抗するのも面倒くさくなって、大人しく部室を出て新田原についていく。
職員室の前に辿り着くと、職員室の扉に貼ってある先生の座席表を見て、三年五組の担任の名前と座席の位置を確認。中に入り、三年五組の担任――笹倉先生に話しかける。
「あの~、ちょっといいですか~笹倉先生?」
寒気がした。いや、確かに職員室は冷房がガンガンだったが、それとは違う寒さだ。新田原が出した猫なで声は僕は恐ろしいまでの寒気を感じた。
「ん? 私に何か用か?」
ザ・中年オヤジといった感じの笹倉先生は、猫なで声の新田原に顔を向ける。その鼻の下は思いっきり伸びていた。
「三年五組の先輩に~、竹之内っていう方がいると思うんですけど~先生知ってますか?」
新田原の放った冷気が僕に襲いかかる。本格的に寒気がしてきた。つーか、新田原の奴なにさりげなく太ももを笹倉先生の右手に触れさせてるんだよ。つーか、いつの間にスカーフ緩めたんだよ。つーか、何胸元見せつけてるんだよ。脂肪ないだろ。それにさらに鼻伸ばしてるんじゃねーよ! クソロリコン教師!
「竹之内……? そんなやつは五組にはいないぞ?」
「えっ? 本当ですか?」
ようやく地にもどる新田原。身を乗り出した新田原のスカートがいい感じにめくれる。それを脳裏に焼き付けるように、カッと目を見開く笹倉先生。笹倉先生を「先生」と呼称するのがきつくなってきた。
「本当ですか?
「あぁ。これでも担任なのでな」
「わかりました……お手間をおかけしました~先生~」
再び猫なで声にもどる新田原。もう、新田原寒気には慣れた。僕の耳は南極調査隊ばりの防寒装備だ。
「いやいや、また何かあれば来なさい」
何かって……お前のナニかのネタにするためにまた来いってことか?
「は~い。失礼します~」
新田原は最後も猫なで声で締めくくると、先生から離れ、職員室の出入り口へ向かう。僕も一応会釈して笹倉先生の前から立ち去る――しかし、僕のことは視界に入っていないらしく、一瞥もくれなかった。クソが。
僕たちは職員室を出て、扉を閉めた。すると、新田原がいつもの調子にもどる。
「マジでキモイ。あのロリコンクソ教師」
新田原が緩めていたスカーフを直しながら吐き捨てる。
「いや、お前の猫なで声もなかなか寒気がしたぞ」
「あいつに比べればまし」
「どっちもどっち――いや、あいつのほうがきもいな」
「でしょ?」
(新田原と初めて意見が一致したかもな……)
スカーフをいつも通りきつく結んだ新田原は、いつもより故意に短くしていたスカート丈も直し、部室へ戻っていく。僕はその後を追いかける。
「でも、竹之内先輩が三年五組にいないなんて……」
「本当は違うクラスだけど、わざと三年五組って書いたんじゃないのか?」
「なんでそんなことする必要があるのよ?」
「そうだな……」
確かにそんなことする意味はない。告白をするつもりで、自分のことを知ってもらいたいならなおさらだ。
「それならそもそもあの手紙はラブレターじゃないとか?」
「そんなわけない。手紙に『私のこの気持はこうすることでしかおさまらなかった』って書いてあったじゃない。それに、男が今時メールやLINEじゃなくて女子に手紙を書く理由なんてラブレター以外にある?」
そう言われても僕はピンとこなかった。メールアドレスは両手で数えるほどしかスマホには入っていないし、LINEの友達だって上伊田先輩を除く写真部員全員、家族、腐れ縁の中学時代のクラスメイト、それに高校に入ってすぐにノリで連絡先を交換したクラスメイト――計十数人分だ。そして、どちらも自発的に使うことはなく、相手から送られてくるものに返信しているだけだ。
「そもそも僕にそんな質問するなよ。僕は普通の青春が送れない人間なんだぞ」
「何それ? あなた十分青春してるじゃん?」
「どこが?」
「美少女の私と夏休み初日に学校デートしてるところとか」
「小学生と言っても違和感がないお前が、夏休み初日に事件に関係する情報を知るためにロリコン変態クソ野郎を誘惑するところを眺めることが、学校デートなのか?」
「……美少女ってところを否定しなかったのは褒めてあげる」
新田原はこめかみに青筋を浮かべながら言った。
「ワーイ、ウレシイデスヨー、ロリコンクソビッチヒメサマー」
「片言で喜ばないで! そしてクソビッチは撤回して!」
「へいへい」
普段通りの(いや、若干灰汁が強め)のやり取りを、僕は新田原と続けていたが、そんなことはどうでもよかった。
なぜか新田原が僕と学校デートしてると言った瞬間の表情が忘れられずに、僕は一人で混乱していた。
× × × × ×
部室にもどった僕らはひとみ先輩に、竹之内先輩が三年五組には存在していないことを伝えた。
「そっか。それなら竹之内って人は誰なんだろうね?」
「そうですね……おい、新田原。何かわからないのか?」
「さすがにヒントが少なすぎるよ……ただ、仮説ならいくつかある」
「仮説?」
「でも、仮説だから気にしないで」
「そうか……」
送り主が存在しないラブレター。誰が何のために、どうしてひとみ先輩に送ったのか。まったく見当がつかなかった。
「ひとみ先輩、このラブレターはどうやって靴箱に入っていましたか?」
新田原がひとみ先輩に問う。
「えっ? 普通に上履きの上に置かれてたけど?」
「そうですか……」
「どうしてそんなこと訊くんだ?」
「仮説の一つに少し関係するかもと思ったけど……関係ないみたい」
「そうか」
「ねぇ、えりちゃん。ひとつ気になっていたことがあるんだけど……」
「なんですか?」
「この手紙、少し焼けてるよね?」
「焼けてる?」
「紙の色が変色してない?」
ひとみ先輩が四つ折りにされていたラブレターを広げる。折り目で四つに分けられた長方形の一つが他の三つの部分より茶色に近い色に変色していた。
「本当だ……気づかなかった……」
「もしかしたらこれが謎を解くカギになるんじゃないのか?」
「カギどころか、もう事件は解けたも同然よ」
新田原が静かに立ち上がった。
「図書室に行こっか?」
× × × × ×
新田原の後を追って、僕とひとみ先輩は図書室へやってきた。夏休み初日の図書室は誰も利用者がおらず、司書さんも準備室にいるため閑散としていた。
「なぁ、図書室で何がわかるっていうんだよ?」
「まぁ、見ててよ」
新田原は歴代の卒業アルバムが並ぶ本棚の前にやってくると、去年の卒業アルバムを引き抜いた。
「三年五組のところ開いて」
「えっ? あぁ」
僕は新田原から渡されたアルバムを開く。三年五組のページを開くと竹之内先輩の名前とはにかみながら笑う好青年といった印象の顔写真があった。
「これって……」
「そうですひとみ先輩。このラブレターは一年前に竹之内先輩が。当時一年生だったひとみ先輩に送ったものなんです」
「ど、どうして……? い、一年前のラブレターが昨日になって私のところに?」
「はっきり言います。真相はわかりません」
「わからないのかよ、探偵のくせに」
「探偵だからこそわからないこともあるの。とにかく、一年前、竹之内先輩はひとみ先輩にラブレターを書いた。けど、それを渡すことはできず、どこかに隠した。それが最近になって発見されて、ひとみ先輩の靴箱に届けられた」
そんなことあるのだろうか。一年前のラブレターが、昨日になって届いたなんて。
「ねぇ、えりちゃん。その手紙がいたずらってことはないの?」
「可能性としては低いです。紙が焼けてます。紙をここまで焼くのには時間がかかりますし、それにひとみ先輩は誰かにいたずらされるような人じゃないですよ」
誰かにいたずらされるような人じゃない。それに関しては同感だった。
「…………」
ひとみ先輩は押し黙ってしまった。胸中複雑なところがあるのだろう。
「えりちゃん、手紙貸して」
ひとみ先輩が新田原から手紙を受け取る。
「竹之内先輩、今もあなたが私のことを好きかどうかはわかりません。でも、私には好きな人がいます。あなたが私を好きでいたころから――今も好きかもしれないけど、とにかくもう一年も前から好きな人がいます。だから、竹之内先輩の気持ちには応えられません。ごめんなさい」
ひとみ先輩はラブレターを胸にきつく抱きしめながら言った。
それを僕と新田原は、何とも言えない気持ちで見つめた。