六月の雨と上伊田カメラ(前編)
中間テストと梅雨の季節が同時にやってきて、学校全体が憂鬱になる。
僕は相変わらず写真を撮っている。梅雨の時期は被写体が多い。曇天の空も、紫陽花の花も、コンクリート塀の上を元気よく動きまわるカタツムリも、水たまりに落ちる雨粒さえも、全てがこの時期特有の色を生みだす。
そして、それを僕は切り取る。
放課後の校舎は五月とはう異なり恐ろしいほど静かだ。今はテスト前のためほとんどの部活動が停止されている。普段は雨音に混じって聞こえる喧騒も今日ばかりは聞こえない。静寂の中で僕は校舎裏に静かに咲く花々を、肩で傘を抑えながら撮り続けている。
「そういえば、あいつはどうしただろうか?」
約一か月前、スポーツ大会の日。僕に散々ちょっかいをかけてきた小さい探偵(仮)のことをふと思い出した。キーキーとうるさい声でわめき、自己満足で勝手に事件を解決した、同じ一年の他クラスの女子生徒。
「まぁ、どうでもいいか」
スポーツ大会の後、一度だけ会話をする機会はあったものの、それ以後は顔を合わせても特に会話も生まれなかった。
「それが正しいんだけどな」
シャッターを切りながらつぶやく。僕は自分が普通の高校生活を送れないことを自覚している。それなのに、童顔ながら一応はかわいい部類に入る新田原と和気あいあいと談笑するなんて――あり得ない。その一言に尽きる。
「はぁ」
「どうしたの、溜息なんてついて」
顔を上げると僕の目の前に突然ピンクのラインが入ったビニール傘が躍った。
「誰かと思ったらひとみ先輩ですか……」
「私じゃいけなかった?」
「いえ、別に」
僕が再びカメラに視線を戻すと、ひとみ先輩はクスッと笑った。
油須原ひとみ先輩は僕の所属する写真部の先輩だ。学年は二年で一つ上。身長は女子にしては高く百七十センチ近くある。黒く長いストレートの髪は梅雨時の湿気を含んで艶めかしく輝き、きっちりきこなした制服から伸びる細く長い脚は黒いタイツで覆われている。普段は凛としつつも、誰にでもフレンドリーで裏表のない性格から非常に人気が高い。そして、理系教科で学年ナンバー2に入るなど勉強もできる。要するに、ひとみ先輩は僕が同じ写真部に所属しなければ一生関わることのなかった先輩だ。
「何を撮っていたの?」
「知らない花ですよ」
僕は自分の足元に咲く、青色の花にカメラのレンズを向けながら素っ気なく言う。
「ツユクサって言うんだよ、この花」
足元にひっそりと咲く青い花を見つめながらひとみ先輩は言う。
「へぇー」
「きれいだよねツユクサって。私もカメラ持ってくればよかったかな?」
「写真くらい後であげますよ」
「わかってないなー、城野君は。自分で撮った写真だから味があるんでしょ」
「……まぁ、そうですけど」
写真を撮る者にしかわからないことだが、自分で撮った写真と他人が撮った写真はそれとはっきり分かる違いがあるのだ。だから、自分の切り取った被写体しか信用しないというようなひとみ先輩のような人もいる。
「そもそも写真をあげようなんて考えはもっとうまくなってからにしようね、城野君」
「…………」
ひとみ先輩のいたずらが成功した時のような笑みに僕は無言でしか対応できなかった。現在写真部の部員は五人いる。最も腕が立つのが二年生の先輩でその次がひとみ先輩だ。写真をライフワークにしているにも関わらず、うまさで言えば僕は部内で三番目、つまりちょうど真ん中に当たる。ちなみに、下手なのは三年生の先輩二人でそのうち一人は幽霊部員だ。
「反論できない?」
「先輩にいい顔させてるだけですよ」
「じゃ、そういう風に受け取っておこうかな」
先輩は小さな顔いっぱいに楽しそうな笑みを浮かべる。
「それで、何か用ですか?」
「やっぱりわかる?」
「当たり前ですよ。先輩が何の用もなく僕の元へ来ることなんてこの二カ月の間でなかったんですから」
ひとみ先輩は写真部で唯一の後輩である僕を体育会系的な意味で可愛がってくれる。部の仕事を押し付けたり、購買におつかいに行かせたり、消耗品の補充をさせたりと何かと仕事を押しつける。他の先輩たちが忙しいまたは不在の中、唯一といっていいほどちゃんと部活動をしているひとみ先輩と僕の関係は仕事の命令と行動によって成り立っている。よってひとみ先輩が用もなく僕の元へ来ることなんてありえないのだ。
「じゃあ、要件を言うわね」
「どうぞ」
「上伊田先輩のカメラが部室にあるの」
「はぁ?」