毒舌写真部員と小さな探偵(後編)
新田原に撮影した写真を見る方法を教えると、彼女は自分が目当てとしている写真を猛烈な勢いで探し始めた。
「なんの写真が見たいんだ?」
「うるさい」
新田原は僕の問いを一蹴した。先ほど散々毒を吐かれたことに腹がったのだろう。
ちなみに、僕の素は大体あんな感じだ。新田原がいじりがいがありそうだと思って毒を吐いたわけではない。
「あっ、あった」
新田原が声を上げる。気になったのでディスプレイに表示されている写真を覗いてみる。するとそこに写っていたのはサッカーボールを蹴ろうとしている一人の男子生徒の姿だ。蛍光色の黄色のスパイクに、膝まであるソックスはすね当てを入れているせいか少し膨らんでいる。おそらく経験者かサッカー部に所属しているのだろう。鋭い目つきでグラウンドを見つめていて、ボールなど一斉見てはいなかった。
「その写真がどうかしたのか?」
「あなたには関係ない」
「関係ないはずないだろう? 写真見せたんだし」
「私が頼んであなたがいいって言ったから見てるんじゃない。問題ある?」
新田原はカメラを僕に押し付け、立ち去ろうとする。確かに何も問題はない。僕が許可したのだから。ただ、わざわざ屋上まで写真を見に来た理由が気になった。
「なぁ、この写真さ」
先ほどと同じように足止めを食らった新田原は心底嫌そうな顔で振り返る。
「校内で販売するんだよ?」
「えっ?」
「新田原も僕と同じ一年だから知らないだろうけど、この学校で行われる行事なんかは写真部が撮った写真を販売するんだよ」
そして、それを写真部の部費として回す。写真部発足当時からの伝統らしい。この情報は先輩からの片聴きだ。
「そ、それで?」
新田原は焦りを顔に浮かべる。
「その表情をするってことはわかってんだろ? この写真は売り物なんだ。しかも、まだ正式に公開されていない」
「料金の代わりに私がどうして写真を見に来たのか教えろってこと?」
「あぁ」
本来なら写真を見るだけならお金はかからない。校内で販売するにしろ、見本を見て買うからだ。しかしそれが未公開のものとなれば話は若干違ってくる。それを新田原も理解したのだろう。仕方ないといった様子で説明を始める。
「私と同じクラスのサッカー部の男子のスパイクが盗まれたの」
「盗まれた?」
「えぇ、それでその盗まれたスパイクがどんなものか確認するため――」
あなたが写真を撮っていると思って。そう新田原は続けた。先ほど屋上ですれ違った時に僕がカメラを持っていたのを見たのだろう。意外と観察眼が鋭いのかもしれない。
「午前中履いていたってことは、盗まれたのは」
「昼休みよ、多分。靴箱を開けたらなかったって」
「そうか」
「もういいでしょ?」
新田原は疲れた顔して屋上へ続く扉に手をかけた。
「待てよ」
「まだ何かあるの?」
「つまり、お前は靴を盗んだ犯人を探しているのか?」
「そうよ」
「ふーん……」
しばらく僕と新田原の間に沈黙が圧し掛かる。友達がいないやつにとって一番いやなことは何か。それは久しぶりに同年代のやつと話した時に不意に訪れるこういった沈黙だ。
だから、僕は無言のまま再びカメラを構えて写真を撮り始める。気がつけば次の試合が始まっていて、今度は女子生徒たちがサッカーボールを蹴り始めていた。ちなみに、サッカーボールサイズの女子がいた。何がサッカーボールサイズなのかは――
「うん、やっぱり巨乳はいいな」
「悪かったわね! 貧乳のお子様体型で!」
そうだ、まだ新田原がいた。失念した。振り向くと、新田原が屋上から出て行くところだった。
「まぁ、いいか」
もう関わることはないだろう。同じクラスでもないし、進級の時にクラス替えがあるがそれだって一年近く先だし、六クラスもあれば同じクラスになる確率はずいぶん低いだろう。
再びカメラに視線を戻す。その後試合が終わるまでレンズが捉えるのは、サッカーボール女子だった。
× × × × ×
空の彼方が赤く染まりだした頃、校庭に生徒たちがぞろぞろと集まりだした。無事にスポーツ大会が終わり、閉会式が行われるのだ。
ちなみに、僕は閉会式に出なくてもいいことになっている。写真部の仕事があるからだ。
「と言っても、ここから写真を撮るだけなんだけどな」
閉会式の写真がいるかと言われれば、正直欲しがる人はあまりいないだろう。需要があるにしてもせいぜい優勝したクラスに優勝旗やトロフィーが渡されるときのものくらいだ。それにそう言った写真は先輩が撮っているはずだ。なので、カメラを一旦下ろす。
強い風が吹いた。僕の癖っ毛が風に弄ばれる。
そのタイミングでもう聞くことはないだろうと思っていた声が聞こえた。
「きゃ!」
その声に導かれるように振り向くと――新田原がいた。新田原は風にスカートが風になびいていた。しかし僕はその中を知っているうえ、かつ男子高校生には需要がなさすぎるそれと知っているので、すぐに視線を眼下に戻す。
新田原は僕がそのシーンを見たことに気付いているかいないのか、勇み足で僕に近づいてきて――
「ちょ、ちょっと! い、今見たでしょ?」
気づいていた。
「お子様向けの下着をか?」
「っ! や、やっぱり見たのねこの変態っ!」
「なぁ、新田原。五歳児の女の子の裸を見て男子高校生がなんて思うかわかるか? 極端なロリコンでない限りは何も感じないはずだ。つまり、僕も今それと同じ状態だ」
「むかつく!」
悔しそうに拳を強く握り歯噛みするその姿はやはり小学生にしか見えなかった。
「で、何の用だよ?」
「えっ? あっ……えっと」
「一応閉会式が終わるまで仕事が残っているんだ。用があるなら早くしてくれ」
生徒が集まり、整列し始めた校庭を眺めて言う。あと、五分もしないうちに閉会式が始まるだろう。簡単な用なら早く済ませてしまいたい。というか、新田原は僕に何の用があるのだろう。
「さっきね、私のクラスのサッカー部の男子の――誉田君のスパイクが盗まれたって言ったでしょ?」
「あぁ、言ったな」
誉田君という名前なのは今聞いたけど。
「でもね、スパイクが戻ってきたの」
「へぇ、よかったじゃん」
「しかも、試合前に」
「さらに、よかったな。そのスパイクで試合に出られたんだろ?」
「そうなんだけど……」
新田原は暗い表情を浮かべて、下を向く。
「どうしたんだよ? 全部解決したじゃないか。まさか、それを報告しに来たのか? 別に僕はその誉田君のことなんて心配も何も――」
「そうじゃないの」
「はっ?」
「私にはわからないの」
「わからないってなにが?」
「スパイクを盗んだ犯人がどうしてスパイクを盗んだのか」
「それは普通に考えて――」
誉田君が試合でスパイクを使えなくするため。そう言おうとして気がついた。
それならどうして試合前にスパイクが誉田君の元へ戻ってきたのか。
「でしょ? わからないの。私は探偵なのに」
「探偵……? お前、早めの中二病か?」
「なによ、早めの中二病って! 私は高校一年生よ!」
「あぁ、悪い小学校二年生くらいだと」
「本当っ、あなたってむかつく!」
顔を赤くして叫び終えると、新田原は気をとりなおしてとでもいうように一つ咳払いをする。
「とにかく! 私は犯人がどうしてスパイクを盗んだのか知りたいの! あなたも手伝いなさい!」
「面倒だ」
「即答するな!」
「そんなこと僕には関係ないだろ?」
「あるのよそれが」
新田原はにやりと笑うと、僕に人差し指を突き付けた。
「このスパイク盗難事件を追っていることは誉田君とあなたにしか知られていないのよ」
「ふーん」
「そしたら助手役はあなたしかいないのよ」
「はぁ……」
「何よその薄い反応」
「だって、どうでもいいし」
「よくない! 私が知りたいから真実を探すの!」
「一人で探せよ」
「助手がいないと探偵は何もできないの!」
「なんだその無能は」
「無能じゃない! 私は中学時代数々の難事件を解決してきたんだから!」
「小学校の七不思議とかか?」
「違う!」
「とにかく僕はそんな面倒なことはやらない。仕事も残っているし。それに、お前が探偵のまねごとをできるとしてもそれは関係ないし」
先生がメガホンのようなもので生徒たちに指示を出している。そろそろ閉会式が始まるのだろう。僕は億劫だというように、今日で一番重い感触のカメラを構えた。
「……あぁ、もうっ! それなら一人でこの事件を解決して私が探偵だってことを証明してあげるわ!」
「勝手にしろ」
「勝手にするよ!」
僕はもう、新田原を見てはいなかった。とりあえず、生徒たちの前に立った校長にピントを合わせ、シャッターを――
「これを見てっ!」
切る瞬間、後ろから固い感触の何かに押されてピントがずれた。
「何すんだよ」
僕は素で怒りをあらわにする。今まで散々冗談めかして毒を吐いていた表情とのギャップに驚いたのか、新田原は一瞬怯えたが、それでもひるまずに話を進める。
「いい? スパイクが盗まれていたとわかったのが十二時五分、戻ってきたのが十三時三十五分よ」
新田原が見せてきたのはファンシーな絵柄の手帳だった。そこにはスパイクが盗まれた時刻と発見された時刻が記されている。
「それがどうしたんだよ? 一人でやってくれよ」
「いいから聞いてよ。どっちにしろ閉会式の写真なんて誰も欲しがらないでしょ」
「そうだけど……」
僕はあきらめてカメラを下ろし、一応、新田原の話を聞く。
「そして、私たちのクラスの男子のサッカーの試合の開始時間は十三時四十五分よ」
「お前がさっき言っていた通り、試合前にはスパイクが戻ってきたってことだな」
「そうよ。そして、ここからが問題」
「どうして犯人は盗んだスパイクを試合前に誉田君に返したのか」
「えぇ」
「誉田君の勘違いってことはないのか?」
「ないわ。誉田君の他にも誉田君の靴箱にスパイクが入っているところを見ている人は何人もいるし、誉田君がスパイクを靴箱に入れるところを見た人もいるそうよ」
あくまで誉田君の証言だけど。新田原が続ける。
「もう、犯人に訊くしかないだろ?」
「犯人が分かっていればあなたを助手にしたりしない」
「助手になった覚えはないぞ」
「とにかく! 盗んだ理由が分かればいいの! 私は犯人探しなんてしたくないし!」
「それ、探偵として言っていいことなのか?」
「いい? ミステリには二つのタイプがあるの」
新田原がいきなりミステリの話を始める。
「まず一つがWHODUNIT。これは犯人を探すタイプのもので、もう一つがWHYDUNIT。どうして事件を起こしたかを探すタイプのものよ。私はタイプとしてはWHYDUNITを求める探偵なの」
「へぇー」
ミステリなんて全然知らないから、そうなんだとしか感じない。
「だから、犯人なんて重要じゃないの。私は事件がどうして起きたかが知りたいの」
「そうかよ」
閉会式の様子を見る。校長が話を続けていた。唯一需要がありそうな表彰はまだのようだ。
「でも、情報が足りない」
「そうだろうな。なんだって、誉田君の情報提供しかないんだから」
「ねぇ、あなたはどうしてスパイクが盗まれたと思う?」
「さぁな。誉田君のことを好きな女子が匂いでも嗅ぐために盗んだんじゃないのか?」
「……きもっ」
「そんなこと言うんだったら自分で考えろよ」
「考えてるよ! 考えてわからないかここに来たんじゃない」
「偉そうだなー」
ため息交じりに言うと、校庭では校長の話が終わり、表彰が始まろうとしていた。僕はカメラを構えて、ピントを合わせる。下で先輩が撮っているはずとはいえ、念のためだ。
「うーん……犯人はどうしてスパイクを盗んだのか……」
拍手とともに優勝旗やトロフィーが、スポーツ大会で上位だったクラスに渡されていく。その様子を写真に収める。記念品を受け取る生徒達はみんな青春という満足そうな表情を浮かべていた。
「そもそも誉田君があのスパイクにこだわった理由は……」
表彰が終わる。それと同時にカメラを下ろし、新田原を見ると答えを見つけた顔をしていた。
「わかった!」
「そうか、よかったな」
「ちょっと、カメラ貸して」
「なんでだよ?」
「いいから!」
有無を言わせぬ口調に僕は思わずカメラを手渡してしまう。新田原はカメラを受け取ると、写真を探し始めた。しばらくして、お目当ての写真が見つかったのか新田原はにやりと笑って僕のほうを見た。
「わかったの。犯人がスパイクを盗んだ理由が」
新田原が意気揚々にカメラに表示され写真を見せてくる。そこには誉田君ではない男子生徒が蛍光色の黄色のスパイクを履いている姿があった。
「こいつがスパイクを盗んで履いているのか?」
「えぇ、そうよ」
「でも、なんで?」
「それは誉田君が、スパイクがなくなったときに私に言っていた理由と同じよ」
「そのスパイクを履かないと思ったようなプレイができないから」
「…………」
「ここからは推測の範囲だけど、犯人は誉田君と同じスパイクで今日のスポーツ大会に臨むつもりだった。でも、スパイクを家に忘れてきてしまった。困った犯人は誉田君のスパイクを借りて試合に出場。試合が終わった後に誉田君の靴箱に戻した」
犯人と思しき男子生徒が写っている写真を見ると撮った時刻は十三時十五分となっていた。誉田君のスパイクが盗まれた時刻が十二時五分、スパイクが戻っていたのが十三時三十五分だから理論的な間違いはない。
「見たところ犯人の男子生徒もサッカー部員みたいだしね。ほら見て、しっかりソックスを履いてすね当てもしてる」
犯人をみると、確かにサッカー部らしい。
「犯人は誉田君がサッカー部でこのスパイクを使っていることを知っていて、ちょっと借りるつもりで誉田君のスパイクを盗んだの」
「犯人からしたら盗むつもりはなかっただろうから、盗んだっていうのはどうかと思うけどな」
「うるさいっ、そう言わないと事件っぽくないでしょ!」
事件であることが重要なのかよ。
「とにかく! 事件の真相は明かしたよ! どう? 私が探偵だってことがわかった?」
「お子様探偵だということはわかった」
「また、人のことをそうやって……!」
「とにかく事件は解決したんだろ? じゃ、僕は写真部の先輩に写真のデータを届けにいくから」
「ま、待ちなさいよ!」
キャーキャー騒ぐ新田原を無視して、屋上を出る。
「わかんねーな……」
サッカーをやるのにそこまでスパイクが重要なのか。頭でわかっていても、もっと奥のほうが理解してくれなかった。
言いたいことはわかる。サッカー部員にとって足に馴染んだスパイクがないということは死活問題なのだろう。写真で例えるなら、普段使っている一眼レフではなくガラケーの写真機能で一眼レフと同じ写真を撮れと言われているようなものだろう。そんなことは分かっている。でも、もっと理解できないことがある。
「なんで、たかがスポーツ大会に本気になってるんだよ……」
そう、これは別にサッカーの公式戦でもなんでもない。別に自分が持っている靴でもいいだろう。それなのにどうして本気になれるのか……
「わかんねーな」
僕は降り始めた階段に毒にもならない言葉を吐き捨て、溜息をついた。
僕に普通の高校生活は、青春は送れそうにもない。