あたし、探偵がやりたい(後編)
体育館が戸惑うまま新田原はこの事件に迫る。
「選挙管理委員会さん、投票用紙の枚数に間違いはなに?」
『はい。間違いありません』
「それじゃクラスごとの枚数は?」
『……確認してみます』
投票用紙は無記名で丸を付ける以外はできない。しかし、クラスごとに枚数を集計するため学年とクラスの記載はある。
『……確認終わりました。全てのクラスで不一致でした……』
会場がざわめく。
『説明させていただきます。各クラスには学年とクラスが記載された投票用紙を配布しています。例えば一年一組は本日の出席が三十五人なので三十五枚配布しています。しかし、こちらの手元には三十三枚しかありません。また、一年二組は出席者が三十四名なのに対し、三十五枚の投票用紙があります』
「なんだよそれ」
司会の声を遮ったのは沓尾だった。
「お前らがどうせ配り間違えたんだろ? もう生徒会長が決まったっていうのにいつまでこんなことやってるんだよ」
『確かにその可能性は否定できません。我々も人間です。しかし、全クラスで二~五枚ほどのゆらぎがあるのです』
「クラスごとにわけないで一気に配ったからだろ?」
沓尾の主張はこうだ。本来一年一組には一組の投票用紙、一年二組には二組の投票用紙と束で配るところを一年一組から三年六組まで一つの束で分けたということだ。確かにそれなら今回のケースは想定されるが――
『それはありえません。そうした場合は三年六組の投票用紙が極端に少なくなるはずです。そもそも一年一組の投票用紙が三十五人出席なのに三十三枚しかないのがおかしいです』
その通りだ。その理屈は通じない。
「そうかよ……どうでもいいけど早く終わらせてくれよ」
「沓尾先輩」
新田原が沓尾に声をかける。
「なんだよ負けロリ」
「なによ負けロリって!」
「生徒会選挙に負けたロリ」
「そのまんまじゃない!」
新田原が地団駄を踏む。
「とにかく沓尾先輩。あなた本当に生徒会長になりたいんですか?」
「なに?」
「だって、みんながこの結果に不満を持っているんですよ? みんなことを考えるのならそんな態度はとれないと思います」
「はぁ? 何をいっているんだか……俺が勝ったんだ。俺が生徒会長に相応しい。それが全校生徒の総意なんだ。俺の意思より生徒の意思だろう」
「その意思が選挙の結果に疑いの目を向けているんですよ?」
「だからどうしたんだよ? 俺が生徒会長になったそれの何がおかしい」
「おかしいと思うことはすべて解き明かすべきです」
「ふん。探偵ごっこをやりたがる奴らしい言い分だな」
「そうですね。私は探偵がしたいです。生徒会長になっても」
「だから俺が生徒会長になったんだって」
「なってません」
新田原が断言する。
「それに沓尾先輩が生徒会長になったところで誰もあなたのやることに賛同しませんよ?」
「別にそれでいいよ。俺が欲しいのは生徒会長っていう肩書と推薦だ」
北清瀬高校の生徒会にはとある有名私立大学への推薦枠がある。生徒会長になればその推薦を得られるというわけではないが、そもそも生徒会に入らなければ手にできないものだ。
「そんな不純な動機で生徒会長になろうとしているんですね……」
「もちろんそれだけじゃない。全生徒会長にもお願いされたからな。それよりお前はどうなんだ?」
「あたし?」
「なんで生徒会長になりたい?」
「それは……みんなの手助けをしたいから」
「違うだろ。探偵ごっこしたいからだろ? 生徒会長がなんでも解決してくれるっていう噂でも立てて自分が楽しために」
違うか? 沓尾が問う。
「……半分はそうだよ。あってるよ。私は生徒会長としての地位が欲しい。生徒会長になれば多くの事件を見れる、解決できる機会が増えると思うから。でも、それなら生徒会長じゃなくてもいいんだ。本当の理由は」
私が傷つけた人に胸を張りたいから。
「なんだそれ?」
「あたしがこれまで探偵をすることで傷つけた人はたくさんいる。その人たちはきっと“あたしなんかに”傷つけられって思ってる。それを“あんなにすごい奴に傷つけられた”って誇れるようになってほしい。それが理由」
「ふーん……」
沓尾は興味がないというような態度をとった。
「さぁ、それじゃ後半戦行こうか」
新田原が事件を紐解きにかかる。
× × × × ×
新田原によって投票用紙がおかしいことはわかった。それは全校生徒に伝わっている。しかし、肝心の投票結果がなぜおかしいかはわかっていない。
「ねぇ、助手」
「なんだよ探偵」
「どうして投票用紙がクラスの出席数と合わないと思う?」
「…………」
なぜ合わないんだろう。確かに全校生徒のほとんどがこの選挙に出席し、投票用紙に丸を付け、それをクラス委員が集め、前の投票箱に代表で入れた。それを選挙管理委員会が取り出して集計。何もおかしなことはない。
「シュレーディンガーの猫」
「は?」
「知ってるでしょ?」
「当たり前だ」
箱の中に猫と毒薬を入れて生きているか死んでいるか当てる実験。箱を開けるまでは猫が生きているか死んでいるか誰にもわからない。確かそんな感じのものだったはずだ。
「シュレーディンガーの猫で常に猫を生かしたい場合はどうすると思う?」
「はぁ? あれって箱開けたら猫は死んでるもんだろ?」
「そうじゃない! 毒薬と一緒に猫を入れても生きた猫を取り出す方法よ!」
「……毒薬を偽物にするとか?」
「……つまんない回答」
「なめてんのか? 胸部岸壁探偵?」
「みんなの前で貧乳ネタはやめなさい!」
叫んだ新田原が咳ばらいを一つ。仕切りなおす。
「最初から生きている猫を箱に入れておけばいいんだよ」
「それじゃ毒薬で死ぬだろ?」
「ううん、死なないよ。箱が二重構造なら」
「……まさか」
僕の視線は投票箱に向けられる。
「うん。やってみる価値はあると思う」
新田原が投票箱に歩み寄る。
「選挙管理委員会さん、カメラこっちに向けてもらえる?」
『わかりました』
選挙管理委員会が新田原と投票用紙にプロジェクターに接続されたカメラを向ける。
「みんなー! ちゅうーもく!」
新田原がぴょこぴょこ跳ねながら注目を集める。
「今からあたしがこの事件を解決します!」
ざわざわ。期待と不安。
「選挙管理委員会さん、この投票箱はいま空っぽですよね?」
『はい。間違いありません』
選挙管理委員会に確認をとり。新田原も投票箱の取り出し口に手を入れなにも入っていないことをアピールする。
「それじゃ、ここにあたしの――まぁ、これでいいか――生徒手帳を入れます」
新田原が投票箱の入り口に生徒手帳を入れる。
「取り出すよ」
新田原が再び投票箱の取り出し口に手を入れるが――
「あれ? 出てこないですね?」
新田原がそこそこ重たい投票箱を持ち上げて取り出し口を下に何回か振るが結果は同じだった。
「あたしの生徒手帳はどこに行ったでしょう?」
その一言でほとんどの生徒がわかった。
投票箱は二重構造で――
不正選挙が行われたことが。
× × × × ×
感心と不正が暴かれたことに対する賞賛の声があちらこちらから上がる。
「選挙管理委員会さん。この投票箱って上の蓋開きますよね?」
『はい。大丈夫です』
選挙管理委員会の生徒がやってきて、投票箱の上の蓋を開ける。すると、取り出し口につながらないように板が挟まれそこに投票用紙がたまっているのが見えた。それをカメラに移し。プロジェクターを通じて生徒たちに見せる。
『……信じられないことですが、不正が明らかになりました』
司会が静かに告げる。
『おそらく先ほど数えていたのはあらかじめ用意されていた投票用紙でしょう……』
「あっ、あたしの生徒手帳返してね」
新田原がひょいっと投票箱の中から自分の生徒手帳を回収する。
『生徒の皆さん。今から投票結果を再度確認します。大変申し訳ないですが少々お待ちください』
選挙管理委員会があわただしく投票用紙を数え始める。
「まだ事件は解決してない?」
僕が聞くと新田原が困った顔をした。
周りの声に耳を澄ませる。
「結局誰があんなことをやったんだ?」「俺たちの新田原が勝つからいいだろ?」「けど犯人気になるじゃん?」「そもそも沓尾を生徒会長にするとか誰得だよ」「それな」
どうやら多くの生徒たちは犯人が誰か気になるようだ。
「……犯人まで捜すのか?」
「…………」
新田原は前回の事件で完全に娯楽のための探偵の道を選んだ。それを覆して誰かを傷つけることを選ぶのだろうか。
「……城野はどうすればいいと思う?」
そんな風に新田原に名前を呼ばれるのはいつ以来だろうか? もしかしたら初めてかもしれない。
僕は、なんていえばいいかわからずに結局目をそらすことしかできない。
新田原にこの事件を解決しろといったあの時の勇気は、結局どこかに霧散してしまう。新田原が生徒会長になるのを――見たくなくはないはずだ。それなのにこの小さな背中が選ぶことに背中を押せない。
「……ねぇ、教えてよ。助手でしょ?」
「お前は……また傷つけていいのか?」
「傷つくと思うよ。こんな全校生徒の前で犯人だって晒上げて。でもさ、きっとそれをしなくちゃあたしは――」
生徒会長になれない。
「だからさ、見ててよ」
新田原は踏み出した。
× × × × ×
新田原が再び壇上に上がる。生徒の視線は自然と新田原に集まる。
「みんな……こんなことをした犯人気になるよね?」
不安そうな表情で新田原が訪ねる。
それに賛成する声が上がる。無言の圧力が新田原に襲い掛かる。
「まず、こんなことをする人は――」
新田原の目が沓尾に向けられる。
「はぁ? 俺はやってない」
当然体育館から疑念の目が向けられる。
「確かにそう思うかもしれない。でも、沓尾先輩が犯人のわけないの」
「だよな? 俺がするわけないよな? なんたって生徒会選挙に出るような人材だからな」
「……そんな態度でしたらあなたを無理やりにでも犯人にしますよ?」
新田原は密かに沓尾に苛立ちを覚えていたらしい。確かにこのむさくるしい男が先ほどまでとっていた態度はむかつく。
「あっそ」
沓尾はつまらなさそうにそっぽを向いた。まだ正式開票前とはいえ生徒会長になれない可能性が高い沓尾がそんな顔をするのはある意味当たり前だった。
「単純ですよ。沓尾先輩は生徒会長になれると信じて疑わなかった」
そうでしょう? 新田原が問う。
「そうだな」
沓尾は当たり前だというように頷いた。
確かにこれまでの態度を見ても選挙に勝って当たり前という様子だった。前生徒会長に後任を頼むと言われ、書記として生徒会も経験している。これで生徒会長になれないという方がおかしい。
「下馬評だってロクに信じていなかったでしょう?」
「当たり前だ。あんなの新聞部の連中が選挙を盛り上げるためにたかだか数十人に聞いただけだろ?」
確かに下馬評は別に全校生徒にアンケートをとったわけではない。ただ新聞部が適当に捕まえた何十人かの生徒にこたえてもらっただけだ。信頼性はそこまで高くない。
「だから沓尾先輩は犯人ではありません。生徒会長になれるとわかっている人がこんなことやる必要がありません」
新田原がおそらくもっとも疑われたであろう人物の無実を単純な感情問題で処理した。理屈は通っているし、実際沓尾が犯人という可能性は低そうだ。
「それじゃ誰が犯人なんだ?」
俺が問うと新田原が饒舌に語りだす。
「犯人の動機はこうじゃない? 沓尾を生徒会長にしたいじゃなくてあたしを生徒会長にさせたくない」
その言葉に体育館がぴりっとした緊張感に帯びる。
「だってそっちの方が自然でしょう?」
「そうだな……」
新田原はこれまで探偵としてきっと様々な人を傷つけた。少なくとも俺は新田原が事件を解決することで人を傷つけた瞬間を見たことはない。当たり前だ。新田原は北清高校に入学してからそんな事件は解決していないのだから。
サッカーのスパイク、カメラ、ラブレターの秘密。飲酒写真のコラ、後夜祭に出なかったバンドの理由。きっと誰も傷つかなかった。ただわかっただけだ。それ以上のことはない。でも、新田原はこれまでに何人もいらない真実を解き明かして、明るみだして、傷つけてしまった。
きっと新田原に恨みを持ってる人はいる。
「……きっとあたしが嫌いな人はたくさんいると思う。だから、その人が犯人じゃないのかな?」
寂しそうに笑う。そんな新田原に僕は何も言えない。
「ほとんどの人は知らないと思うけど、あたし探偵やってるの。探偵ってなに? って話だよね? 要するに他人の事情に首つっこんで色々言って調べて……知らなければ傷つくこともなかった人たちをたくさん傷つけたの。だから……恨まれても仕方ないよね……」
ほとんどの生徒は新田原が何を言っているんだろうと思っているだろう。
でも違う。そうじゃない。
「それじゃ、犯人探しに――」
「……待って!」
絞り出すように上げた声が体育館に響いた。
声の主に視線が集まる。
おさげに眼鏡の大人しそうな女子。
それは新田原の応援をしていた推薦者の――今川いずみだった。
「私が……やったの……」
「いずみちゃん……?」
二人は無言で見つめあう。
静寂が支配する。
「えりちゃんは知ってるでしょ? 私が前生徒会長の……その…彼女だってこと……」
「…………」
「頼まれたの。彼に。沓尾を勝たせたいから沓尾の邪魔をしろって。だ、だから推薦者になって……邪魔しようとしたの……」
「そんな……」
新田原の表情は――
(まさか……)
新田原を庇っている?
「私が犯人……です……」
今川がそういうと体育館からこんな声が上がる。
「確かにあいつ前の生徒会長と付き合ってたよな」「ということは……本当に犯人?」「そんなことする奴には見えないけどな……」
壇上の新田原を見る。
「……ねぇ、いずみ先輩」
「……えりちゃん」
「後悔、してませんか?」
きっとそれはこんな不正をしたことじゃない。俺にはわかる。けど、俺以外にそれに気づいている人はいない。
「うん……」
「……犯人が自白しました」
その新田原の一言で事件はあっけなく解決した。
× × × × ×
『投票結果を発表します。選挙の結果沓尾明さん百二票、新田原えりさん五百三十五票。よって新田原えりさんが新生徒会長です』
× × × × ×