あたし、探偵がやりたい(前編)
十一月二十一日の朝。
北清瀬高校はいつもと同じで……少しだけ違っていた。
「沓尾明! 沓尾に清き一票をお願いします!」
二人の男子が校門の前に立って頭を下げる。それを頑張れーと応援して去っていく人と、何も言わずに去っていく人。それを追いかけるように色づいた葉が風に飛ばされていく。
「生徒会選挙か……」
春から怒涛の勢いで続いてきた北清瀬高校の年内最後のイベント。それが明日に控えた生徒会選挙だ。
とは言ってもフィクションのように派手な選挙ではない。生徒会長を一人決めてあとは当選者が任命形式でその他の役員を決める。見ていても大して面白くない。そんなものだ。
が、今年は多分違うものになる。
「新田原えりをよろしくお願いします!」
おさげに眼鏡といういかにも大人しそうな女の子(恐らく新田原の推薦者)が顔を赤くしながら新田原への投票を呼び掛ける。
「よろしく! あたしに入れたら学食のメニューにステーキを入れるからね!」
「え、えりちゃん……そ、それは無理だよ……」
「無理かな?」
「無理です……」
そんな二人のやり取りを上級生の女子生徒たちが「なにあれ?」「かわいい~」「インスタ映えする生徒会長」「沓尾とかいうむさくるしい男子よりえりちゃん」と新田原が着実に票を集める様子が窺えた。
校門の左と右。確かに華やかさで言えば新田原サイドに軍配が上がるだろう。沓尾側は別に不細工でもイケメンでもない男子が二人並び必死の形相で表の呼びかけをしている。対して新田原サイドはロリっ子生徒会長と昭和レトロなおさげっ子。インパクトやインスタという意味でも右側の女性陣に惹かれるに決まっている。
「あっ!」
そんなことを考えていたら新田原が僕に気付いた。
「清き一票をお願いしますぅ」
「チッ!」
新田原の馬鹿にしたような投票呼びかけに舌うちで返す。
「なによ! その態度は! 学食に焼き肉はいらないの!?」
「お前さっきステーキって言ってたじゃねーか!」
「どっちも牛肉よ!」
「厚みがちげーだろ!」
「残念でした! この公約を実現できてもステーキの厚さは焼き肉なみよ!」
「……自分の胸の厚さを意識してんのか?」
「ここで貧乳ネタはやめなさい!」
そんなくだらないやり取りに周りは「貧乳生徒会長とか草」「生徒会に一存なんだよな~」「公約実現のために自分の胸の肉をステーキ用に用意してるにゼロペリカ」「日本ロリみを感じる生徒会長選手権堂々第一位の胸肉を使用した特選サーロインステーキ」といかにもネットに浸かってる男子からの反応が上がる。てか、何だよ胸肉を使用したサーロインステーキって? サーロインは胸じゃないぞ?
「あー! もう! 外野もうるさい!」
「お、落ち着いてえりちゃん……」
「いい! あんたたち! あたしに投票しないとその無駄肉ステーキにするんだから!」
(なんだよそのツンデレ……)
しかし、新田原のいう外野たちはそのツンデレに満足したような表情で去っていった。
「バブみも頼む……新生徒会長……」
おい、最後尾のお前。あいつにバブみを期待するのは早すぎる。こいつは母性を忘れた存在だ。
「ちょっと! 邪魔だからどっか行って!」
「へいへい」
僕は新田原に追い出されるように校内へ。前評判も上々だしこれは新田原で決まりだなと周囲の雰囲気が伝えていた。
× × × × ×
放課後。新田原の選挙活動の声を聞きながら、僕は写真部の部室でひとみ先輩に去年の生徒会選挙について聞いていた。
「去年は立候補が一人だったから信任投票で終わったね」
「まぁ、学校の生徒会選挙なんてそんなもんですよね」
実際中学の生徒会選挙も候補が二人以上いるようなことはなかった。選挙なんて大抵信任投票で形だけ。対立候補がいても始まる前には決まっている。この生徒会選挙も新田原が勝って終わるだろう。
「というか単純に疑問なんですけど、なんで新田原がこんなに人気なんですか?」
新田原は所詮一年生の一生徒でしかない。勉強はそこそこできるが、その他特に目立ったことはしていない。
「インスタで人気だからね」
「陰スタ? なんすかそのアプリ? 陽キャを殺せる奴ですか?」
「うん、殺せないし城野君みたいな陰キャが使うものじゃないよ」
ヒドイ言われようだ。
「ほら見て。えりちゃんはインスタにあげた写真。この学校の有名人がこんなにシェアしてるの」
ひとみ先輩のスマホを除く。そこには俺には限りなく関係のないインスタという世界が広がっていた。
「目が……! 目が……!」
陽キャの世界を見て目がつぶれる現象は陰キャなら誰しもが経験したことがあると思う。むしろ経験しろ。俺のいない文化祭の打ち上げ写真がインスタでバンバン投稿される陰でツイッターに「文化祭ボッチだったんだがwww」とつぶやく僕の気持ちを考えろ。
「はいはい」
それに苦笑いして付き合ってくれるひとみ先輩はやっぱり優しい。
写真は新田原が選挙用のタスキをかけて「選挙頑張ります!」と載せているものだった。それにひとみ先輩や椎田(の野郎)、文化祭の時に色々あったfreuxのメンバーがいいねをしている。どうやら学校内でも注目度の高い人たちにシェアされたおかげでより注目が集まっているようだ。
「インスタで話題になればあとは簡単だよ。えりちゃんは元々可愛いし、探偵なんて面白いことやってるから」
「へー」
高校生が自分の学校の生徒会長に求めることなんて実務より見た目という悲しい事実が分かってしまった。まぁ、実際自分の通っている学校の生徒会長が可愛い(ロリ的な意味で)だったら他校の生徒と話すときに盛り上がりそうだ。もちろん僕にそんな友達はいないが。いないが!
「城野君はえりちゃんに投票するね?」
「さぁ? どうでしょう?」
「もう、いじわるしないの」
「あいつにいじわるした覚えはありませーん」
「手のかかる保育園児みたいなこといわない」
びしっと指を突きつけられてしまったので黙る。なんかひとみ先輩が生徒会長になったほうがいい気がしてきた。色々な生徒のダークサイドも知ってるし。
「知ってる? 北清瀬高校の“裏”生徒会長」
ぎょっとしてひとみ先輩を見るとにこにこ笑っていた。マジでこの人だけは敵に回さないようにしよう。
「城野君はこの選挙、普通に終わると思う?」
「終わってほしいですけどね……」
なんとなく嫌な予感がするのだ。
あの新田原が生徒会選挙に出ると言うことに。
「あいつが壇上で事件を解決するからあんたもこっち来なさい! とか言わないことを願うばかりです……」
「あはははっ、えりちゃんならやりかねないね」
本当にやりかねないから不安なのだ。
「それじゃ休むの?」
生徒会選挙は正式な時間割には組まれていない。抜け出したとしても成績には何にも関係ないだろう。まぁ、担任教師の小言をもらうことになりそうだが……
「見届けますよ」
「城野君ってツンデレ?」
「あいつじゃないんですから勘弁してください」
クスクスと笑うひとみ先輩。
まぁあいつが一番スポットライトを浴びるところを見たいのは本当だ。いい意味でも悪い意味でも。
「応援、してあげようね」
頷いて放課後の気だるい雰囲気に身を任せる。部室はいつの間にか寒くなり、迫りくる冬を足元から伝えていた。
× × × × ×
十一月二十二日、五限目。
全校生徒がぞろぞろと体育館に集まり始める。
僕もその中に混じってかじかむ手をさすりながら、自分のクラスの場所へ。
(始まるのか……)
この半年間。なんだかんだであいつの探偵ごっこに付き合ってきた。それも今日の選挙で新田原が生徒会長になれば終わる。いや、終わらせざるを得ない。生徒会長という仕事は忙しい。きっとくだらない事件を探して解決するなんてできなくなる。
新聞部の調査した下馬評では新田原の予想得票率は八十五%。勝利は確実といっていいだろう。ロリとはいえ、世間一般からすれば可愛い(と定義される)新田原に生徒会長になった欲しい。アニメに毒されたオタク系男子からウェイウェイやってるリア充たちまでみんなそう思っている。誰も沓尾なんてむさくるしい男子生徒会長なんて望んでいない。
生徒を吸い込みきった体育館の喧騒が波を引くように消えていく。
『これから第四十五回北清瀬高等学校の生徒会選挙を開始いたします』
パラパラと拍手が起こる。
『最初に各クラスの代表者は選挙管理委員会に本日出席している生徒を記録した用紙を提出してください』
クラス委員が壇上の前の会議用テーブルに座る選挙管理委員会に出席簿を提出する。
『……確認が終わりました。全校生徒六百五十三人、うち六百三十七人が本日出席しています。全校生徒の八割を超えたためこの選挙は有効です』
クラス委員が各々のクラスに戻っていく。
『続いて生徒会選挙に立候補した沓尾明さん。新田原えりさんに所信表明演説を行ってもらいます』
司会の脇に控えていた沓尾と新田原が壇上に上がる。
「えりちゃーん!」「えりえり頑張れー!」「新田原さんんを生徒会長に!」「新田原!」「新田原勝てー!」「応援してるぞ!」
新田原に対して黄色い声援が飛ぶ。それに新田原が笑顔で手を振ると体育館内は今日の寒さが嘘のように熱気を帯びる。
(こんなの選挙やる意味あるのか?)
もはや沓尾は対抗馬ですらない。ただの見世物だ。いや、置物だ。誰も彼を見ていない。隣にいる小さい新田原の陰に消えてしまっている。
『それでは二年五組沓尾明さんからお願いします』
司会が会場を制する声でようやく新田原への応援を落ち着かせる。そして、一息ついた沓尾が演説をはじめる。
『みなさんこんにちは。二年五組の沓尾明です。私は幼いころから――』
沓尾の演説は要約するとこんな感じだ。私は小さいころからみんなのまとめ役だった。中学校では生徒会副会長を務めた。去年も生徒会で書記として働き実績がある。推薦生徒の現生徒会会長も後任として推している。というものだった。
確かに「普通の」生徒会選挙ではこれを聞けば大抵の人が沓尾を生徒会長として推すだろう。新田原がいなければ――
『ありがとうございました。続いて新田原えりさんお願いします』
マイクが新田原にわたる。
『あー、あー……これ聞こえてます?』
新田原がマイクテストをすると途端に会場が笑いに包まれる。
「大丈夫だよ~」「えりちゃん聞こえてるよ!」「可愛い!」「速報、今年の生徒会選挙に天使現れる」「尊みが尊い」「これがロリみ……!」
『新田原さん。マイクはきちんと入っています。それでは改めてお願いします』
『あっ、はい。えっと……何話そうとしてたんだっけ……?』
再び会場が爆笑に包まれる。
『も、もうっ! そんなに笑わないでください……』
ここで可愛い子アピールが入る。ツッコミを入れたい気持ちをぐっと抑えて、新田原の演説を聞く。
『私が生徒会長になったら――』
新田原が語ったことは普通だった。
私が生徒会長になったらもっとみんなを笑顔にできます。キラキラ輝かせられます。部活動に力を入れられるように、活動資金を集めます。行事をにぎやかにするために準備期間を長くします。購買にプリンを入れます。
そして、みんなが後悔しない青春を送れるように手助けします。
その瞬間、体育館が爆発した。最初、僕にはそれが何かわからなかった。拍手だ。拍手だった。新田原のなんでもない、それどころか少し幼稚な演説に北清瀬高校の生徒たちが盛り上がっている。その事実に鳥肌が立った。
(ただの集団心理だろ……)
周りがやっている。クラスの人気者が応援している。そういったのを見て、雰囲気にのまれて新田原に応援している人は少なくない。頭の中の冷静な部分が冷たく囁く。それでもすごかった。感動した。探偵として人を助けるばかりではなかった新田原が中心にいた。みんなの期待の眼差しを集めていた。
新田原のことは別に好きでも嫌いでもない。むしろ嫌いだ。それでも――それでも――
『新田原さんありがとうございました。それでは投票に移りたいと思います』
選挙管理委員会が一斉に投票用紙を配る。それはとてもシンプルで沓尾と新田原の名前があり、その下の枠に丸をつけるというものだった。
俺は当然右側、新田原の下に丸つける。投票用紙はクラス委員が回収し、前方の投票箱に入れる。
『これより集計を始めます』
その一言で熱気が冷めない体育館は一気に喧騒に包まれる。飛び交う言葉はどれも新田原の当選が確実だというものだった。
壇上を見る。新田原と目が合う。するとあいつは三十メートル先から自信満々な表情で胸を張った。僕はそれにどんな表情をしたらいいかわからなかった。だから、曖昧な笑みを浮かべた。
一方隣の沓尾は葬式状態だった。二年生で、前生徒会長にも後任の太鼓判を押されていたにも関わらず開票前から敗者。そんな彼の気持ちは理解できなかった。
そして結果が発表される。
『開票が終わりました』
音が消える。
『選挙の結果沓尾明さん四百二十三票、新田原えりさん二百十四票で沓尾明さんが新生徒会長に選ばれました。おめでとうございます』
(えっ?)
「ちょっと選管! 間違えてる間違えてる!」「えりちゃんが四百票のほうだろ」「さらっとミスするな」「言い直し!」
『皆さんお静かに』
選挙管理委員会が場を制する。
『投票数はこれであっています。よって沓尾さんが生徒会長です』
感情を感じない声に体育館はパニックになった。
だって新田原は勝っていた。選挙が始まる前から、選挙が始まった瞬間も、開票中も。ただ、最後で負けた開票後に負けた。
至極当たり前の敗北。それを信じられない。僕を含め誰も信じようとしていない。
「どういうことだよ!」「みんなえりちゃんに入れたよ!?」「悲報。新田原えり敗北。沓尾とかいうむさくるしい生徒会長誕生……」「ちゃんと数えたのかよ」
『すみません再度お静かに……この結果に意見のある人は挙手をお願いします』
ざわめきを伴いながら手が上がる。全校生徒の八割が手を挙げる。
『はい。ありがとうございます。それでは生徒会選挙法第四条を適用します。これは投票した生徒の八割が選挙結果に不服を申し出た、またはそれに賛成する挙手をした場合に適用されます』
当たり前だ。そんな声があちらこちらで上がる。
『それでは再度集計いたします。また、その様子はプロジェクターで流します』
選挙管理委員会がプロジェクターを用意し、手元の集計の様子を見せる。
『それでは開始します。一枚目沓尾、二枚目新田原、三枚目沓尾――』
どんどん沓尾の票が積みあがっていく。当たり前だ。新田原より二百票以上集まっているのだから。
『百二十枚目沓尾――』
「もういいだろ」
壇上から沓尾がいう。
「俺は勝ったんだ。これ以上なんの茶番に付き合う必要がある?」
「ふざけるな!」「お前みたいなやつが生徒会長なんて嫌なんだよ!」「ひっこめ!」「なめんなよ!」「黙って見とけ!」
体育館のあちらこちらから罵詈雑言が飛ぶ。
『続けます。沓尾さん、こちらの許可のない発言は控えてください』
「はい」
自信満々にうなずく沓尾に怒りの視線が集まる。
そして票が数え終わる。
『……結果は変わりありません。沓尾明さん四百二十三票、新田原えりさん二百十四票です。よって沓尾さんが新生徒会長です』
体育館は静かな違和感に覆われていた。当たり前だ。途中で結果が分かっていたとしても、納得できるものではない。
『結果に反論がないのならこの選挙は有効とし本年度の生徒会選挙は終わらせていただきますがよろしいでしょうか?』
「待って!」
下を向いたままの新田原が叫ぶ。
「あたしに……調査をさせて……」
『新田原さん……調査すること自体は問題ないのですが……生徒会選挙法第二条で生徒会長候補が異議を申し立てるのは禁止されています』
「そう……」
新田原が涙に濡れた瞳を。
(僕は……)
新田原が助けを求めて僕を見た瞬間――
「異議あり!」
手を挙げた。
『……えっと』
「僕が調査をします。新田原がそれを手伝う。それで問題はないでしょう」
『……生徒会選挙法第二条第一項代理による異議申し立てを認めます。また同時に生徒会選挙法第十二条による選挙管理委員会が認めた選挙管理委員会以外の人物の選挙調査を認めます』
会場がざわめく。その中を、新田原から目を離さず壇上に向かう。
新田原がボロボロ涙をこぼす。
「もう泣くなよ。探偵、するんだろ」
「どうして……」
「北清瀬高校の生徒はお前を生徒会長に望んでいるんだぞ? 応えてやれよ」
「違うの……どうして、どうして……」
「だってお前は探偵で僕は助手だろ?」
それで、それだけでいいだろ?
「よくないよ……」
「そうかもな」
「無理、してない?」
「お前よりは」
手を伸ばそうとして――ひっこめた。探偵は助手の隣に/助手は探偵の隣にいるべきだ。
「……こういう時ってなんていえばいいの?」
「さぁ? 陰キャにはわからない」
「あっそ」
でも、ありがとう。
「それじゃ、事件解決しよっか」