毒舌写真部員と後の祭り(前編)
十月の半ば。そろそろ秋も近いという時期に北清瀬高校で文化祭が行われた。過去形なのはすでに二日間の日程がほとんど終わっているからだ。
さて、文化祭と聞いて一般的な高校生がイメージするのは恐らくリア充の祭典だと思う。もちろん僕の通っている北清瀬高校で行われている「北高祭」も例外ではない。
各クラスのカースト上位が「ウェイウェイ」言いながら焼き鳥を焼き、他校から来場した美男美女と「ウェイウェイ」騒ぎ、おしまい。それが文化祭だ。
そんな中普通の青春を送れない僕は写真部の展示場でだらだらアンケートを集計していた。
「だる……」
北清瀬高校ではクラスの出し物の他に有志の部活動が出し物をする。ただ模擬店の類は一年から三年までのクラスが出しているので出す団体はほとんどない。そうなると体育会系の部活動は出店せずに、普段から作品を作っている文化系の団体の発表が主になる。
しかし文化系はとにかく地味だ。演劇部やら軽音部やらは見世物として派手だが、美術部や文芸部となると地味極まりない。文化祭に「ウェイウェイ」を求めている奴らになんて見向きもされない。それはここ写真部でも同じだ。二日間の写真展示は終始閑古鳥が鳴いていた。
「アンケートも少ないしな……」
写真部は教室を一つ借り、中をパーテーションで区切り写真の展示を行っている。そして展示されている写真の中で良かったものをアンケートに記入してもらう。ただ、この展示を見に来る人が圧倒的に少ないのでアンケート数も少ないのだ。
「集計終わり……」
これで今年の文化祭は終了だ。ちなみに僕はクラスの出し物は手伝わなくていいと言われたのでずっとここで受け付けをしていた。ぼっちはつらい……そもそも文化祭の出し物を手伝わなくていいとか相当嫌われていると思う。いやあそこは居づらいから自分から逃げてきたって面も少なからずある。いやあるはずだ。まぁその分クラスの模擬店をサボれるからいいんだけど。
「さて、アンケートの結果は――」
気を取り直してアンケート結果を見てみる。一番票を集めたのが椎田の写真、次が僅差でひとみ先輩、だいぶ離れて祓川部長、そして雀の涙くらいの票数が僕だ。
「しかしな……」
僕の写真に票をいれた人の感想が「なんかいい」「奇跡の一枚って感じ」となかなか辛辣な意見が書かれていた。まぁ、写真がライフワークな割に腕が追い付いていないことは自覚しているし……票が入っただけでもありがたいんだろう。きっと。
とそんなことを考えていると校内放送が流れてきた。
『みなさん! 北高祭二日目お疲れさまでした! ただいまをもって今年の北高祭は閉幕です!』
実行委員長か誰かのやたらテンションの高い女性の声が校内に響き渡ると後を追うように遠くから拍手の音が聞こえてきた。コミケの閉幕か?
『このあと十五時からは片づけになります! そして十八時からはみなさんお待ちかねの後夜祭です!』
拍手に続いて口笛と「ウェーイ!」も聞こえてきた。さすがリア充の祭典。
『後夜祭は北高ヲタ芸同好会によるパフォーマンス、演劇部による即興劇、そして有志バンド三組による演奏と盛りだくさんの内容でお届けします!』
遠くから再び「ウェーイ!」もういいだろマジで。
『しかし、ここで残念なお知らせです。後夜祭に出場予定だったあの人気ロックバンドfreuxが出場を辞退しました……あたしも楽しみにしていたので残念です……』
校内から「えぇー」という声が一斉に響き渡った。
freuxは北清瀬高校に通う四人の生徒で結成されたインディーズで人気のロックバンドだ。実力もかなりのものでメンバーが高校卒業と同時にメジャーデビューするという噂もある。オリジナルCDも出していて売り上げも上々。北清瀬高校では週に一度はお昼の放送でfreuxの曲が流れるなど、北清瀬高校では名の知れたバンドだ。
「へぇー……」
これには僕もびっくりした。北清瀬高校の生徒なら誰もが一度はfreuxの生演奏を聴きたいと思うのが常識だ。これは僕だって例外じゃない。ライブを開けばチケットが即ソールドアウトする彼らの演奏を確実に聴けるのはこの後夜祭くらい。その貴重な機会が失われれば落胆も大きいだろうし、何よりこれを目当てにしている人も多い。
『えぇーというわけで、今から片づけ開始です! freuxは出ませんけど、この後の後夜祭も盛り上がっていきましょう!』
校内がざわめく中、校内放送をしている女子生徒が放送をやや無理やり終わらせた。
「しかしfreuxが出ないなんて……なにがあったんだ?」
生演奏を聴きたいと思っていた者として気になるところではあるが、まだ展示の片づけが残っている。早く終わらないと後夜祭に行けなくなってしまう。
いそいそと写真を外し、パーテーションを片づけていると――
「事件よ!」
新田原が教室に飛び込んできた。
× × × × ×
恐ろしく低い身長にシュシュで結わえた短めの髪。しっかり巻かれたスカーフとは対照的に短いスカート。制服姿の新田原を見かけるのは久しぶりだと感じたが、よくよく思い出してみると夏休みのあの日以来だった。
「お前、制服着ると本当ッ違法ロリって感じだよな……」
「誰が違法ロリよ! あたしは高校生なんだから制服着るのが当たり前でしょ!」
そもそも冷静に考えれば合法ロリはありえても違法ロリってなんだよ? ロリは無条件で違法だ。
「確かに幼稚園児は制服着るよな……」
「そこっ! 高校と幼稚園は間違えないでしょ!」
「……入園おめでとう?」
「とっくに卒園してるわよ! 幼稚園は!」
と新田原を前にすると自然と出てしまう毒舌の応酬を繰り広げる。久しぶりに会ったのに変わってねーな。主に身長が。
「とにかく! freuxが後夜祭に出ない! これは事件よ! 調査開始!」
「……まぁ、確かにfreuxが後夜祭に気になってはいたけど……」
「ならいいじゃない。ほら、行くわよ」
新田原が僕の袖口を掴み教室から出て行こうとする。
「こっちは片づけが残ってるんだよ」
「それくらいさっさと片付けなさいよ」
「いや、片づけはじまったばっかりだろ? ちょっと待て――」
「大丈夫よ。後は私がやっておくから」
大人びた声と共に現れたのはひとみ先輩だった。新田原と対照的に長い黒髪がさらさらとセーラー服の上を流れている。歩く姿も凜としていて理想的な先輩だった。
「ひとみ先輩……でも――」
「私もがっくんも部長もこっちは全然手伝えなかったからね。いいよ、片づけくらいやっておくから」
確かに写真部の展示活動はこの二日間ほとんど僕一人でやっていた。ひとみ先輩の指示を受けて設営をして、たまに来るお客さんにアンケート用紙を渡し、やたら話しかけてくる地域のおばさんの相手をし……クラスの模擬店企画にはぶられ――もとい自主的に脱出してきたので、ひとみ先輩をはじめとする写真部員より余裕があったのだ。なので写真部の展示に関しての仕事量は僕が絶対的に多い。
「でも……」
「本当に大丈夫だよ? 文化祭だってろくに回ってなかったでしょ? 最後くらい文化祭っぽいことしてきたら?」
「新田原との探偵ごっこが文化祭っぽいことなんですか?」
「ちょっと! 探偵ごっこじゃなくて本気の探偵よ!」
「うるせー! 僕がひとみ先輩と話しているんだ! だいたいなんだよ本気の探偵って!」
「あはは、えりちゃんも城野君も変わらないな」
「そりゃ変わってませんよ。誰かさんの身長は」
「胴じゃなくて足を延ばしてからいいなさい! この短足もじゃ!」
「なんだと……!」
「あー、収拾つかない……とにかく二人とも、行ってきなよ。後でがっくんも部長も来るから大丈夫だよ」
ひとみ先輩が僕をじっと見つめてから微笑む。やっぱりこの先輩には敵わない。
「行くぞ新田原。freuxが後夜祭に出ない理由を突き止める」
「ちょっとそれ私のセリフ!」
どこまでも面倒な奴だと溜息をつきながら僕と新田原は教室を出た。
× × × × ×
リノリウムの廊下を歩きながら新田原は意気揚々に仮説を述べ始めた。
「私の見立てだとfreuxに恨みがある犯人が何か妨害工作をしたはず」
「もっと普通な仮説はないのか……しかもまだ事件って決まったわけじゃないのに……」
「何よ? 文句ある?」
「まぁ、恨みが~ってところは否定しきれないけどな」
なんといってもfreuxだ。軽音部のお遊びバンドとはレベルが違いすぎる。freuxの人気、そしてメンバーの実力に嫉妬をしている奴がいてもおかしくない。
「でしょ? あとは無難にメンバーの誰かが体調不良とか?」
「それでもいいけどそれじゃ事件じゃなくなるぞ?」
「あっ、そっか」
「気づいてなかったのかよこのポンコツ探偵は……」
「き、気づいてるに決まってるでしょ! 馬鹿にしてるの!」
「お前と初めて会ったときかずっと馬鹿にしてるけどな」
「むかつく!」
キーキー騒ぐ新田原を制するように次の言葉を紡ぐ。
「まぁ、それが一番いいけどな。事件なんてない方がいい」
「そうだけど……」
「……結局、お前は探偵を続けることにしたんだよな?」
「うん」
「どこまで決めたんだ?」
新田原は自分が探偵をやるのは娯楽のためだと言った。
誰にも気づかれない場所で、
誰も傷つかないように、
誰にも真実を伝えない探偵。
そんな探偵とは言えない探偵が、新田原がこれまでやってきた探偵だ。そんな探偵の姿を僕は一学期近くで見てきた。
でも、夏休みのあの日。飲酒写真事件という誰も幸せにならなかったであろう、傷をえぐっただけであろう事件を超えて新田原はどんな探偵を選択したのか……
「わからない」
新田原が口にしたのは娯楽のための探偵でも、真実で犯人を傷つけるための探偵でもなかった。
「わからないよ。私は探偵がやりたい。探偵は私のあこがれであんたにとってのカメラみたいなもの。事件があれば解決したいし、真実を見つけて犯人を追いつめて罪なき人を助けるのが正しいと思っている。もちろん探偵は私の最大の娯楽でもあるよ。でも誰かが傷つくのは見たくないし、元からあった傷をえぐりたくないし、誰も幸せにならない終わりは見たくない。それでも私は事件があればどうしようもなく解決したくなるし、解決するのが最高の楽しみなの」
おかしいかな?
新田原の言葉に僕は何も言い返せない。
綺麗なものを見たら写真を撮りたくなる。それは誰もが持つ感覚だ。それに最近ではスマホで簡単に写真が撮れるし、SNSですぐに友達や知らない人に見せることができる。
でもそれは必ずしも人を幸せにすることはない。
自分が綺麗だと思うものを誰かが不快に思うかもしれないし、写真を撮るという行為自体が過去の僕のようにイジメを引き起こすこともある。
写真を撮ることで自分が/他人が傷つくなら誰にも写真を見せなければいい。親しい人だけに見せればいい。なんなら自分だけのものにしてしまえばいい。
簡単な話だ。でも、とてつもなく難しくて答えなんてない話だ。
「だからとりあえず探偵をすることにしたの。やっぱり楽しいしね」
「あぁ……」
新田原の寂しげな笑みに僕は毒を吐くことができなかった。
僕だってそうだ。写真によってイジメられ、腕はまったく上達せず、それでもカメラを手放すことができない。カメラが僕自身なのだ。
きっと新田原も同じ穴の狢なのだろう。だからいつか不器用にこんな現実を受け入れるはずだ。
「それよりfreuxが後夜祭に出場しない理由を調べるって具体的にどうするんだ?」
湿っぽくなった空気を振り払うように新田原に尋ねた。
「とりあえずfreuxのことを知っている人に話しを――」
しかし、その必要はなかった。
「テメェか! うちのベースに怪我させたのは!」
怒声が鼓膜を激しく揺らした。
× × × × ×
新田原と顔を見合わせると、僕たちは急いで声がした方へ。
廊下を走り切り、階段へ。すると踊り場で三人の男子生徒がいがみあっていた。
「俺たちが今日の後夜祭のためにどれだけ練習したと思ってんだよ!」
「……違う。俺じゃ――」
「テメェがやったの見た奴がいんだよ!」
ワックスで髪をツンツンに尖らせたいかにもウェイな男子生徒が叫ぶ。
「そうだ! 俺だって聞いたんだからな!」
その後ろに控えるようにして断つ小太りで目つきが悪い男子生徒も便乗する。
そしてそんな二人に言い寄られているのは――
「ぶ、部長?」
変な声が出た。それに気付いた三人の男子生徒はそれぞれ異なった表情を見せた。
ツンツンは睨みを利かせ、小太りはこの場を見られたことに動揺したような顔を、そして我らが写真部の部長祓川義春は申し訳なさそうな表情を。
「城野か……すまんな。変なところ見せて……」
「い、いえ……あの……」
「おい! 関係ねー奴はひっこんでろ! これは俺らの問題だ!」
ツンツンが叫ぶ。
「そうだ! そうだ!」
小太りが再び便乗する。大体ツンツンと小太りの関係が分かった気がする。
「いえ、違う。これは私たちの問題でもある」
「誰だチビ?」
「チビって言うな! あなたたちfreuxのギターとドラムでしょ!」
すると、小太りの方がビクリと身を震わせた。どうやら当たりのようだ。
「こいつらがfreux……」
曲自体は何度も聞いたが実際にメンバーの顔を見るのは初めてだった。もっとロックな格好をしていると思っていたのでイメージとのギャップに驚く。
「あなたたち後夜祭に出ないんでしょ? それなのにどうしてこんなところで喧嘩なんてしてるの?」
新田原が言うとツンツンは祓川部長を一瞥してから低く怒気をはらませた声で言った。
「こいつが千隼のこと怪我させたんだ」
「怪我? 千隼っていうとベーシストの箱崎先輩のことでしょ?」
「あぁ」
「どうしてえっと――」
「祓川部長」
祓川の名前を知らなかったであろう新田原に耳打ちする。
「祓川先輩がそんなことを?」
「模擬店のテントを設営する時、こいつがミスって鉄パイプで千隼の左手を挟んだんだ」
文化祭で使用している模擬店のテントは鉄パイプの骨組みにポリエチレン製の天幕を被せたものになっている。設営の際に鉄パイプで手を怪我することは充分にあり得るように思えた。
「祓川先輩は本当に箱崎先輩を怪我させたんですか?」
「い、いや違う。確かに箱崎とぶつかって左手に鉄パイプをぶつけはしたけど、あれは事故だし本人は平気そうだった」
「んなわけねーだろ? 平気だったら今日の後夜祭にも出られるんだよ!」
ツンツンが祓川部長の胸ぐらを掴む。
それに便乗して小太りも祓川部長に迫る。お前は金魚のフンか?
「やめてくださいっ!」
新田原が金属音のように高い声で叫ぶとツンツンが舌打ちをして祓川部長から離れた。つか、うるせーよ。
「二人は祓川先輩が箱崎先輩を怪我させたところを見たんですか?」
「…………」
ツンツンが黙りこむ。
「見てないんですね?」
「見てない……」
小太りが肯定する。どうやら冤罪の可能性もあるようだ。
「確認ですけど、お二人は祓川先輩が箱崎先輩を怪我させたところを見ていなくて、祓川先輩は箱崎先輩の手を怪我させたりしてないんですね?」
「あぁ……」
「見ていない……」
「怪我をさせた覚えはない……」
「そうですか……」
場が静まる。
「そもそもお二人は誰にそのことを聞いたんですか?」
「穂浪だよ」
「freuxのボーカリストですね」
「あぁ。あいつと千隼、それに祓川が同じクラスで準備の時に祓川が怪我をさせているのを見たらしい」
「そうですか。そもそも箱崎先輩はなんて言っていたんですか?」
新田原の瞳が小太りに向けられる。
「えっと……千隼が怪我をしたのは準備の時祓川が持っていた鉄パイプとぶつかったからかもしれない……」
「それだけで祓川先輩が犯人と決めつけたんですか?」
「で、でも……」
「こいつが犯人じゃないって言いきれるのかよ!」
ツンツンが怒鳴る。
「確かにそうですね……現場を見たっていう桂川先輩はいないんですか?」
どうやらボーカリストの名字は桂川というらしい。
「あいつなら帰ったよ。演奏しないならここにいる意味はねぇってよ」
吐き捨てるようにツンツンが言った。
「……わかりました。それじゃ桂川先輩に話を聞きたいので連絡を――」
新田原が言い終わる前にツンツンと小太りは祓川を睨みつけて去っていった。
そんな二人を新田原は呼びとめようとしたが、それは僕が制した。これ以上は何を訊いても無駄だろう。僕たちは部外者だ。freuxのメンバーに質問をして答えさせる権利はない。
「……結局事件だったみたいだな」
「うん」
短く頷いた新田原の表情はあまりいいものではなかった。
「城野、悪いな巻き込んで……」
祓川部長が階段を降りて僕たちの元へやってきた。
「いえ、全然大丈夫です」
そもそもこっちから事件に首突っ込もうとしていたし。まぁ、祓川部長が犯人かもしれないなんて思ってもいなかったけど。
「それより祓川先輩、本当にやっていないんですね?」
新田原が身を乗り出すようにして祓川に問う。
「……あぁ、本当だ。確かに鉄パイプはぶつけたさ。でも、ものすごい勢いってわけじゃないし、本当に箱崎も平気そうだった」
「祓川先輩は桂川先輩に無実の証明を頼みましたか?」
「いや……あいつの連絡先知らないし、そもそも学校にもいないみたいだからな」
ツンツンは帰ったと言っていたし、学内にいないから自分が箱崎先輩を怪我させていないという証明ができなかったのだろう。
それなら僕たちがやることは一つだ。
「……調べるわよ」
「あぁ」
それが合図になった。
「祓川先輩、このちっこいのは探偵です」
「誰がちっこいのよ!」
「お前だよ!」
「探偵?」
怪訝そうな視線をむけられる。
「無能そうに見えますけど、なんとかしてくれると思うんです。だから、少しだけまってくれませんか?」
「待つ……? いったい何を……?」
「祓川先輩の無実を証明します。探偵として」
そう言って可憐に微笑むと新田原は来た道を引き返し始めた。
僕も呆けた表情をしている祓川先輩に一礼して小さな探偵の後を追った。
× × × × ×