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 ひねくれじいさんは事故で妻子を失い、そこから人に対してどこまでもひねくれていた。

 感謝を忘れ、親切にされても無下にして、挨拶もろくに返さず家に引きこもってばかりいた。

 それでも村の大人たちは家で余った野菜をひねくれじいさんにも分けていた。


 しかし、当時小さかったバネッサを含め、村の子供たちはどうして大人たちがひねくれじいさんにも優しくするのか分からなかった。

 バネッサは両親に問う。どうして、と。そして父と母は応えた。


『辛いことがあったときは、誰だって人に優しくできなくなる。だからって自分たちまでその人に辛くあたるのは、なんだか寂しいじゃないか。もし、自分が辛いとき、人に無下にされたら悲しいだろう? それだけだよ』


 それから、バネッサと村の子供たちは意地悪なひねくれじいさんにもいつも挨拶をするようになった。両親の手伝いとして余った野菜を届けに行くようになった。それでも、やっぱりひねくれじいさんは変わらなかった。

 やがて何度目かの冬を迎え、姿の見えないひねくれじいさんを心配した近所の村人が様子を見に行くと、ひねくれじいさんはベッドの中で眠るように息を引き取っていた。硬直したシワだらけの手にはぐしゃぐしゃに丸まった紙が握り込まれており、そこにはただ一言、村の者に感謝している。とだけ記されていた。

 ひねくれじいさんの葬式では、村中の人間がその死を悲しんでいた。

 

 その日の光景を、何故かバネッサは思い出していた。そして、剣士がそのひねくれじいさんのように見えた。


 聖女伝説はおよそ二千年前とされている。もしも、本当にこの剣士が二千年の間、ずっと必要のない聖女を送り込まれていたのなら、迷惑も甚だしいだろう。だが、迷惑ならば各国に伝えればいい。追い返した聖女たちに言伝でも手紙でも頼めばいい。いや、それらをしても各国が是としなければ変わらないのだろう。結果として、聖女を送り出す密約は続いているのだから、剣士の拒否は受け入れられることなく今に至るのだろう。

 となれば、きっと諦めだ。

 延々と続く自分の声を無視し続ける各国から送り込まれる聖女たち。素直に断っても色んな事情で剣士の言葉を受け入れることはできなかったのだろう。事実、バネッサも契約を結び、謝礼金まで出してもらったのだから、はいそうですかと帰ることはできない。

 それが二千年も続いていれば、ひねくれたって不思議でもない。とはいえ、『聖女』として訪れた者に自分を刺せとはこれいかに。


「剣士様は、人を刺せるのですか?」

「あぁ、いたいた。不死者でも人だから刺せない。人殺しになりたくないって言う子もいたなぁー」


 バネッサの問いに答えたのは、クスクスとおどける魔術師だった。剣士は黙ってバネッサを見下ろしたままである。だがその瞳は、先ほどよりも鋭さを増していた。


「いえ、そうではなくて。あぁ、私も人殺しなんてしたくありませんけれど。そうではなくて、剣士様は先ほど私を助けてくれたように、獣を裂くことができても人を裂くことができるかどうか、それを聞いているのです」


 と、気にするでもないバネッサが再度問えば、魔術師の男が些か苛立ちの色を浮かべる。


「彼は立派な剣士だよ。呪いを受ける前も受けてからも、人を守るためにずっと剣を揮ってきた。キミ、少し失礼じゃないかい?」


 え、いきなり刺せと言ってくるあなた方のほうが失礼では……と思うバネッサだがそれは口にせず、タザンの実を片腕に抱きかかえてナイフを拾い上げた。


「自分ができない、やらない、やりたくないことを他人に強要するほうが、私はよっぽど失礼だと思います」


 あ、失礼だと言ってしまった。と思うバネッサとは裏腹に、魔術師はやはり「……あぁ、いたねぇ、そういうこと言う子も」と呟く。


「ですから、これを剣士様とします」

「ん?」


 言って、バネッサは片腕で抱えていたタザンの実のひとつにナイフを突き立てた。

 鋭い刃は硬い皮を貫き、柔らかい果肉はどこまでも切っ先を飲み込む。切れ目から大量の果汁が溢れ、干からびた地面に零れ落ちていく。辺りには甘い果実の香りが漂った。


「私、剣士様は刺せませんが果物は刺せます。家は農家でしたが、時々近所に住む狩人さんと山にも行っていました。あまり上手ではありませんが、解体……捌くこともできます。それから、先ほども言ったように聖女様ではありません。戦闘もできませんし、魔力も人並みにはありますが、平民の人並みは生活に応用できる程度ですし……うん、それくらいですね、私ができることといえば。ともかく、私、剣士様に見立てた果物は刺しました。どうでしょうか?」

「「……」」


 これには剣士も魔術師も口を閉ざした。

 統合的に見ればバネッサの行動はあまり特異なことではない。頭の回転が速い人間であればバネッサ以外にも成し得る者はいただろう。だが、これまでの聖女たちが成し得なかったことを、バネッサはして見せた。


 永遠の孤独を味わう剣士に同情するでもなく、可哀想だと高飛車に説教するのでもなく、剣士の気を引こうと頓智を効かせるのでもなく、ただ単純に、示された状況下で自分ができる範囲を示した。

 簡単に言うと、あなたはこれができますか、に対して「無理です」ではなく「無理です。けれど代わりにこれができます」である。

 それを、計算ではなく本気で、素でやっているのだ。詰まるところ、ただの馬鹿正直な小娘です私、と明言したのである。


「……ぶ、はっ、あはははっ!」


 バネッサの明言に吹き出したのは魔術師だった。ひぃひぃ笑いながら腹を抱えてしゃがみ込んでしまっている。剣士は変わらず黙ったままだが、バネッサをこの世の生き物なのかと疑うような眼差しだ。


 聖女として送り込まれてきた少女たちは、なんの力も持たない小娘ばかりだった。王女が来た時節もあったが、小娘よりも性質が悪い。

 その多くは聖女という肩書の威を借る狐に過ぎず、自らを特別だと思い込む者が多かった。王女であれば尚のこと。


 だから、剣士は聖女として訪れた者では絶対通過できない条件を突きつけ追い返してきた。はずだったのだが……。


「……ところで、お皿をお借りしてもよろしいでしょうか? せっかくの美味しい果汁が勿体ないのですが……」

「あはははははっ!!」


 ついに笑い転げた魔術師。素直に皿を取りに行くこともなく、バネッサを見つめる剣士。

 腐りかけの屋敷の前には、タザンの甘い香りが広がるばかりである。



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