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 翌日、バネッサは大量の衣服を渡され馬車に乗せられていた。


 家族との別れができないと知らされたときは残念に思ったが、契約書の裏面に家族に当てたメッセージを記すことを許可してもらい、謝礼金で畑を拡大して、美味しい農作物を作って欲しい。同じ大陸にいるのだから、いつか市場でそれを自分が買ったとき、思い出せるようにこれからも頑張って欲しい、と激励を書き込む。

 契約書を必ず家族の元へ届けてくれると信じて疑わないバネッサの、さらなる純心アタックに王はまたも削られていたが、そのおかげで確実に契約書と謝礼金はプロメルス一家の元に届くこととなる。


 少女を手ぶらで送り出すことも威厳に関わるため、王は王女が不要だと捨て置いていた数々の衣服をバネッサに持たせた。せめてこれ以上の支出を抑えようとした算段なのだが、平民であるバネッサにとって、たとえ王女の古着とて高級品であることに変わりない。

 これにも大層喜び、元の持ち主であった王女もなんだか良いことをした気分になって、もっと持って行けと王が用意した粗末な鞄にさらに衣服を詰め込んで、送りだすさいには『困ったことがあれば、王家を頼りなさい!』などと鼻高々に宣言していた。


 そうして、王以外は円満に別れを告げた聖女送り出しの儀を終えて、現在、バネッサは馬車に揺られている。

 とはいえ、御者席で年老いたおじいちゃん御者と愉しく会話をしていた。


「へぇー、今夜はお祭りが開かれるんですね」

「数百年ぶりの聖女様をお迎えして、お城を解放して祝うらしいよ。まぁ、我々はその祭りに参加できないがね」

「そうですね……なんだか、ごめんなさい。せっかくのお祭りなのに」

「ははは、この歳だからね。参加できたとしても空気を楽しむだけさ。それよりも、お嬢ちゃんも残念だね。祭りが開かれる前に発つことになるなんて」

「あはは……でも、王様から託された大切なお役目がありますから」


 なんでも、バネッサを送り出した今夜のカルディア大国では、聖女という存在が国を守ってくれるよ安心してねという体で、盛大な祭りが開かれるのだとか。

 当然、バネッサという偽聖女が国々の密約の為、剣士の元に送り出されることは伏せられているし、この老人御者も王からの命令で大事な役目を果たす少女をとある場所まで連れて行く、ということしか知らされていない。

 ただ、自分は平民の生まれだから馬車の中は息苦しい、御者席で外の空気を吸いながら行きたいというバネッサの言葉に頷き、おじいちゃんと孫ほど歳の差もある二人は、並んでガタコト馬車に揺られている。


「若いのに愛国心があるんだねぇ。私も昔はあったが、この歳になると義務として染みついてしまったよ」

「ふふ、うちの祖父もそんなことを言ってました。毎朝野菜の様子を見に行くことが義務になってしまったって。でも、収穫の日に、あぁやっぱり自分は野菜を育てるのが好きだって再認識するんだそうです」

「そうかぁ……仕事が報われると、嬉しいもんなぁ。ところで、お嬢ちゃんの実家ではなにを育てているんだい?」

「うちはですね、ディア麦を中心に季節の野菜と、それから村の皆で切り拓いた土地でタザンを育てていました。本当は秘密なんですけど、我が家ではタザンを野菜と掛け合わせることはできないかって改良していたんです」

「ほお、タザンを野菜とかぁ……甘い野菜になりそうだね。成功したらきっと美味しい野菜ができるんだろうね」

「はい! いつか市場に並んだら、買ってくださいね!」


 ディア麦とは、カルディア大国に広く流通しているパンもお菓子もなんでもござれな万能麦だ。

 タザンというのは、薄黄色の硬い皮に覆われているが、甘く柔らかい朱色の果肉が非常に美味しい果物のこと。少し指が沈むだけでたっぷりの果汁が溢れるものだから、剥いて食べることを好むのは平民だけだが、癖のない甘さが貴族にも好まれているカルディア大国特産の果実である。

 謝礼金で実家が拡大すると信じているバネッサは、ちゃっかり宣伝も忘れない。


 そうこうしているうちに、馬車は王都から人気のない街道へ。木々が生い茂る森の中へ入り、馬車で通るには険しい獣道を進んでいく。地表に剥き出しになった小さな岩の上を車輪で乗り上げるたび、馬車は大きく揺れた。


「あの、おじいさん、馬車でこの先は厳しいのでは……わ、ぁあ、っと」

「ちゃんと掴まっていないと危ないよ。なぁに、長いこと御者をやっているからね、安心しなさい」


 とは言うけれど、引き返すための空間が確保できないほど道が狭まると、老人御者は馬車を止めてため息をついた。


「ふむ……これ以上は難しいな……。お嬢ちゃん、目的地まではまだ少しかかるだろう。あれだけの荷物を持って、一人でいけるかい?」

「え? もしかして……距離があるからここまで……?」


 バネッサの言葉に少し照れたように笑った老人御者は、『そんなこと、お嬢ちゃんが気にすることじゃないさ』と答えた。


 城を発つ前、王からバネッサを運べと命じられた老人御者は、手渡された地図を見て大層驚いた。なんと、目的地は普段は立ち入り禁止とされる王家所有の土地にある、森の奥深くではないか!

 城で働く者なら誰でも知っている、普段は尊大でワガママな王女もバネッサを送り出すさいは(きっといないだろう)友人を送り出すように激励までしている。

 なにやら訳ありなのだろう、とは思うが、老人御者は自分に与えられた仕事を全うすることだけを考え馬を走らせた。

 しかし、車内が慣れないからと御者席を望む少女と二人、並んで道中を行けば年相応のどこにでもいる少女バネッサの人柄を目の当たりにし、自分の孫を思い出して、うっかり和んでしまったのだ。

 バネッサを降ろせと命じられていたのは、森の入口だった。けれど、車内に押し込められた荷物を持って森の深くまで行くのは少女にとって苦難だろう。ちょっとだけ、なんだかバネッサに優しくしたい気持ちになっていた老人御者は、こうして馬車で行けるギリギリまで少女を運んだのである。


 パンパンに膨らんだ少女の背丈半分ほどの鞄を下ろし、バネッサに手渡す。それを受け取ると持ち手に腕を通し、無理矢理背負ったバネッサはあまりの重さにフラフラと後ろにバランスを崩す。咄嗟に支えた老人御者は苦笑を浮かべて、やはり最後まで一緒に行こうと申し出るが、バネッサはそれを断った。この先にあるものを、老人御者に見せるべきではないと直感的に感じたのだ。偽聖女などという、厄介ごとに巻き込んではいけない。


「ここまでありがとうございました。なにかお礼ができたらいいのですけど、お渡しできるものがなくて……」

「そんなこと気にしなくていいさ。私が好きでやったことだからね。それよりも、安全な森らしいが気をつけて行きなさい」

「はい、ありがとうございます。……あ、そうだ」


 おもむろにバネッサは亜麻色の髪をまとめていた髪飾りを外した。木材で出来た質素な、恐らく手作りの髪飾りだ。


「さっきお話したタザンと野菜の改良を、家族の皆はきっと果たします。市場に並べば絶対人気になります。……まぁ、希望もありますけど。改良が成功したときでも、もし野菜を安く購入したいときがあれば、我が家を頼ってください。この髪飾りと、バネッサ・プロメルスの名を出せば、私の家族は快く売ってくれるはずですから」


 そう言って髪飾りを手渡してくるバネッサに老人御者は瞠目する。思わず『お嬢ちゃんは良い子だねぇ』なんて言葉を漏らすと、


「人に良くして貰ったら、お礼をするのは当然ですから。ふふ、それに、最初に私に優しくしてくれたのはおじいさんじゃないですか」


 これである。老人御者は照れたように頬を掻き、それ以上は言わなかった。

 持ち手を掴み、背負った鞄の位置を直したバネッサが道の先に視線を向ける。まだまだ先は長そうだ。もう日が落ちてきたから、本格的な夜がくる前に到着できればいいのだが。


「それじゃあ、そろそろ行きますね。おじいさんも、帰りは気をつけてください」

「あぁ、ありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございました」


 頭を下げたバネッサの背中から、頭上へとずれていく鞄を支えた老人御者。二人は最後に破顔して、手を振ってその場で別れた。

 木々が生み出す影の向こう側、バネッサの背中が見えなくなるまで送り出していた老人は御者席に乗る。あぁしまった、自分の名前を伝え忘れた。思わずバネッサが進んだ先に顔を向けるが、これ以上先に行くことを断ったバネッサを思い出し、自分が行ってはいけない気持ちになって追うのを止めた。

 手綱を握って振り上げる。パシンッと小気味いい音を鳴らして馬を歩かせていく。でこぼこ道に揺れる馬車。別れ際、笑顔でお礼を告げたバネッサの姿がまだ脳裏に残っている。


「……ありがとうなんて、久しぶりに聞いたなぁ……」


 普段は王族や貴族を乗せている老人御者にとって、ありがとうなんてお礼は実に久方ぶりのことだった。ぼんやりと、しばらくそんなことを思いながら来た道を戻っていけば、あっという間に森の外へ。

 あぁ、そうか。そういうことか。

 木々に遮られることのない橙色の夕日を受けて、老人御者は思い至った。


『毎朝野菜の様子を見に行くことが義務になってしまったって。でも、収穫の日に、あぁやっぱり自分は野菜を育てるのが好きだって再認識するんだそうです』

 

 道中聞いたバネッサの話。

 いつしか当たり前となった仕事は義務と化し、給金さえ貰えれば淡々と熟すのみ。それが、今日この日だけは違った。たった一言、少女からのお礼の言葉が腑に落ちる。――仕事が報われたのだと。

 気まぐれで優しくした部分もあるのだが、老人御者はバネッサに親切にできたことを喜びながら帰路についた。王都に戻ったあと、次の休日はバネッサの実家に野菜を買いに行ってみよう。そんなことを思いながら。



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