泉 鏡花「妖術」現代語勝手訳 五
五
紫の矢絣に、ピラピラした銀色模様の箱迫、というのならまだしも、闇桜とか言う、暗い中に時折隠されたような薄紅色がちらちらする、そんな凄い着物の趣味に、高島田も似合わなければ、薄い駒下駄に紺蛇目傘もそぐわない。が、それは今日のこの天気なので、まあ分かるとしよう。しかし、今時分、扇とはあまりに儀式っぽい。……踊りの稽古の帰りなら、もっと相応しい装いというのがあるだろうに。最初から正体不明だったけれど、これでますます不思議さが加わった。
が、それもそのはず。後で身の上を聞くと、芸人だという。芸人も芸人、娘手品師だと言うのであった。
手品師とは思いがけず、あまりにも変わってはいたけれど、本人がそう名乗るのを怪しいだとか、疑わしいだとか言ったところでしょうがない。まさか、とは考えるが、人の職業である。こっちから押しつけて、ああだこうだと決めつけられないから、とにかく意には添わなかったが、『そうですか』と一帆は頷いた。しかし、それは観世音の廻廊の欄干に二人で立ち並んだ時ではない。御堂の裏、田圃の中の「大金」という料理屋の数寄屋造りの四畳半で膳を並べて差し向かった時のことである。……
もっとも、話がそこに至るまでに、いささか気になる経過があるのだ。
一帆は既に、御堂の上で、その女に大きい紙幣を一枚、札入れから抜き取られていたのであった。
やはり熟練の技であろう。
その時、扇子を手で押さえて、貴方は一人で歩く方が
「……お好きなくせに……」
そう言うから、一帆は肩を揺すって、
「こうなったら、もう、構いやしません、是非とも相合傘にしてもらいますよ」と、威すように言って笑った。
「まぁ、駄々っ子みたい」
と、莞爾して、
「貴方……」と少し改まった表情になった。
「え?」
「あの、いくらかはお持ちですか?」
と、澄まして言う。一帆はもしかすると、そういうことになるのではと、ちょっとは覚悟していた。
「ああ」
と、わざと鷹揚に返事をして、
「どれくらいほど?」
「十枚」
と、胸をしゃんと伸ばした、が、その姿も粋で佳かった。
「ちょっとお買い物をしたいのですわ」
「じゃ、これをお持ちなさい」
この時、一帆は札入れを出そうとして、後ろに立っている田舎者の方を振り向いた。みんな、きょろりきょろりと二人を眺めていた。
と、そのほんの一瞬、女は一帆の札入れから紙幣を抜き取り、その金を帯にも突っ込まず、札を掌に入れたまま、黙って一帆をやり過ごして、角の擬宝珠を回り、本堂正面の階段の方へ行ってしまった。
買い物をするとなれば、大方仲見世へ引き返したのだろう。
しかし、待てども待てども帰って来ない。遅い。いったい何をしているのやら。時間ばかりが過ぎて行く。
煙草ももう吸い飽きたし、腕組みを組んではほどき、組んではほどきしていてもだらしない。がっくりと仰向いて、唇をペロペロと舌で舐める親父も、しゃがんだり立ったりして「あ~あ」などと色気のない大欠伸をする茜色の着物を着た若い女房も、ただ単に雨宿りをしている風には見えなかった。みんな一帆と女の結末を見届けようとしているみたいだった。が、例の綺麗な姉様が再び現れるのを待ちきれなくなったようで、みんなでドヤドヤと横手の階段を降りかけていったのだが、その時、
「待ち遠しいこって」
と、親父がもっともらしい顔つきでニヤリともしないで吐くと、女どもはどっと笑って、線香の煙で黒くなり、また、吹き上げる飛沫で白くなっている黄昏のような中へと、びしょびしょになりながら繰り出していった。
一帆はビックリして、あの連中、田舎者の振りをする掏摸かポン引きか、と思った。軽くなった懐を考えるにつけても、最近は本当に油断が出来ない。
一帆はその時分まで、同じ所にぼんやりとたたずんで、女を待っていたのである。
つづく