あなたは初詣に行く①
やってしまった。
あなたは窓から射し込む朝日を見て、開口一番にそう言った。
今の今まで、ミドルタワークラスのパソコンと向き合い、FPSのオンラインゲームをしていたところだった。そのオンラインゲームは最後の一人になるまで殺し合うルールのゲームで、一度始めるとなかなか終われない。
除夜の鐘を聴いてから、ちょっとネトゲしよう。
新年早々キル数を稼ごう。
そういうノリで始めて、さて寝ようかと思った時だった。
時計の針は6時46分。デジタルで表示された日時は一月一日。つまりは元旦。
―――ネトゲで初日の出を過ごしてしまった。
果てしなくどうしようもない理由で正月がスタートした事に、あなたは嘆いた。
『リツカ、どうした?』
ボイスチャットで落ち着いた若い男の声が響いた。ゲーマー仲間でネトゲ仲間で、あなたの所属するウェブアーティスト集団、『フラグメンツ』の主宰でもあるリーダー、『アーカード』からだ。
『リツカ』はあなたの本名ではないし、『アーカード』も彼の本名ではない。所謂ハンドルネームというやつだ。
互いに本名は知っているが、ゲームや『フラグメンツ』内ではもっぱらHNだ。
彼とは何度かリアルで会っていて、その落ち着いた声の持ち主らしい、血液も凍りそうなほどに美しい容姿の御仁だ。実際に女性からもモテるのだが、いかせん残念な趣味のせいで全てが台無しになる人でもある。
年齢は24歳。出身はイギリスで、仕事で日本に来てアニメ文化に汚染されてそのまま定住してしまった残念なイケメンである。
どうしたとという問いに、あなたは初日の出だ。正月からいきなり夜更かしをしたと答える。
『あ、ホントだ。お外明るいー』
そう説明したら、舌足らずの少女の声が響いた。彼女はHNで『リリウム』という。『フラグメンツ』のボーカル。迫力ある歌唱力を見せる歌姫だ。
あなたは彼女の顔を知っており、もちろん本名も知っている。ロシア人と日本人のハーフで、背が低く人形のように可愛らしい幼げの少女であることも知っている。
幼児体形なので判りづらいがあなたより二つ年上だ。
ゲーマーでオタクなアーカードの知り合いで『フラグメンツ』のメンバー―――なのでやっぱりオタク気質の残念な美少女である。
そして、けっこうディープなドルオタ。
あと、出会った時の馴れ初めで惚れられてしまい、一時的にストーカー行為をしてきた人でもある。キツく怒った事もあって止めてもらったが。
そんな経緯もあって、あなたは彼女の事は逃げ出したい程度に苦手である。嫌いではないのだが。
他にもメンバーはいるのだが、今はあなたも含め三人だけだった。
『もう、そんな時間か。明けましておめでとう二人とも』
『あけおめー!』
明けましておめでとう、とあなたは言う。
あなた達はそう、新年の挨拶を交わした
叔母の家にお世話になる事になって、十日が過ぎた。
終業式のその日の内に家を出て、夜間バスと市営バスを乗り継いで、半日をかけて父方の妹夫婦が暮らす温泉地へと引っ越して来たのだった。
新幹線ならもっと早く着くのだが、あなたは諸事情で怖くて吐くほど苦手で、どれだけ遠かろうが新幹線を始めとする鉄道という公共交通機関は乗らないで移動するのである。
叔母の家は、中心街たる商店街とその隣の温泉街から少し離れている。
少し、といってもそれなりには近いかもしれない。
付近はまばらに家が建っていて、一軒一軒の距離が人口の少なさを物語っていて田舎らしい。
転入先の高校へは気持ち遠いかもしれないが、歩いていける距離だ。
その家はそれなりに大きく近所の家々よりも新しく見える。
なんでも結婚してすぐに建てたからだとか叔母は語った。
部屋は、あなたがやって来ても、まだ余ってるという。
子ども達には個室を与えようとして建てた家らしいが、実際に生まれたのが双子で部屋も一緒にしてしまい、二つの空き部屋が倉庫と化してしまっていたという。
そんな部屋の一つを、東側の部屋を貴方は借り受けることとなった。
荷物は既にこちらに送っていて、三日間をかけて宛がわれた自分の部屋に全て置く事が出来た。
勉強机とミドルタワークラスのパソコンとゲーミングキーボードやゲーミングマウスが載った机。
本棚やタンス、ベッド。ローテーブルとアクリル製のショーケース。
その中には球体関節人形―――ドールが三体納められている。
部屋の片隅にはドールの衣装を製作する為の道具が入った道具箱や布といった材料が入った箱が。
その隣にはドール趣味と『フラグメンツ』絡みで使うミシン二台を初めとした手芸用具がまとめて置かれている。
居候先の借りた部屋が、遠慮なく趣味の部屋に変わってしまった惨状が、そこにはあった。
それではおやすみとあなたは二人にそう告げて、ゲームからログアウトして、PCの電源を落とす。
双子の従姉妹と初詣へ行く約束だったが、時間はまだある。二時間は寝れるだろう、と貴方は思ってスマートフォンのアラームを9時頃にセットしてベッドに潜りこむ。
そして、貴方はすぐに眠りに落ちた。
貴方を起こしたのは、スマホのアラームではなかった。
「起きろー!」
「起きろー!」
双子の従姉妹に文字通り叩き起こされたのだった。
被っていた布団をひっぺがらされて、頬をペチペチ叩かれるのだ。
わかっている。
そう寝ぼけ眼で身体を起こす。早く起きないとボディープレスを受ける羽目になる。
実際になったし、虚弱体質寄りのあなたにそれは危ないことこの上ない。引っ越し翌日にはそれを喰らっていて、死にそうな気分にあった。
思わず相手が小学生である事を忘れ、叱りつけてしまったのだが。叔母さんと二人並んで叱っているさなか、ちょっとやり過ぎたかなとは貴方は思ったのだが。
烈火の如く叱って二人とも泣かせたものの、その後におやつをご馳走して、機嫌を取ったのは言うまでもない。
身体を起こすと、そこには11歳頃の双子の女の子が貴方を見ていた。
どちらとも見分けがつかないほどに似ていて、どちらがどちらか貴方にはとてもわかり難い。二人の性格がそう変わらないし、服もお揃いなのだから区別しにくいのだ。実はこちらを試しているのではないかとさえ思う。
さらに言ってしまえば、交通事故の後遺症で寝起きとか頭が覚醒しきっていない時などは見える物の色がしばらく白黒に見えるのである。
唯一の違いは、髪の結い方。
卯月は右寄りに髪を結っていて、皐月は左寄りに髪を結っている。それも微妙なほどだがそれに気づけば間違える事はない。
まだ眠たいのを堪えつつ、双子に朝の挨拶を言った。壁に掛けた時計を見ると8時半。あと三十分と言いたかったが口には出さない。
「おはよう、じゃないの!」
と言う、やや右寄りに髪をポニーテールにしているのが卯月。
「あけましておめでとう、なの!」
と言う、やや左寄りに髪をポニーテールにしているのが皐月。
小学生に修正を喰らってしまった。
新年の挨拶に言い直す。
「あけましておめでとう!」
「あけましておめでとう!」
双子の従姉妹―――卯月と皐月はそう答えた。そして急かしにかかる。
「お着替え!」
「朝ごはん!」
「歯磨き!」
「初詣!」
よく交互に言えるな、とあなたは思いつつもローテーブルの上に置いた服を布団の上に置いて、寝間着に手を掛ける。
そこで、着替えるから部屋から出てくれとあなたは双子にそう言う。
見られると周りの人間からは退かれるような身体なので、あまり見せたくない。小学生となればなおさらだろう。
まあ、家ではマフラーや、右目の眼帯。手袋は外しているので見られているも同然なのだが。
「わかった!」
「わかった!」
その辺りはよくわかってくれていて、卯月と皐月は小走りに部屋を出て言ってくれた。
二人が部屋を出たのを見届けてから貴方は寝間着を脱いだ。
朝食を食べた後、服を外出着に着替えてこの町の神社に初詣へ。
玄関に出た貴方は、お待たせしましたと開口一番に言った。
外は降り積もった雪で真っ白だ。その分余計に寒く感じる。
天気は晴れてはいるが雲は多い。気温も当然のように低い。息も白く、凍りそうだ。
道路は雪掻きがよくされていて、足元に気を付ければ転ぶことは無さそう。
今の貴方の格好は、一言で言えば防寒着でモコモコだ。足にはショートブーツを履き、ダッフルコートを着ている。
他にはいつも通りに顔の右半分近くは覆っている眼帯と首から口元までを隠す黒のフェイスマスクと赤のマフラー。黒い手袋。
今の格好では、左目周り以外の肌の露出はなくなってしまう。
「ほとんど顔が見えないね」
叔母である彩にその姿をコロコロと笑われる。その夫である俊弘さんそのノリに乗る。
「せっかくいい顔立ちなんだから眼帯はいいんじゃないか? なぁセンパイ」
「アイツの好きにさせてやれ。さて行こうか」
貴方の父と俊弘さんは聞いた話だと大学の先輩後輩の関係らしい。
その言葉で、貴方たちは地元の神社へと足を進めた。
神社までの道のりで近所の方々に新年の挨拶をする。引っ越しした数日以内には挨拶した人達がいるのだが、中には初めて会う人もいて自己紹介を欠かさずにする。大抵の人は貴方の右目の眼帯を見て僅かなれど反応するが、深い詮索をしないでくれる。
神社の鳥居を潜って、あなたは目の前の光景を見て呻いた。
その神社―――『白野神社』は田舎の神社らしく山の中腹にあるらしい。そこまで登るのは階段しかない。
そこまで多くはない、か。
ゆっくり、なんとか登ると言ってあなたは階段を昇り始める。所々段差のない石畳なのが救いだ。
半分ほど登った所で立ち止まって一息つく。
見渡せばそこは杉の木が多い山林のようだ。
花粉の人はキツいだろうな、と思いながら視線を動かすと、石畳のすぐ隣に、斜面に一つの岩が顔を除かせていた。
雪が積もっているのだけなら、貴方はこの石畳を作る時退かせなかったのかなと思うだけだろう。
そうでないから、視線がここに止まったのだから。
岩の上には、白い犬がいた。
犬、といってもかなり大きい。背の低い子どもが乗れそうなぐらいの大きさだ。顔つきは犬というよりも狼に近い。
ウルフドックだろうか。
思わず口に出た。あなたの記憶で、それが近いかなと思ったからだ。日本に狼なんて絶滅したはずだからである。
首輪もないし、野良犬なのだろうか? もしそうなら保健所は何をしているのやらと思っていると。
『なんだ。貴様、見えるのか』
犬が、こちらを見据えて喋った。なかなかに渋い声である。
『見えるならば、大人しくしていろ。我らに巻き込まれるな』
たったそれだけを喋り、あなたが驚く暇も、尋ねる暇も与えるつもりがないのか。
その犬はまるで霧が晴れるかのように霧散して消えた。
岩の上は何も居なかったかのように雪が積もっていて、起きた事象が何だったのか貴方は怪訝そうに首を傾げる。
頭を打てば幻覚を見かねないのだが、あなたは転んだ覚えもないので今のが不思議である。
「にぃにどうしたのー?」
「どうしたのー?」
ずっと立ち止まっていたからか、卯月と皐月が駆け寄ってきた。貴方はさっきの事を何かの見間違いとして忘れることにして、双子になんでもないと答える。
「早くするのー!」
「みんな待ってるのー!」
あなたは両手を双子に引っ張られ、強制的に歩かされる。
引っ張るな。急かさなくとも神社は動かない。
そんな抗議の声は、二人に無視されてしまったが。