誰も知らない物語
ガチャン
扉が閉まる音に赤ずきんの母親は起こされた。
「あら?」
こんな朝早くから、こんな町外れの家に?
そう母親は思考を巡らせた。
「気のせいね」
母親は毛布に手を伸ばし、もう一度眠りにつこうとした。
が、ここで嫌な予感がした。
誰かの視線を感じる。
母親は飛び起き、まずは扉まで歩み寄りバッと勢いよく開けた。
そこには誰もいない。
「もう家の中に...!?」
母親はすぐに赤ずきんの部屋へ向かった。
その途中で狩人から譲り受けた鉄砲を装備した。
(あの子にもうあんな思いはさせられない!)
心の中で母親はそう決心した。
そして、今度はゆっくりと赤ずきんの部屋の扉を開いた。
そこには母親が想像した光景は無かった。
部屋は荒らされた様子もなく、小綺麗に整理されていた。
だが、肝心の赤ずきんがそこにはいなかった。
あったのは、手紙。
中身が開かれたそれを母親は読んだ。
『メイジー、もうすぐあなたの誕生日よね?おばあさんからプレゼントがあるから、近々私の家に来てちょうだい。もう寄り道は駄目よ?』
「母さんから?」
確かにメイジーはもうすぐ誕生日だが、毎年、誕生日は我が家で行っている。
母親は寝ぼけで冴えない頭を必死に巡らせた。
「何で気がつかなかったの...。」
そう呟き、核心へ至った。
「これは母さんの字じゃない!」
それはつまり、何者かが母さんに成りすまし赤ずきんを招いたということ。
赤ずきんと母さんに危機が迫っていると、赤ずきんの母親は直感した。
思考がそこに至った時には、母親は家を飛び出していた。
あまり慣れない森の道。
時々、服を草木に引っかけたりしてカサカサと音をたてた。
ちょうどその時、前方で同じ音がした。
だが母親にはどうでもよかった。
──そこに赤ずきんがいるなんて、想像もしなかった。
迷わず走り続け、母さんの家に着いた赤ずきんの母親。
まず家の中を窓越しに確認した。
そこに赤ずきんはいない。
いるのはベッドに横たわる母さんのみ。
荒らされた様子もない。
間に合ったようだ。
だとすると赤ずきんは?
母親は家の周りを探し始めた。
そして、早朝狩りをしていた狩人に出会った。
「朝、早いんですね。」
「あなたも大変そうね。」
少し頬を赤く染めた二人の会話は、そこで一旦区切られた。
二人とも互いを好意的に思っていた。
赤ずきんの母親の夫は、赤ずきんが生まれた途端に失踪。
狩人の妻も同時期に失踪していた。
同じ時期に大切な者がいなくなった悲しみを共有する、『大切な人』となっていた。
「その、メイジーを見ませんでしたか?」
長い沈黙を破った母親の問いに、狩人は首をかしげた。
「朝早くに?こんな場所で?」
「ええ。私が眠っている間に家を出て行きました。メイジーの部屋にはこれが。」
母親は狩人に、おばあさまを名乗る者の手紙を渡した。
「ふむふむ。確かにこれは怪しいですね。鉄砲を持っているのも分かります。」
母親は、はっとなって鉄砲を後ろに隠した。
「ごめんなさい。驚かせましたか...?」
狩人は母親の頭を撫でながら、大丈夫ですよ、と答えた。
そして母親は、狩人が捕ったであろう鶏を指差し依頼した。
「もしよければ、それを持ち帰った後で良いので、メイジーを探してもらえませんか?」
「もちろんです。」
「ありがとうございます!私は引き続き探していますので、後で合流しましょう。」
そして、狩人とは反対の方向へ歩き赤ずきんを探した。
三十分ほど探したが赤ずきんの姿はない。
すっかり日が出てきた。
汗を拭い、もしかしたらと母さんの家に向かった。
だが、後悔することとなる。
そこにはもうメイジーの姿はないのだから。
家に近づくと、母親は異臭に気づいた。
早朝に来たときにはしなかった匂い。
初めに来たときと同じように、窓越しに家の中を確認する。
荒らされた様子はない。
しかし、いたるところに血が飛び散り、異様な空間を作っていた。
そしてその空間は、肉の塊と化した二人と血で赤く染まった一人の少女によるものだと、母親は知ってしまった。
「あーあ、殺っちゃったー♪」
空間に響く、不気味でそれでいて純粋な声。
それは紛れもなく、我が子の声だった。
「これ、どーしよっかなー?」
言葉の一つ一つが母親に重くのしかかる。
(やめて!...やめてッ!あんなのメイジーじゃない!)
「食べたら案外美味しかったりするかなー?」
母親は強烈な吐き気を抑えるため、手で口をふさいだ。
(ここから逃げよう...!)
そう決心するも、足は震えて動かない。
無理矢理動かした足はもつれ、その場で盛大に全身を打った。
「おやおやー?そこに誰かいるのかなー?」
母親はとっさに、草むらへ隠れた。
バゴーンッッッッ
と、言葉では表しきれないような爆音と共に、家の扉が吹き飛んだ。
そして、そこから血で染まった愛娘が顔を出した。
キョロキョロと辺りを見回し、一瞬こちらを見据えたが、
「気ーのせいかー。」
なんとか、隠れきれた。
(あんなの、もうメイジーじゃない!)
そう思った母親は、恐怖よりも、殺意が芽生えた。
鉄砲を強く握りしめ、草むらから出た。
「命を粗末にしちゃぁいけないよ。」
不意に後方から声が聞こえた。
「誰!?」
鉄砲を向けられた声の主は両手を上げて、やれやれと答えた。
「僕は、グリーンフード。そう呼ばれてるよ。いつもこの緑のフードを被っているからね。」
母親は続けて問うた。
「何をしに来たの?」
まだ鉄砲を向けたままだ。
「忠告。ないしは救済に来た。」
「は?」
思わず母親は声を漏らした。
「君の願いはなんだい?」
「何を言っているの?」
「問いに問いで返すのはよろしくないねぇ。僕は君を救いたいだけさ。まあ、とりあえず答えてよ。」
しばらく母親は考えた後こう答えた。
「過去に戻りたい...。」
「それは出来ないなぁ、残念だけど。それじゃあ物語は成立しない。他に何か無いの?例えば死者を復活させたい、とか。」
「そんなことが可能なの?」
気づけば、鉄砲を手放していた。
「それなりの代償は必要だけどね。」
「母さんと狩人さんを生き返らして...欲しい。メイジーも、メイジーももとに戻して欲しい!!」
母親は完全にグリーンフードなる者にすがっていた。
が、返答は厳しいものだった。
「メイジーは無理だ。あれは僕じゃどうしようもない。君のお母さんと狩人さんならなんとかできるよ。ただし、肉体は『あのまま』だ。」
「...あのまま?」
グリーンフードは家の中を指差しおうむ返しした。
「あのまま。」
母親はそれでも、それでもと。
「お願いしますッ。」
「それじゃあ、まずは君に代償を。」
グリーンフードは母親に向かって手を伸ばした。
「君の代償は至極簡単。誰にも認知されない呪いだ。ただし、同じ呪いを受けたものどうしは認知できるよ。」
グリーンフードがそういい終えた瞬間、辺りが光輝いた。
目を開けたとき、そこにグリーンフードはいなかった。
「はぁー。お腹一杯!メイジー、これであなたも逃げられないよ。呪いの運命からね!」
赤ずきんはそう言って家を出ていった。
母親は驚いてその場に崩れた。
何せ、目の前を赤ずきんが通ったのだ。
だが、赤ずきんは母親に気づかなかった。
──隠れてなどいないのに。
その意味を、グリーンフードがかけた呪いを理解する頃には絶望していた。
かすかな希望として、母親は家の中を覗いた。
すると、骨が動いていた。
カタカタカタカタカタカタ──
そして骨は二つの人形を形成した。
「母さん!あなた!」
母親は嬉しそうに家の中に入った。
だが、もちろん誰も気づかなかった。
呪いもある。
しかし一番は、彼らに眼はないのだ。
耳もない。舌もない。皮膚もない。肉もない。
あるのは骨と言う体と魂だけ。
そこに母親が気づいたとき、自分の罪深さにさらに絶望した。