お人よし二人
新章 グレイ編
「さて、聞きたいことは沢山あるだろうけど、立ち話もなんだし、まずは中に入りなよ」
森の中にぽつんと立った小屋の前で、少女はわきに抱えた俺達を下した。
事もなげな口調は、友人を家に招くような気楽さを感じる。
一方で、俺はと言えばまったくもって正気が戻っていない。
意味の分からない世界に来て十分と経っていないのに死にかけて、助かったと思ったらジェットコースターもかくやという逃走劇を演じたのだ。
平原だけならともかく、彼女が森に突っ込んだ時には流石に本気で死ぬかと思った。
木々の間を凄まじい勢いで縫って飛ぶなど、半端な絶叫アトラクションよりよほど恐ろしかった。
魂が半分出かかったこの浮遊感も当然というものだろう。
思考がまるで定まらない。
けど、そんな余分のない頭だからこそ、素直に少女の容姿に見惚れる事が出来たんだと思う。
腰まで伸びた美しい緑の長髪と、透き通った蒼の瞳。
顔立ちも纏う雰囲気も明るいもので、白を基調にした半袖の軽装も、クリーム色の半ズボンも、ともに薄汚れてはいるが彼女の容姿を損なうことなく、むしろ元気そうな女の子という印象を強めている。
有り体に言ってしまえば、彼女はとんでもなく可愛かったのだ。
「む、何か言いなよ。流石に無視は傷つくよ?」
「あ、えと、ごめん。状況がまったくもって理解できてなくて、まだ混乱中なんだ」
「る、ルイに同じく」
「あ、そう? じゃぁ、私に出来る事なら教えてあげるよ」
彼女はそう言って、目の前の小屋に向かってずんずんと進んでいく。
俺とホープは顔を見合わせた後、他にどうしようもなくて、彼女の背中を追いかけた。
小屋の中は、物が多い割に整頓されていた。
中央には小さな台、隅には何を入れてるんだと思ってしまうようなバカでかいタンスや衣装棚が鎮座している。
「さ、適当に座りなよ」
促されるままに腰を下ろしたところで、少女が口を開いた。
「さて、まずは自己紹介かな。私はフェテレーシア。たまたま君達が襲われてるところを見かけて、とっさに手を出しちゃったけど、迷惑だったかな?」
「いや、そんなことは。むしろ本当に危ない所だったんです。助けてくれて、ありがとうございます」
「そっか。ならよかった。で、そっちの名前は?」
「あぁ、申し遅れました。ボクはホフマン・レジテンドと言います。こっちは弟子のルイ」
「ルイ・レジテンドです。さっきは助かりました」
「ホフマンに、ルイね。うん分かった。それじゃぁ、さっき言った通り、知りたいことを教えてあげようではないですか」
私に答えられることならね、と付け足すフェテレーシア。
……とはいえ、何を聞こうか。
分からない事が多すぎて、何から聞いていいのか分からない。
少し悩んだ末にとりあえず何か尋ねてみようとして、
「じゃぁ、質問。ここはどこかな?」
先に質問を決めていたホープに先を越された。
「ん? ここは私の新アジト。もとい、探索拠点だよ」
「いや、それはそれで気になるけど、そうじゃなくて、地理的な話でさ」
「あぁ、そう言う事? んー、ここはエフレアって街の近くにある森だよ」
「えふ、れあ?」
少女は聞き慣れない単語を口にする。
エフレアという地名は聞いたことがない。
どこぞの国の田舎町か、海外を飛び回ってるホープも初めて聞いたような顔をしている。
「そ、エフレア。魔界南西部の、林業を主な産業に据えて栄えた街」
「ま、魔界!? ちょっと待って、理解が追いつかない!?」
「……その反応、やっぱりこっちの人間じゃなかったかー」
すっと目を細めて笑みを浮かべる少女。
魔界とかエフレアとか、初めて聞く言葉だけでも意味が分からないのに、今の反応は意味深だった。
質問に答えてもらった方が訳が分からなくなる、というのは本末転倒だと思うのだ。
「よし、予定変更。質問する前に、ちょっとした前提を話すことにするね。質問はその後で受け付けますので、黙って聞くように。これを知っとかないと、何にも頭に入ってこないと思うから」
少女はそう言って姿勢を正した。
真剣そうな表情に、こちらも倣って背筋を伸ばしてみる。
「まず、ここは貴方が知る世界とは別の、魔界という世界なの」
で、開口一番、少女はそんなトンデモナイ事を事実だとして突き付けた。
「何だって!? それはどういう」
「ほら、質問は後にするって言ったよね? どうせ今問い質したって分からないんだし、ある程度きき終わってからにしなさいな」
「ぐ……わかった、続きをお願いします」
フェテレーシアにたしなめられて、立ち上がりかけた腰を落ち着ける。
「よろしい。で、魔界って言うのは魔族と人間が共存する世界なの。といっても、人間は魔族に比べて数は圧倒的に少ないんだけどね。まぁ、要はこの世界には、貴方たち人間にそっくりな、けれど人間ではない種族がいて、そんな魔族によって治められた世界だってこと。かく言う私も魔族だよ」
少女は、そんな訳の分からないことを淡々と説明していく。
けれど、彼女の言葉の突拍子のなさに対して、俺はむしろ納得の方が強くなっていた。
吐き気を催す様な、濃密な魔力に満ちた大気。
先ほどの男の、魔術師ではあり得ない業火の行使。
俺達の常識を当て嵌めたところで理解できないのなら、そんなトンデモナイ事でも事実として受け入れるしかない。
それに、さっきの少女の力。
あの男の炎を掻き消し、男二人を脇に抱えて飛行する、なんて芸当を見て、むしろ人間だと言われた方が信じられない。
「でも、ここのところ……大体5年くらい前からかな。魔族と人間の仲はかなり険悪になってしまってるの。人間が魔族を殺して回る、っていう事件が多発していてね。だから、最近は人間に対する魔族の態度は、かなり冷たいものになってる」
「それって、ボク達が人間だから襲われたってことかい?」
「質問は後……いや、いいか。最低限は説明したし、要点は抑えてるみたいだしね。そうだよ。貴方たちは人間で、魔族にどんな害を及ぼすかどうかわからないからっていう理由で殺されかけたんだ」
なんだよそれ。
俺達、何も悪い事をしたけでもないのに、そんな勝手な理由でホープや俺はあんな目に遭わされたってことかよ……。
「さっきの男、多分バシアスっていう奴だよ。この辺りでは有名らしくてね。エフレアの領主に仕えてるんだけど、これがまたかなりの人間嫌いらしい。初対面の人間を問答無用で焼き払おうとするなんて、余程の恨みがあるんだろうね」
フェテレーシアの説明は、他人事のように遠い音だった。
なんだ、それ。
この世界では人間が魔族を殺して回っていて。
そのせいで魔族は人間を嫌っている。
そんな、訳の分からない喧嘩に巻き込まれて、俺達は殺されかけたって言うのか……!
感情としては分からなくもない。
例えば、ある民族が突然テロを起こしたとしよう。
そうなれば、その民族に対する反感は膨らむし、排斥だって起こるかもしれない。
危険な存在に対する自己防衛、あるいは逆襲は感情としては自然な成り行きだ。
けれど、巻き込まれてしまった部外者にしてみればたまったものではない。
この世界の人間も、事情も知ろうとしないまま殺しにかかって来る魔族も、一体何を考えていやがるのか……!
「ちょっとまった。それって、ボク達は街に入れないってことなんじゃないか?」
「……そう言えば」
ホープの言葉で、問題を思い出す。
つまりは、物資の調達とか、情報の収集とか
これからの生活は自給自足、野宿のみで過ごしていかなければならない。
現代日本の文化で温室育ちしていた身からすれば、突然サバイバル環境に放り込まれることは割と死活問題ではなかろうか。
「まぁ、その辺りを考えるのは後回しにするとしよう。大事なのは、ボク達は魔界っていう、良く分からない世界に迷い込んでしまった事と、魔族に敵視されている事だ」
額に手を当てながら問題を先送りにしつつ、ホープは言う。
……そしてなお悪い事に、魔族は人間では考えられないような凄まじい力を使えることと、最悪の場合、その力は俺達に向けられること。
フェテレーシアの目の前だから伏せてはいるが、この辺りも忘れてはいけない。
「つまり、目下の問題は敵意のある魔族との接触だね」
「そうだな。またあんな怪物に襲われるのはこりごりだ」
「話はまとまったみたいだね。他に聞きたいことは?」
「えぇ、これから色々と訊きたいのですが……その前に一つ、いいですか?」
「ん、何かな?」
「はい。まずはこれを聞いておかないと落ち着かないので。なぜ、貴女はボク達を助けたんですか?」
ホープの一言で、空気が僅かに緊張した。
それは、彼の問いに疑念が……いや、疑問が含まれていたからに他ならない。
「……んー、あの場では君達の方がやられそうだったから、手を貸すならそっちかなぁと」
「助けてくれた事には感謝しています。けど、今聞いているのはその動機です。貴女は人間と魔族は敵対していると言った。そして、口ぶりからして人間と魔族を見極められているようだった。なのに、魔族であるあの男ではなく、ボク達に協力するのは矛盾している。むしろ、ボク達が貴女の言う、魔族を殺す人間だったら……今頃、貴女は殺されていたかもしれないんですよ?」
「そうだね……」
「だから、聞かせてください。あの時、貴女は何を思ってボク達を助けたのか」
「おい、ホープ。何もそんな言い方!」
恩人に向ける言葉じゃないだろ、と言いかけてホープに制される。
見れば、師匠の目は細く絞られていた。
そんな視線に困ったように、少女は頭を掻いている。
「んー……、何を考えて、かぁ。そりゃぁまぁ、確かに考えなしだったとは思うけど、あの時はとっさに体が動いちゃったというか」
「とっさに?」
「そ。バシアスが貴方たちを攻撃した時、あまりにも一方的すぎて私にはどう見てもやりすぎに見えた。アイツが貴方たちを殺そうとしていた事は感じ取れたからね。仮にどんな事情があったって……たとえあいつが正しかったって、相手を殺すのはやりすぎだ。強ければ何でもしていいわけじゃないでしょ?」
彼女は考えを纏めるようにそんなことを語る。
どこかぎこちない、その口調。
だが、不思議と彼女は真実を語っているように思えた。
即席で理由を用意しているのは、俺達に対して取り繕っているからではなく、彼女の自然な行動を、どうにかして言語化しているためなのだと。
「そうかもしれない。けど、だからと言って貴女が危険を冒す理由にはならない。言っておきますが、ボク達は貴女の勇気ある行いに対して、返せるものが現状何もないし、用意する予定もない。ボク達には、優先すべきものがあるからね」
「別にお礼が欲しかったわけじゃ……! 私、とっさに体が動いたって言ったでしょ? 正直、貴方がそんなことを言うまで、面倒を背負い込んだなんて気付かなかったんだから」
……なるほど、そういうことか。
生きているうちに、こんな善人に二度も命を助けられるなんて思っていなかった。
「そ、そんなコト……!」
「ホープ、止めようぜ。せっかく助けてもらったんだ。後味悪くする事も無いだろ。あまり疑うのも失礼ってもんだ」
「だけどさ」
「大体、人を助ける理由なんてアンタが言えた事かよ。俺を拾った時の事、忘れたのか?」
ハッとするホープ。
ほら、要するに、そう言う事なんだよ。
俺の目の前の男は、その時の気分で子供一人抱え込むような面倒を背負い込んだ。
だったら、そんな奴が世の中にもう一人くらいいたって、今更驚くものか。
「今回だって、きっとそうだったんだよ。彼女は誰かを助けるために動ける人で、俺達はそれに救われた。だったら、素直に感謝して喜ぼうぜ?」
「そうだね。訳が分からないまま襲われたんで、ちょっと冷静さを欠いてたのかもしれない。フェテレーシアさん、せっかく助けてもらったのに、疑ってしまって申し訳ない事をしました」
「うぅん。気にしなくていいよ。さ、疑いも晴れたところで、色々と質問を聞こうじゃない」
そう言って、少女は憤ることなく笑顔を浮かべてくれた。
それを見て、ホープもようやく緊張の糸が解けたらしい。
魔族は人間を敵視しているという。
けれど、俺達を助けてくれた涼風みたいな少女は、こうもあっさりと俺達に手を差し伸べてくれたのだった。
10/17 改稿しました