ビーストレンタル・ビスティス(後)
「あははははははは! 流石はラーサー! 頼りになる―!」
透き通る青空と、緑の絨毯のような牧場の庭。
その、これ以上ないほどの無垢な世界の中で、一人の少女が嬉しそうに笑っていた。
周囲には三十頭程度の羊の群れ。
そしてそれを導くように、一頭の四足獣がせわしなく駆け回っている。
どうやら、少女の言うラーサーというのは、あのオオカミの事らしい。
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………(なんだ、この絵面は……!)」
一方、こちらは男四人でそんな少女を無言で眺めているという、奇妙な光景なのだった。
実に不健全、現代日本なら職質モノだろう。
「なぁ」
「……どうした、ルイ」
「いやさ……どうして皆して無言なんだ?」
「……この男の企みが未だ読めんからな。一瞬たりとて目を離すわけにもいかない」
「そりゃ喋る気も無くなるさ。隣にこんな頑固者が居座ってたんじゃ、おしゃべりする気分にもならねぇだろ?」
沈黙に耐えかねて口を開いた結果、ますます二人の間の雰囲気が悪化した。
二人というのは、言うまでもなくバシアスとビスティスの事である。
「フン、ほざいていろ。俺とて貴様と仲良く談笑、なんて関係になるつもりは無い」
ビスティスの言葉に、ホープと一緒にため息を零してしまう。
あー、もう、別に仲良くなろうと思わなくていいから、もう少し穏便に振る舞ってくれないか。
まさに一触触発、一緒にいる身としては堪ったものではない。
「そうかい。別にいいがね。で、そろそろ認めてくれんのかい?」
「何をだ?」
「何をって……妙な真似するなって言ったの、お前だろ。俺にはそんなつもりは無いって分かってもらえたかい?」
「いや、まだだ。俺に油断を誘うつもりなら、その考えは甘いぞ?」
「あー、はいはいそうですか」
うんざりだ、とばかりに肩をすくめるビスティス。
まぁ、そうだよなぁ……。
古来より、美点と欠点は表裏一体というが、バシアスもその例に漏れないらしい。
真面目でグレイラディへの強い忠誠心を持つ彼は、それゆえに融通がなかなか効かないのだった。
「…………あのさ、バシアス」
で、そんな彼が作り出す雰囲気についに堪えきれなくなったのか、ホープが口を開く。
「キミは人間を血も涙もないような存在のように言うけどね。そうツンケンされるとこっちとしても身構えるというか、気持ちがささくれ立つというか。ハッキリ言って、そんなことばかり言われると、こちらも気分は良くない」
「む…………だが、人間は………」
「人間じゃなくて、[神々との決別]、でしょ。キミ達の敵はさ」
ホープが持ち出した言葉に、すっとバシアスの眉が寄った。
「……その通りだ。だが、どっちにしろ俺のやる事は変わらん」
頑として言い張るバシアス。
「いくら疑った所で、十分なんてことはないんだよホフマン。俺達が下手に気を許した隙間から敵の侵入を許せば、エフレアにどれだけの被害が出るか分からん。それだけは、避けなければならんからな」
「んー……言いたいことは分かるけどさ」
「それに振り回されるこっちは堪ったもんじゃないわな」
ビスティスの嫌味のような口調に、バシアスは不快気に顔をしかめた。
「大体、お前らは良くコイツに受け入れられたな。さぞや苦労したんだろう」
「おい、別に信じている訳じゃないぞ」
バシアスの抗議を無視してビスティスはこっちに視線を向けて来た。
「苦労か……まぁ、そりゃぁ色々あったけど」
「そうだね。命を狙われたり、その延長で殺し合ったり……」
「うわ、マジかよ! むしろお前らもそんな相手とよく分かりあおうと思ったな」
「そりゃぁね。別にボク達は魔族を敵に回したい訳じゃないから」
「そこは俺も同じはずなんだがなぁ」
ビスティスは苦笑いとも呆れともとれる表情で、そんな言葉を漏らした。
「まぁともかく。色々あってボクたちは彼の主にあたる人物と協力関係を結んだんだ」
「あぁ、あのグレイラディとかいう、ちみっこい嬢ちゃんか。あれで領主だってんだから驚きだよなぁ」
「大丈夫かい、ビスティスさん。顔色、優れないけど」
「気にしなくていい。ちょっと、嫌なことを思い出しただけだ」
嫌な事……あぁ、ビスティスはグレイラディの暴走で危うく死刑直前まで行ったんだっけ。
そりゃぁ顔色も悪くなるだろう。
彼女はビスティスにとって、それなりのトラウマとして刻まれたらしい。
「あれ、ビスティスさん大丈夫ですか? なんかヘンな顔してますよ?」
ふと、高い声でそんなコトをいう影に気が付いた。
「ん、あぁ。フェルムちゃんか。もういいのか?」
「はい! 皆の食事も終わりました! ちゃんと日差しの下で草を食べさせてあげないと、羊たちもストレス堪っちゃいますから。ビスティスさんが貸してくれた狼のおかげで、助かっちゃいました!」
少女の嬉しそうな声に応えるように、ラーサーは「バウッ!」と短く吼える。
「そりゃぁよかった。けど、変な顔ってのは止めてくれよな。おじさんも傷つくぜ?」
「あ、いや、その! 私そう言うつもりじゃなくて! むしろ、ビスティスさんは凄く渋くてカッコいいと思いますよ!」
「ぉお!? そ、そうか? ありがとう」
「いえ、心からの本音ですから!」
フェルムは声を張り上げて言う。
心なしか顔が赤くなっているのは、快晴の下走り回っていたって理由だけじゃないと思う。
「そ、それで……あの、何か変なコトってありました? バシアス様が見に来ているのって、問題がないか確認するためでしたよね?」
「あ、あぁ……見ている限りは特に何もなかったが……」
「! それじゃぁ、ビスティスさんお店出せるんですか!?」
「そ、それは…………君は、彼が店を出すことについてどう思うんだ? 恐ろしいとか、そういう気持ちは無いのか?」
その問いには、戸惑いが込められていた。
主の大切な物に、一切の危険を近づけまいと振る舞ってきた男にとって、少女の反応はそれだけ理解しがたいものだったのだ。
「は、はい! 私、ビスティスさんは悪い人じゃないと思います! それは、初めは人間は怖いって思ってましたけど」
「けど、なんだろうか……?」
どことなく怯えが混じったような声で、バシアスは続きを促す。
その言葉に、少女は僅かに考え込むそぶりをした後
「ビスティスさんは、優しい人でした。ふらっと通りかかって、困っている私やおじいちゃんを当たり前のように助けてくれたビスティスさんは、ちょっと、カッコよかったんです」
嬉しい事を思い出したように微笑んで、そんな言葉を返していた。
「…………そうか」
その言葉が、彼にとってどれほどの衝撃だったのか。
少年は目を見開いた後、それだけを呟いて、今度はビスティスに問いを投げる。
「――――――お前は、フェルムさんを助ける時、なにを考えていたんだ?」
「あ? んん、そうだなぁ。単なる親切心……ってだけじゃねぇよ。残念ながらな」
「生憎とそんなお人よしじゃねぇからな」と茶化すビスティスだったが、バシアスの真剣な表情に考えを改めたのか、彼はすっと目を細めて
「別の街を追い出されて、それから魔族との接触をなるだけ絶ってきた俺が、この街で暮らすにはどうすりゃいいか考えてたよ。人を襲う野蛮な奴ら……魔族をそう決めつけていたけど、お前達にはお前達の事情があった。その事情を知った後で、それでも俺はお前達に受け入れられなきゃいけなかった。だったら、何をするべきなのかってな」
まるで、過去の軽率な自分を悔いるように。
どこか遠い場所を見る瞳をしながら、彼は語り続ける。
「そうして思ったんだよ。受け入れてもらわなくちゃいけないのなら、まずこちらから何かを提供しなきゃ、ってな。月並みな言葉だが、それだけに筋が通ってる。その手始めに、この娘の手伝いをちょろっと請け負った。確かに純粋な善意って訳じゃない。下心アリの善意だがな」
そこに魔族を害する感情はない。
かつて拒絶されてから諦めていた魔族との和解。
彼は下心と言ったが、それを、もう一度試みてみようという気持ちをどうしてやましいと言えるだろう。
「――――――そうか。お前は、こんなことすら」
ふと、バシアスが言葉を零す。
さぁ、と爽やかな風が草を撫でて流れていく。
まるで憑き物が落ちた様に、
「わかった。良いだろう。お前の店の営業許可について、俺からもグレイラディ様に掛け合ってみることにしよう」
ビスティスは、そう口にした。
「お、本当にいいのか?」
「いいと言った」
「良かったですね、ビスティスさん!」
「おぅ。あんがとよ、嬢ちゃん」
嬉しそうに笑顔を零す少女に、ビスティスは笑みを返している。
「それにしても、随分と唐突な心変わりだね。ボク個人としては嬉しい事だけど、本当によかったの?」
その様子を眺めているバシアスに、小声でホープが語り掛けていた。
「フン……。本当のところ、奴に害意がない事はうすうす感じてはいたんだ」
「へぇ? そうなのかい?」
「何だその目は。…………まぁ、言いたいところは分からんでもない。自覚はあるからな」
「じゃぁ、どうして急に?」
「………………グレイラディ様と同じだよ。単に、俺は気付くのに遅れただけだ」
「気付くって、何にさ」
「……魔族と人間の関係に、だよ。俺達は身を守るために、怪しげな人間を遠ざけてきた。それがいつしか、人間だから怪しいと遠ざけるようになっていた。敵意の有無など関係ない。人間さえいなければ、俺達は安全なのだと勘違いしたまま、な」
俺達を殺そうとしたバシアスやグレイラディ。
ビスティスを排除した街の人々。
そうやって、人間を寄せ付けない事が魔族の平穏なのだと頑なに信じて来た彼ら。
敵は神々との決別という存在だけ。
だというのに、いつしか人間そのものを信じられなくなっていた彼ら。
仕方がない話だと思う。
けど、そのままにしていては駄目なことでもあったのだ。
「……ビスティスは敵じゃない。それが分かった今、過剰な警戒は馬鹿らしい。そう思ったまでだよ」
「ふーん……そっか」
ホープは嬉しそうに口端を上げて笑っている。
ともあれ、これでビスティスの出店を巡るひと悶着は終わるだろう。
グレイラディに正式に許可を貰い営業を開始すれば、エフレアの民も多生は安心できると思う。
それにしても、ビーストレンタル……想像しにくい商売だけど、実際上手くいくのだろうか?
「おい、ビスティス。一つ、お前の使う獣について話があるんだが」
「ん? どうしたよ」
まぁ、領主の部下と直接コネクションを持っているんだし、ある程度はどうにかなりそうではある。
早速、こうして商売の話をしているみたいだしね。
後日、グレイラディの許可を得て正式にビーストレンタル・ビスティスが開店した。
まぁ、開店前になかなか厳しいチェックを受けた様で、バシアス曰く「信用することと放任することは違う。一定の基準はしっかりクリアしてもらわないといけないからな」との事らしい。
それと、流石に取り扱うモノがモノだけに、客足は少ないようだが、フェルム嬢は足繁く通っているという話を聞く。
彼女はビスティスにとって最初のお客さんだし、結構仲が良さそうに見えたから、きっと面倒を見たくなるのだろう。
俺も、たまには様子を見に行ってみるかな。




