ビーストレンタル・ビスティス(前)
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昼下がりのエフレアは、うっすらと眠気の色に染まっていた。
いかに民の活気に満ちた街と言えど、昼食後の満腹感と穏やかな日差しには抗えないようだ。
しかし、それでも先日のような不安そうな雰囲気は未だ残っているようだった。
エフレアにほど近い森で謎の人間が目撃された、というあの事件は収束こそしたものの、民の懸念は解消されていないようだ。
俺達が今日出向いているのは、その辺りに関係していたりする。
「しかし、何をしてるって言うんだろうね、彼は」
不意に、俺の隣を歩いていたホープが口を開いた。
「さあな。そんなものは実際に見てみなければわからん」
それに答えたのは、俺達の少し先を行くバシアスだ。
相変わらずぶっきらぼうな口調ではあるが、俺達の会話に参加してくれるようになった辺り、以前よりは親しみを感じてくれているのかもしれない。
「だが、ビスティスがエフレアの民に害をなす様な事をしているのなら、即座に身柄は拘束する。そこに異存はないだろうな」
振り返りもせず、物騒な事を言うバシアス。
まぁ、彼ら魔族の事情を鑑みれば、気が立つのも仕方ない事ではあるが。
俺達の目的。
それは先日エフレアで保護した魔術師、ビスティスの素行調査だった。
ビスティス。
俺達と同じく魔術師であり、人間であるからと魔族に手酷い対応を受けた経緯を持つ男だ。
エフレア近辺にあるロフの森にて、身元不明の人間が確認され、複数の魔族が怪我をした事件。
その元凶であったビスティスだが、最終的に彼の身元はエフレアでの預かりとなり、事件は一応の収束を迎えた。
彼もまた、人間と魔族の対立の犠牲者として、情状酌量の余地があったが故の対処である。
だがそれから一週間が過ぎた頃、エフレアの民から一定数の苦情が寄せられたのだ。
内容は、“新たにエフレアに来た人間だが、なにやら不審な活動をしていて不安だ”との事。
そんな訴えを受け、エフレアの自警団がビスティスの元を調査しに行ったらしいのだが、何故か彼らは今度はグレイラディの元に判断を願い出て来たのだ。
“正直なところ、我々では判断できかねます。領主の権限を以て見極めていただきたい”
だそうだ。
ともあれ、それで俺達が出向くことになった、といういきさつである。
グレイラディの代理としてバシアスが。
俺とホープは魔術の知識を持つ協力者として、バシアスに同行している。
「分かってるよ、その時はビスティスの自業自得だからな」
「ならいい。それにしても、一週間でこれでは頭が痛くなるな。せっかく平穏を手にしたというのに、なぜ大人しくしていられないのか」
一度だけこちらを肩越しに見ると、すぐに前に向き直るバシアス。
……多分、それは件のビスティスだけではなく俺達にも向けた非難なのだろう。
「しっかし、自警団の人たちもどういうつもりなんだろうな。わざわざグレイラディに判断を仰いでくるなんて」
「一応、ビスティスさんの監視は自警団が行うってことで話は纏まってたはずだけどね」
「……正直なところ、そこは俺も疑問なのだ。単に俺達の寝首を掻く準備をしているのなら強制的にやめさせればいいだけの話なのだが……まぁ、そこは見てみないことにはな」
すれ違う魔族達の視線を切るように、エフレアの街並みを歩いていく。
ビスティスに宛がわれたという家は、街の外れの方にあるらしい。
目的地に近づくにつれ、住宅や露店の姿はまばらになり、それに伴って街には田園風景が混じり始める。
「あれ……か……?」
不意にバシアスが立ち止まる。
どうやら、目的のものを見つけたらしい。
で、バシアスの視線の先にはちょっとおかしな光景があった。
三軒並んだ簡素な住宅。
いや、正確には簡素な二つの家に挟まれて、何やら出来そこないの看板が掲げられた家が一つ。
「ビーストレンタル……ビスティス……?」
遠目に看板の文字を読み取ってみて、思わず思考が停止した。
分からない。
意味は分かるが意図が分からない。
いやホント、何がどうしてそうなったというのか。
どうやら、それはホープもバシアスも同じらしく、何やら微妙な表情を浮かべている。
グレイラディに回ってきた案件という事で、どんな事態になっているかと身構えていたが、一気に緊張感がなくなった気がする。
……まったく、あの男は一体何を考えているだろう。
「とりあえず……行ってみる事にするか……」
微妙な顔のまま歩き出すバシアスに続く。
店内……いや、家の中も大分改装されていた。
まるで小さなレンタカーショップのような雰囲気で、内装は木製のカウンターと椅子のみというシンプル……というか物寂しいもの。
「おぅ、いらっしゃい。しっかし、オープンしたばかりだってのに、こうも人の出入りが多いってのは運がいいのかねぇ。まぁ、金を落とす奴が救ねぇのは考えモンだがよ。この分だと、内装の整理ももう少し気合い入れるべきか?」
で、そのカウンターの向こうには、いかにも自分こそここの主ですが、と言わんばかりの顔でビスティスが立っていた。
以前は薄汚れたスーツ姿だったのが、今では皺一つない。
まるでライオンがビジネスマンになったような堂々とした振る舞いに、心なしか「おぉ」という声を漏らしていた。
「で、何の用だい?」
「……! あぁ、いや……その前に一つ聞かせろ。これは一体どういうことだ?」
「……? どういうこと、とは?」
「ビーストレンタル、とはどういう意味だ? お前、一体何をするつもりなんだ」
「んぁ、なるほど。そういう質問ね! 見ての通り、商売を始めようかと思ってよ」
ぎこちないビスティスの問いの意味を理解し、ビスティスは当然のように答えた。
「商売……? そんな届け出は出ていないが?」
「おや、こっちの世界でもそう言うのは必要なのかい?」
「当たり前だろう」
「そりゃぁ申し訳ない。んじゃぁ、せっかくだし、認可してくれよ。アンタ、領主様の御付なんだろ? 面倒な手続きとかすっ飛ばして、パパッとさ。アンタの主さんに口きいてくれよ」
「ダメに決まっているだろう」
ヘラヘラとした態度で頼むビスティスだったが、真面目なバシアスによって一蹴される。
まぁ、そりゃそうだよな。
忠犬バシアスの前では、どんな冗談、不正も通じないのである。
「そもそも、ビーストレンタルとは……どんな店を出すつもりだ、貴様」
「ん? 読んで字の如く、だよ。俺は獣使いだからな。調教された獣を貸し出すんだ」
「エフレアの街中でか? そんなの、認められるわけないだろう!」
がーっと吠えたてるバシアス。
それも当然だ。
街なんていうのは、自然の驚異から人間を守るために誕生した概念だ。
そんな中に、自然の住民である獣を解き放ってしまうのは矛盾に過ぎる。
するとしても、脅威の少ない犬猫とか、あるいは食用になる家畜くらいで、流石にビスティスが使役するような猿だとか狼、まして大合成獣なんかが街中を歩き出したらエフレアが混沌に飲まれるのは想像に難くない。
「大体、認められたところで採算は取れるのかい、ビスティス・グレイゲル? ここは地球とは違う世界みたいだし、向こうの常識が通じるとは思えないけど?」
「んー……まぁ、その辺りは俺の手腕次第かねぇ。これでも、前は経営者だったからな。芸は身を助ける、なんて言葉が日本にはあるそうだが、経験は世界が変わっても活かせるモンだろう?」
「へぇ、ビスティスって商売もやってたんだ」
「そうだぜ、坊主。グレイゲルっていやぁ、魔術師の中でもそこそこ名の通った商人の家系でな。まぁ、俺は決められた将来とか、その辺りが煩わしくて、とっとと出奔しちまったんだがな」
「って、大丈夫じゃねぇじゃん!」
思わず突っ込んでしまった。
家を飛び出したんなら、経験も何もないじゃないか。
「というか、グレイゲルは礼装販売が主な収入源だったはずじゃなかった? 動物の内臓とか不純物、排泄物を礼装に加工して一山当てたクチだって聞いたけど」
「あー、俺はそっちの才能は無くてな。どちらかといえば、獣を育てる方が才能があったみたいでよ。その辺りも、家を飛び出した一因なんだが……っと、関係ない話が続いたな」
よっと、とビスティスはバシアスに向き直る。
「で、何の話だったか」
「この店の存在は認められない、という話だ」
「そうだっけか。で、その理由は? 届け出がない、ってだけの理由なら、ここでするが」
「多すぎて挙げるのも一苦労なんだがな。だが、あえて一つ上げるとすれば……獣はお前の最大の武器だったろう?」
「…………」
先ほどまでの、緩んだ空気が冷えた気がする。
ビスティスとバシアス。
両者は互いに威嚇しあう肉食獣のように鋭い視線を交わし合っていた。
「魔族と人間の関係は知っている筈だ」
「そりゃぁな」
「だったら、お前のやっていることを俺が見逃すと思うか?」
さもありなん。
一度ビスティスは、自らの配下である獣を用いてこの街の自警団数人に怪我を負わせた経緯がある。
たとえそれが正当防衛によるものだったとしても、エフレアの民にとって彼の獣は恐怖の象徴だ。
そうでなくとも、一歩間違えば獣が気まぐれに民を襲いかねない。
そんなものを、領主の部下であるバシアスが見逃すはずがないのである。
「俺が、エフレアの連中を襲う、とでも?」
「ないとは限らん」
「……ったく、そんなつもりは無いってのによ。お前達は人間だからって疑いすぎだぜ? そんなんだから、やらなくてもいいケンカをやる羽目になったんじゃねぇか、俺たちはよ」
ビスティスの言う事は分かる。
俺達はバシアスに殺されかけたことがあり、ビスティスは人間だからと以前立ち寄った街から手酷く追い出された。
魔族の徹底した人間不信が、本来起きなくともいいはずの対立を生んだことは否定できない。
けど、一方でバシアスの言うことだって一理ある。
魔族を脅かす、[神々との決別]という組織のスパイがどこに潜んでいるか分からない以上、信用できない人間の勝手な行動は出来る限り排除したい。
でなければ、いつ町中に多大な被害が発生するかも分からないのだから。
無言で、しかしお互いに一歩も引かないという意志を視線で示しながら、二人は睨み合っていた。
……どっちの言い分も、理解できる。
けど、そうやって意地を張るばかりでは結局解決しないのだ。
「なぁ、二人とも――――――」
「!」
「!」
拮抗していた視線が、同時に俺に向けられ、思わずたじろいでしまった。
「おい、ルイ。俺達の協力者として、何か言うべきことは無いのか?」
「魔族ってのは随分と勝手な考えを押し付けてくるもんなんだな。そうは思わんか、坊主?」
突如として訪れた板挟み展開。
漫画とかで、よく女の子二人に決断を迫られる男の図は見て来たけど、まさか俺自身がこの展開の男ポジションになるとは思っていなかった……!
しかし、何でよりによって自分の時はどちらも男なのか!
そんな訳の分からない展開に混乱した思考をしながら、どうにか言葉を捻り出そうと足掻いてみる。
だが、この場を丸く収めるような答えは全くもって出そうにないのであった。
だってどっちの意見にも共感できてしまうのだ。
結局、俺は両者を納得させることも、どちらかの味方に付くことも出来ず
「あの――――。ビスティスさんいらっしゃいますか?」
そんな俺を救うように、か細い声が店の中に響いていた。
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